高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

秋の歴史旅(その1)上条城

2011-10-31 04:08:41 | 歴史
お待たせしましたが、予告しました秋の歴史の旅が始まります。柏崎は歴史の宝庫で、勝海舟の祖先毛利家のふるさと佐橋庄は以前にも紹介しました。また天地人にもたびたび登場します北条城は、これもすでに紹介しています。今回はそれ以外の柏崎の歴史の旅ということになります。
先ずは地図で、柏崎市の中央から北東部にあります柏崎刈羽原発の刈羽村の位置を確認して下さい。刈羽村は柏崎と海に囲まれた飛地で、この原発が稼働すれば、電力値上げは回避できるといわれています。旅の2日目には、その北にある柏崎CCでゴルフを行いました。


(上条上杉氏の上条城は小高い台地にあります)




(柏崎の地図はクリックで3分割にて拡大)

市の西南部には鵜川が流れ、この一帯は昔は鵜川庄と呼ばれていました。越後の守護職は上杉氏ですが、上条城(じょうじょうじょう)には、親族の上条上杉氏を配置し、近くの越後毛利氏を監視しました。関東管領や越後守護職を輩出してきた名門です。越後の守護代から関東管領に就任した上杉謙信は、能登の畠山氏の七尾城を攻略し、畠山から養子をもらい、上条上杉を継がせました。 上杉謙信の養子の一人である上条義春は御館の乱では景勝方の主将でした。一方の景虎方の主将は、北条城の北条景広で、謙信の養子の長男格の上条義春が景勝に味方したことで、景勝側の勝利に大きく貢献しました。
しかし、景勝や直江兼続と意見が合わなくなり、出奔して秀吉の元に走りました。義春は畠山姓に戻り、徳川の時代にその子孫は高家上杉家となり、上杉が追いつめられるのは、この出奔に要因があるという説もあります。上条上杉は謙信の家来でも、名門の家並みを誇り、謙信の後継者になっていたら、歴史の展開が違ったと思われます。

 
(台地の上は、昔は上条小学校で、今は空地)

 
(上条城の説明看板)           (やや下に民家が見えます)

 
(1輪だけ咲いたツワブキ(石蕗))   (アキノキリンソウ(秋の麒麟草)

赤紫色の食用菊は“もってのほか”、これを新潟では“かきのもと”ともいいます。黄色の食用菊は、秦の始皇帝の宮殿に因み“阿房宮(あぼうきゅう)”などと呼ぶようです。

 
(黄色の阿房宮と旅館の夕食で出たもってのほか)

(柏崎市)

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フクオウソウ

2011-10-30 08:38:53 | 山野草
三重県の菰野町の福王山で発見されたのが名前になっているが、なにか縁起が良さそうな植物である。紫白色の舌状花であるが、どこか老人の髪の色にも似て、これは長寿の花のようである。
今年初めて出会ったが、来年も訪れたい花だと思った。


(なかなか気品のありそうな花である)

 


(葉は茎の下部に集まる

福王草/キク科/フクオウソウ属。
山野の林内に生える多年草。
茎には腺毛が多く、葉は有翼または無翼の柄をもって茎に互生し茎を抱く。葉は茎の下部に集まり、葉身は円心形で縁には粗い鋸歯があり、掌状に3~7裂する。円錐花序に多数の頭花が付き、頭花は紫白色の舌状花で横から下向きに咲く。
名前の由来:三重県の福王山で発見されたことからこの名が付いた。
花期:9~10月。
(高尾山)
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アワコガネギク

2011-10-29 00:17:04 | 山野草
この季節はヤクシソウ(薬師草)アキノキリンソウ(秋の麒麟草)など、キク科の黄色の花が目立つ。
今回はヤクシソウに混ざるように、アワコガネギク(泡黄金菊)が咲いていた。「アワ」は地名の「阿波」と思ったが、正しくは「泡」であった。

 
(黄金色で密集すると泡のように見えることからアワコガネギク)

泡黄金菊/キク科/キク属。
やや乾いた山地に生える多年草。別名キクタニギク(菊谷菊)。
葉は広卵形で羽状に深裂し、頭花は黄金色である。
名前の由来:密集している花が泡のように見えることからこの名が付いた。
花期:10~11月。
(高尾山)
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コマユミ

2011-10-28 06:31:21 | 樹木
数年前からニシキギ(錦木)に似た小さな苗木を育ててきたが、今年の春に初めて花が咲いた。木が若いので、枝にニシキギ特有のコルク質の翼はなかったが、今までニシキギと思っていた。
友人のブログで、コマユミ(小真弓)があることを知り調べたら、ニシキギの野生種がコマユミで、違いは翼の有無で見分けることを知った。ニシキギ、マユミ(真弓)そしてツリバナ(吊花)のいづれも、ニシシギ科ニシシギ属の植物である。


(ニシキギとそっくりの果実)

 
(1年目の開花にしては果実がよくなった)


(5月に咲いた4弁の花)

小真弓/ニシシギ科/ニシシギ属。
山地に生える落葉低木。
葉は倒卵形または長楕円形で対生する。葉の表面は緑色、裏面は淡緑色で葉縁は細かい鋸歯がある。春先に集散花序を出し、淡緑色の花を付け、果実は秋に橙赤色に熟す。
名前の由来:マユミにて小型であることからこの名が付いた。
花期:5~6月。
(寅太の庭)
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ツリバナ

2011-10-27 08:23:43 | 樹木
きょうはコマユミ(小真弓)の予定であったが、同じニシキギ科ニシキギ属のツリバナにリンクを貼ろうとしたら、まだツリバナ(吊花)が正式に登場してないことに気付いた。遅ればせながらきょうは今月初めに高尾山で撮ったツリバナの果実で、次回は一日遅れの我が家のコマユミである。


(中から赤い種子が飛び出した)

 
(今年は果実の付きが良さそうである)


(春に咲いたツリバナの花)

吊花/ニシシギ科/ニシシギ属。
山地に生える落葉低木。
葉は卵形から長楕円形で、葉の表面は緑色、裏面は淡緑色で葉縁は細かい鋸歯があり対生する。葉腋から長い花柄を出し、淡緑色の5弁花を開く。さく果は熟すと5裂し、中から朱赤色の仮種皮に包まれた種子が覗く。
名前の由来:花や実が垂れ下がっているのでこの名が付いた。
花期:5~6月。
(高尾山)
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シロバナヤマハッカ

2011-10-26 05:33:07 | 山野草
昨年、シロバナヤマハッカ(白花山薄荷)を見た時には、花の時期がすぎてわずかしか花が付いてなかった。多年草で同じ場所に出てくるので、今年はじっくり観察できた。ヤマハッカ(山薄荷)と隣り合わせに咲いていた。


(ヤマハッカと並んで生えるシロバナヤマハッカ)

 

白花山薄荷/シソ科/ヤマハッカ属。
山地に生える多年草。葉は広卵形で対生し、細長い穂に白い花を付ける。
名前の由来:ヤマハッカの仲間で白花を付けることからこの名が付いた。
花期9~10月。
(高尾山)
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ミゾカクシ

2011-10-25 00:10:15 | 山野草
田んぼの少ない都会では見る機会が少なくなったが、偏った5枚の花弁を開くのはミゾカクシ(溝隠)である。
この変わった花の形はサワギキョウ(沢桔梗)に似ているが、サワギキョウはキキョウ科のミゾカクシ属で同じである。ということは、ミゾカクシが本家で、似ているのはサワギキョウということになる。


(変わった5弁の花が可愛い)

 

溝隠/キキョウ科/ミゾカクシ属。
湿り気のあるところに生える多年草。別名アゼムシロ(畦蓆)。
茎は細く、地をはって長く伸び、節から根を出してふえる。葉は披針系で左右2列にまばらに互生する。葉腋から長い花柄をのばし、淡紅紫色を帯びた花を1個付ける。冠は左右対象で、花冠の裂片は横向きに2個、下向きに3個が偏って付く。
名前の由来:溝を隠すほど茂ることからこの名が付いた。
花期:6~10月。
(多摩丘陵)
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秋の花旅(総集編)八ツ場ダム

2011-10-24 03:32:49 | 四季
花のブログで、政治のことを批判をするつもりはありませんが、八ッ場(やんば)ダムは少し国民をないがしろにしていませんか。私も八ッ場ダムは工事が中断しているものと思っていましたが、花旅の途中で現地に立ち寄りましたら、工事はじゃんじゃん進んでいました。
工事の再開を命じたのは、現総理が財務大臣の時だったとか、中断したのはダム本体工事だけだったとか・・・。中断なら中断、再開なら再開とはっきりしてほしいものです。
軽井沢と上州の秋の花旅は、今回で終わりです。


(橋の上からはるか下に吾妻線の電車が見えます)

 
(渡ったのは両端に歩道のある立派な橋でした)

 
(下で重機が忙しく動いていました)

 
(橋のおかげで、以前は見えなかったという滝が見えました)

(八ッ場ダム)

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秋の歴史旅(予告編)

2011-10-23 12:41:47 | 歴史
秋の花旅のシリーズが終わらないのに、次の秋の歴史旅が始まりました。今回の旅の主目的は、高校時代のバレーボール部の仲間と会うことでした。思い出の地の柏崎に行ったのですが、いつもの通り長い旅行になりました。
柏崎は歴史の宝庫で、春には越後毛利氏の北条城に登りましたが、今回は上杉謙信の養子の一人である上条義春など上杉一族が守った上条城(じょうじょうじょう)、やはり越後毛利一族の安田城、そしてよく知られている謙信の家臣の宇佐美氏の枇杷島城に寄りました。
そして柏崎の奥地に伝わる“綾子舞”、行きと帰りには、魚沼市で、越後のミケランジェロと言われる石川雲蝶の作品を堪能しました。


(柏崎の奥地に伝わる国指定重要文化財“綾子舞”)

柏崎CCからは左に柏崎刈羽原発の鉄塔と米山が、前には日本海と原発テロを警戒する船が見えました。ここからは佐渡も見えるのですが、この日は残念ながら見えませんでした。

 
(柏崎CCから米山が見える)      (昔おぼえた“海の柏崎”)

長州の毛利氏は、柏崎の南条から広島の吉田に移り、やがて長州毛利氏となるのですが、長男系は越後に残り、北条氏や安田氏などになります。一方、上条上杉は長尾氏の本家筋で、柏崎に住んでいました。

 
(歴史の宝庫柏崎)        (越後毛利氏の安田城)

越後の美味い酒とノミを与えるという言葉に魅かれて、江戸の彫刻師石川雲蝶(うんちょう)は越後にやってきました。三条や長岡にも彼の作品はたくさんありますが、魚沼市の西福寺と永林寺の彫物は、数と質ともに見るものを圧倒します。

 
(西福寺の龍虎の天井絵)      (永林寺の天女)

中学校の恩師が蝶の研究の著名人だったとは、今年まで知りませんでした。そして研究成果を、柏崎市立博物館に寄贈していました。今回は恩師にお願いして、蝶のコレクションを見せていただきました。特にギフチョウはコシノカンアオイを食草に、春のカタクリの咲くころにみられるのですが、私はまだ見たことがありませんでした。

 
(柏崎市立博物館)        (貴重なギフチョウ)

歴史の旅ではありますが、少しは山野草もあります。車で走る道の端に、ヒキオコシ(引き起こし)に似た花がありましたが、日本海地方特有のクロバナヒキオコシ(黒花引き起こし)でした。

 
(クロバナヒキオコシ)       (ツルアリドオシの果実)

(柏崎市、魚沼市)

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秋の花旅(総集編)草津温泉

2011-10-18 06:12:44 | 四季
花のブログなのですが、今回は綺麗な花はどこにもでてきません。でも日本三名泉の一つの草津温泉ですから、どこにも負けない湯の花があるということでご容赦願います。三名泉の残りの2つは、兵庫県の有馬温泉と岐阜県の下呂温泉ということになります。
温泉街の中心が湯畑で、大量の源泉が湧き出ています。ここから少し離れた西(さい)の河原公園の奥に、大露天風呂があり、もちろん入ってきました。
明日から柏崎に行ってきます。今回は花旅ではありません。海に近い柏崎は、大きなボール(当時は排球といいましたが)を追いかけ、インターハイの出場を決めた、青春の思い出がいっぱいある所なんです。当時の仲間と監督の先生が集まり、思い出に花を咲かせてきます。旅にでるといつもの放浪の癖がでますので、戻ってくるのは来週初めですね。


(浮かび上がる文政年間建立の常夜灯)

 
(温泉街の中心地“湯畑”の夜の風景)

 
(木の樋から流れ落ちる源泉)

 
(木樋で湯の花を沈殿させる)

 
(湯畑から少し離れた西の河原)

 
(西の河原公園の奥にある大露天風呂)

(草津温泉)

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