【熊野神社、牛久保小学校とカシワ】
豊川市の桜ミュージアムで開催されている「牧野一族展」を、関東地区の長岡出身の仲間と見学してきた。あわせて牧野家に係わる史跡を回ったのでので、数回に渡り取り上げることにする。
牧野一族は越後長岡藩、越後三根山藩、信州小諸藩、丹後田辺藩、常陸笠間藩の牧野家の5家があり、本家は長岡とされている。源平合戦のころは阿波の豪族で、源義経を勝利に導いたが、このことで兄の頼朝の怒りをかい、一族は一時衰退した。戦国時代に三河の牧野町に移り住み、この地で牧野姓を名乗り再び躍進し、拠点を牛久保に移した。
一族は三ツ葉柏を家紋にしているが、カシワ(柏)は新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、「子孫繁栄」という縁起を持っている。牧野家縁りの場所ではカシワが植えてある所が多く、中でも江戸時代中期に長岡藩主で老中の、牧野忠精(ただきよ)が植えた熊野神社のカシワは、巨木で立派に育っている。
長年に渡りこの巨木から新しい子孫を残し、長岡に里帰りさせたいと試みているが、やっと幼木が熊野神社の拝殿で育ち始めているところである。
牧野氏が牛久保を離れて450年にもなるが、豊川の人々が牧野氏を慕い、また家臣を含めた一族がふるさとを想う気持ちの強さは他に類を見ない。今回も熱烈な歓迎を受けた。
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(熊野神社の神前で育つ2代目カシワ、長岡へ里帰りできるか)
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(牧野一族展入口と大名5家と同じ数の煎餅を並べる)
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(熊野神社入口の牧野忠精公寄進の灯篭)
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(約250年前に忠精公手植えのカシワ)
牛久保小学校の校章は、三ツ葉柏と「牛」の文字をデザイン化している。招き入れられた校長室の壁には、「参州牛久保の壁書」と「常在戦場」の額が掲げてあった。校門の横には大きな大理石で、牛久保の壁書の一文があった。
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(三ツ葉柏の校章と牛久保で生まれた壁書)
(豊川市、牛久保町)