上杉謙信にはわかっているだけでも、4人の養子がいた。年長から言えば、山浦国清、上条義春、そして御館の乱で争った景虎と一つ年下の景勝である。
山浦国清、上条義春は、由緒ある名門の山浦上杉家、上条上杉家をすでに継いでいた。
景虎は御館の乱で敗れ相模を目指したが、命運尽きて妙高の近くの鮫ヶ尾城で自刃した。
北条氏康の長男は氏政で、二男が八王子城主の氏照、景虎は七男である。
大河ドラマ「天地人」で、中盤の山場になるであろう小田原の北条攻めであるが、上杉景勝と直江兼続は、八王子城の搦め手から攻め入っったと記録にはある。猛攻で一日にして城は落ちるが、実はこの時、城主の氏照は八王子城には不在で小田原にいた。
6月の上旬に一足先に山頂に登って来たが、城跡にはサイハイラン(采配蘭)が群生していた。昔の合戦で、本来なら采配は1本が望ましいが、乱立している光景は、家臣が氏照に采配を求めているように見えた。
哀れ家臣は全滅、子女は次々に御主殿の滝に身を投げ、城山川は数日間真っ赤に染まったと伝わる。
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(八王子城址に咲くサイハイランの群生)
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(八王子城古図と相模の北条一族)
近年発行された日本の百名城に、八王子城も入っているので、訪れる人も多い。発掘で城の規模は、極めて大きいことがわかってきた。これは落城後に廃城となり、城の跡地も天領や国有林となり、そのまま4百年間保存されてきたことが幸いした。
氏照の墓は、城の入口より少し手前の、右手の山の中腹にある。うっそうと木が茂り、一帯は一人では歩けないほど霊気が漂っている。
氏照は兄の氏政と小田原で切腹しているので、墓は慰霊塔というのが正しいかも知れない。でもあちこちに転がっている石の下に、間違いなく家臣は眠っている。 曳橋は曳いて敵の侵入を阻むが、この巨大な曳橋は、壊して落とす方式である。
また御主殿跡の広い芝生が植えてある平地は、発掘調査で遺構が見つかり、記録に残した後で、埋め戻されている。
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(北条氏照墓をさらに進むと八王子城入口の管理棟が見える)
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(忠実に再現した巨大な曳橋と発掘で現れた虎口の石段)
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(氏照が住んだ御主殿跡と子女が身を投げた御主殿の滝)
(八王子市)