高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

旅する謎の蝶(アサギマダラ)

2008-10-10 07:00:20 | 四季
きのうは朝からよく晴れ、南高尾のアケボノソウ(曙草)を確認したくなり、生えている場所を知っている友人に電話した。運よく本人も確認のため、南高尾に出かけようとしていたところであった。
結論から言えば、今年は見つからず幻の花に終わった。
でもまわりには秋の花がたくさん咲いていて、気を落とすことはない。
特に多い花は白い色のカシワバハグマ(柏葉白熊)で、今がちょうど満開の時期である。
私たちを歓迎するように前方に蝶が飛んでいる。近づいても人を警戒せずに優雅に舞う蝶で、「旅する蝶」と呼ばれる謎の多いアサギマダラ(浅葱斑)である。



2千キロの長い旅をし、3千mの峰も難なく越えると言う。蝶で唯一渡りをし、春に北上し、秋には南下する。でもまだその移動ルートが解明されてなく、謎の多いのが魅力となっている。
強い偏西風に逆らって海上を飛べるのか?、夜間はどうするのか?、休む所は?、食べるものは?などいろいろな疑問が思い浮かぶ。そして最大の謎はどこで方位を感知するのかである。
こんなアサギマダラの謎を解こうと、移動ルートを羽根にマーキングをして調べる団体が各地に存在するようである。

キジョラン(鬼女蘭)に集まるのは知られているが、カシワバハグマとコウヤボウキ(高野箒)の花も好物のようだ。
デジカメで近づいても逃げないし、しばらく蜜を吸うと周りを回遊し、デジカメを構えた元の花に戻ってくる。
シラヤマギク(白山菊)のところで、おいでおいでをするが寄ってこないのは、どうもこの花は好みでないようだ。
アケボノソウの収穫がなかったことを慰めてくれるように、最後には透き通った浅葱(あさぎ)色のステンドグラスのような羽根を、太陽を背にしてサービスしてくれた。
最後になったが、二人に長い時間付き合ってくれた数匹のアサギマダラは、羽の後側の表裏に性標と呼ばれる黒斑がない雌である。
「旅をする蝶」、「海を渡る蝶」だけでなく、「人の心が読める蝶」と思った。

 

 

【追記】
アサギマダラが「ここを見なさい」と奇妙な動きをした。
帰って山渓ハンディ図鑑を見ると、カシワバハグマとコウヤボウキは草本と木本に分かれるが、共にキク科コウヤボウキ属に分類される。
尊敬すべき牧野富太郎博士は、異種間雑種のカコマハグマ(かこ間白熊)を独立させているではないか。博士はその日、思考力がなかったのかそれとも遊び心か、「カ」と「コ」の名前をつく植物の間に生まれたからこの名にした(これは子供の名前を付けるうえで参考になる。う~ん、わが2世はヨクマか)。
南高尾で見たものは、カシワバハグマとは葉が少し違うようである。
これはこの秋に、3度目の南高尾行き勧めているようである。

 
(私は木でコウヤボウキです)  (私は二人の雑種かもね)

(相模原市三井)
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ラッカセイ

2008-10-09 08:30:05 | 山野草
千葉県はラッカセイ(落花生)の産地としてよく知られている。
ラッカセイの蝶形花の開花までは他のマメ科植物と変わらない。
花後に受精した子房が長く伸びて、尖った先端が地中に潜り込み地中で大きく育つ。2枚目の画像には、尖った先端や地中からはよく目にするラッカセイの白い殻が見える。
少し早かったが1株抜いてみると、地中からたくさんの果実が現われた。収穫直後の実は、茹でて食べると美味しい。

ラッカセイは、河井継之助の盟友の会津藩士秋月悌次郎を思い出す。
一度枝を離れた落花は、その枝に還って咲くことは二度とできない。しかし来年咲く花の種になることはできる   (「落花は枝に還らずとも」より)

 

落花生/マメ科/ラッカセイ属。
南米原産で中国を経由し、江戸時代に日本に入ってきた一年草。別名ナンキンマメ(南京豆)、ピーナッツ。
4枚の小葉からなる偶数羽状複葉で、各節のところに蝶形花が咲く。花後は子房柄が伸び地面に潜り込み地中で果実を成長させる。
名前の由来:花後に子房柄が地面に潜り地中で実を作ることからこの名が付いた。
花期:7~9月。
(千葉県野田市)
【山野草の索引(2)へ】
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峯の薬師(その4)

2008-10-08 01:29:53 | 四季
きょうは峯の薬師の最終回である。
上中沢のバス停から約1時間で、南高尾風景林の大きな標識が見え、目指す三沢峠に着いた。ここは5差路になっていて、右の梅ノ木平方面は予想通り通行止めになっている。
出没!!の注意書きがあり、熊かと思って看板をよく見ると、親子の猪の絵がある。寅太も熊では逃げるしかないが、猪ならわが家にもいる?のでそれよりは恐くない。
この近辺でアケボノソウ(曙草)に出会ったという友人に電話し、受話器を片手に歩き始める。


(ついに南高尾の三沢峠に到着)

しばらく探したが、目指す花は見当たらない。簡単に見つかったら幻の花ではない。
でも残念ながらアケボノソウには会えなかった。今回は三沢峠に連なる道が寸断されている中で、峠に着いただけでもよしとしよう。

三沢峠の周辺を散策すると、見慣れた花ではあるが各所に咲いていた。
ヤマトリカブト(山鳥兜)とシュウブンソウ(秋分草)はまだ開ききっていないが、シラネセンキュウ(白根川芎) フリフネソウ(釣舟草)、セキヤノアキチョウジ(関屋の秋丁字)は見事に咲いていた。

ゲリラ豪雨で梅ノ木平のアケボノソウが、地下に深く埋まったのは誠に残念である。この季節に多くのハイカーが訪れた、高尾の季節の花の名所が1箇所消えてしまった。

 
  (これより先通行禁止)     (ヤマトリカブト)    .

 
  (シラネセンキュウ)        (ツリフネソウ)  . 

 
 (セキヤノアキチョウジ)     (シュウブンソウ)  .

 
 (崩壊前の梅ノ木平の自生地と幻のアケボノソウ) .

 (相模原市三井)
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峯の薬師(その3)

2008-10-07 00:27:28 | 四季
峯の薬師奥の院から三沢峠に向かう途中で、丸い傘をたくさん付けた無線中継所に出合った。デジカメを空に向けて撮ったら、ほとんど色彩のない昔のモノクロのような画像が映っていた。
このような中継所はかっては郵政省の管轄下だったと思われるが、郵便事業や電波管理局などは総務省の管轄になったようである。
この施設は国土保全と防災通信を担っており、国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所と書かれている。
国土交通省は車の保有では群を抜いて批判され、先日も大臣の辞任があったばかりだが、業務の中身も含めよくわからない役所である。


(国土交通省城山無線中継所)

峰の薬師奥の院から三沢峠までは0.7kmのなだらかな道で、途中に峰の薬師守護金比羅の祠がある。
道端に植物の実に似たツチグリ(土栗)を見つけた。。同じ和名の多年草がバラ科にあるが、れっきとしたキノコの仲間で、晴れた日に転がって移動することから、「晴天の旅行者」の洒落た名前を持っている。
マツカゼソウ(松風草)カシワバハグマ(柏葉白熊) 、キバナアキギリ(黄花秋桐)などが次々に現れる。いよいよ三沢峠に0.2kmの標識がでてきた。もう一息である。

峯の薬師の境内で、背の高い薄紫色のキクがあったが、名前を思い出せなかった。運よくデコウォーカさんのブログで シオン(紫苑)が出てきたので追加しておこう。

 
  (三沢峠0.7km)        (金比羅様)   .   

 
  (ツチグリ)          (マツカゼソウ).   

 
(カシワバハグマ)        (キバナアキギリ)

 
 (峰の薬師のシオン)      (三沢峠へ0.2km) 

(相模原市三井)
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峯の薬師(その2)

2008-10-06 00:53:16 | 四季

武相四大薬師の一つとして、古くから多くの信仰を集めた峯の薬師(峰の薬師ともいう)は、正式には曹洞宗の寺院で大覚山東慶寺と号する。
この薬師の境内に「姿三四郎の決闘の場」の碑が建っている。
富田常雄の小説『姿三四郎』のモデルは、会津藩家老西郷家の養子の西郷四郎である。
四郎は慶応2年(1866)会津藩士志田貞二郎の三男として生まれ、戊辰の戦乱を避け会津領の津川で少年時代を過ごした。
16歳の時に、会津戦争で、本人を除く一家総自刃を遂げた会津藩家老西郷頼母(たのも)の養子となる。

義父頼母も会津藩秘伝の柔術の継承者であるが、新潟では津川小学校の代用教員をしていたようであるが、四郎は軍人を目指して上京し、講道館の嘉納治五郎に入門し、やがて四天王にまで登りつめる。

また夏目漱石の「坊ちゃん」の山嵐も四郎がモデルと言われ、身長5尺(約150cm)の四郎の得意技が山嵐である。

姿三四郎は、桧垣兄弟の果たし状を受け取り、甲州街道を西に下り、梅ノ木平から峯の薬師のある三沢山に向かう。

 果 状
 明治二十年十二月十五日朝、武州三澤村
 峰の薬師境内に於いて果合い致可候
 当方二名約定違え間敷候
 檜垣流唐手術
            檜垣鉄心
            檜垣源三郎
 姿三四郎殿

奥の院はここから200mほど坂を登ったところにある。登りはじめに見える右に城山と津久井湖の向こうには城山地区が箱庭のように見える。
変わった山野草はないが、シロヨメナ(白嫁菜)とシラヤマギク(白山菊)が綺麗である。
次回はいよいよ目的の三沢峠である。


(姿三四郎の決闘の場)

 
  (尾崎咢堂生誕地の津久井方面と鐘堂) 

 
 (子を抱く菩薩)      (薬師堂の正面) 

 
 (右の城山と城山方面)    (少し上にある師奥の院)

 
 (シロヨメナ)          (シラヤマギク)

(相模原市三井)
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峯の薬師(その1)

2008-10-05 00:13:43 | 四季

尾崎行雄。政治家、咢堂(がくどう)、相州津久井生まれ。慶応義塾に学ぶ。第一議会以来25回連続して衆議院に議席をを占め、その間、第一次護憲運動に活躍。「憲政の神様」と称される。東京市長。潔癖孤高の政治家として特異の存在。
このように広辞苑に書かれている尾崎行雄であるが、現代でも目標にする政治家は多い。でも昨今の政治家では、とてもとても神様には近づけない。


(咢堂の見た当時は湖でなく湖底に沈む前の集落と相模川)

さて高尾では幻の山野草に近いアケボノソウ(曙草)は、南高尾の梅ノ木平にひっそり息を潜めて生きのびてきたが、先日のゲリラ豪雨ですっかり土砂に埋まってしまった。
もう1箇所生息するという三沢峠を目指してアタックしているが、梅ノ木平そして城山湖の道からは峠に近づけない。今回はもう1本の道である峯の薬師から三沢峠を目指す。

橋本から1時間に1本くらいしかない上中沢行きのバスの終点でおり、山道を峯の薬師を目指す。
豪雨の土砂崩れで数箇所道路が崩壊した所があったが、すでに人だけは通行できるように修復されている。バス停から30分で薬師に着くのでそれほど遠くはない。
途中で出迎えてくれるのは、ナンテンハギ(南天萩)と誰かが植えたのかシュウメイギク(秋明菊)である。

 
  (道路工事中)         (三井の大橋) 

 
  (ナンテンハギ)        (シュウメイギク) 

 
 (右が峯の薬師)        (峯の薬師入口)

 
 (峯の薬師)          (咢堂の碑)

     (碑文から)
      わたくしの身は祈らねど古里の 
             峰の薬師にわれもぬかずく
     薬師ます峰の高きをふるさとに 
             究めぬも惜し更に登らん
     登りきて祈るこころも忘れけり 
             薬師の峰の秋の美し 

                        咢堂

咢堂手植えのモミジの大木の下に、ひっそりたたずむ碑の文から、ふるさとを愛し、日本の国を愛した咢堂の心にちょっぴり触れたようである。
次回は峯の薬師で決闘した姿三四郎などを取り上げよう。
(相模原市三井)
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城山湖(その2)

2008-10-04 01:52:45 | 四季

城山湖の周りには遊歩道があり、湖を一周できるようになっているが、現在は先日の豪雨で崩落箇所があるため、大半が立入禁止区域になっている。
崩落箇所を迂回すれば2枚目の画像の右端の所に降りられる。最初の画像は降りた所から撮った画像で湖面を横から見る位置になる。

湖の近くにヤマツツジ(山躑躅)をまとめて植えてある場所があるが、たくさんの中には変わったものがあるのが世の常で、ヤマツツジも満開の株があった。
シロヨメナ(白嫁菜)は見頃であるが、ツリガネニンジン(釣鐘人参)は最盛期を過ぎていた。
ヤマノイモ(山の芋)の大きなムカゴとアオツヅラフジ(青葛藤)の緑から青紫色の果実が目に付いた。

 
  (ススキと城山湖)     (狂い咲きのヤマツツジ) 

 
 (シロヨメナ)       (ツリガネニンジン)

 
 (ヤマノイモのムカゴ)    (アオツヅラフジの果実)

(相模原市城山湖)
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城山湖(その1)

2008-10-03 00:17:04 | 四季

相模川の水を山の頂上に夜間に汲み上げ、電力の使用が多い昼間に発電する城山湖揚水発電所のことは以前に触れた。この水をためておく人造湖が城山湖である。
城山湖の奥(北方面)にわずかに見えるのが高尾山で、手前の山から奥に連なる東高尾山陵の一帯を南高尾と呼んでいる。
アケボノソウ(曙草)がある梅ノ木平は、手前の山を下った山裾にある。

今回の大雨で梅ノ木平への道路は、高尾側からも城山湖側からも寸断されている。
きょうはまだ梅ノ木平への道は開通してなかったので、アケボノソウは諦めて近くを歩いた。
今年初めてこコシオガマ(小塩竃)に出会った。ヤマハッカ(山薄荷)アキノタムラソウ(秋の田村草)は終わりの時期にある。オケラ(朮)は今咲き始めたところである。

 
  (東は橋本の市街)    (いたる所に被害の痕)

 
(半寄生植物のコシオガマ)

 
  (ヤマハッカ)       (アキノタムラソウ)

 
(咲き始めたオケラ)

(相模原市城山湖)
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北国に多い菊を食べる地域

2008-10-02 06:48:06 | 四季

久しぶり、朝から雲一つない秋晴れの爽やかな天気である。
さて、きょうは菊の話題である。東北地方や新潟県の中越、下越では畑に菊を作り、秋にはよく食べる。
菊といっても食用菊のことで、ちょうど今ごろが旬で、食用菊の生産高日本一の産地は山形県と言われる。
菊の花びらを食べる習慣は、江戸時代から始まったとされるが、おひたしで食べると美味しいが、どうしたことか他の地方には広がらないようである。新潟県でも上越近辺ではあまり作ってないと聞く。

食用菊の代表的な種類を上げてみる。黄色い花では青森県を中心とした阿房宮(あぼうきゅう)で、語源は美女三千人が暮らしていたという秦の始皇帝の宮殿に因んでいる。
淡い紫色の花では、延命楽(えんめいらく)で新潟では「柿のもと」や「おもいのほか」と呼んでいる。山形ではこの品種を「もってのほか」と呼び、「天皇の御紋である菊の花を食べるとはもってのほか」とか、「もってのほかうまい」などに因むと言われる。

この家庭菜園の持ち主は新潟県出身なので、作っているのは紫色の品種で、いくらでもどうぞというので、手当たり次第に咲いている花をむしり取った。
しばらくの間の夕食には、菊のおひたしに新潟の米で造った日本酒であろう。
菊の中に先客のオンブバッタがいたが、雌が小柄な雄をいつも載せているのが、画像にバッチリ写っていた。

(千葉県野田市)
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きょうから神無月

2008-10-01 10:18:18 | 四季

早いものできょうから神無月(かんなづき)で、今年も残すはあと3ヶ月になった。
きのうは月に1回の山野草の勉強会で、今回は10月に開催する展示会の準備であった。
持ち寄った作品の中から先生が展示品を選んが、出展物全体のバランスもあるので、本人の予定しているものと少し変わることもある。

展示の頃に花がちょうど咲そうなヤマラッキョウ(山辣韮)リンドウ(竜胆)、サクラテデ(桜蓼)オケラ(朮)が本命と思っていたが、先生のお目にかなったのは、ヒヨドリジョウゴ(鵯上戸)フユノハナワラビ(冬の花蕨)そしてニシキギ(錦木)の3点であった。
ヒヨドリジョウゴは春先に友人のokbさんからいただいた苗を育て、そこからさし木をしたものである。実が赤くなるには時間が足りないようである。
フユノハナワラビは昨年も出展しているが、1年経って本数も増えてきた。
意外だったのが、ニシキギである。でも葉の紅葉も始まり、実もたくさん付いていて、枝ぶりも悪くない。
展示会のお客さんが、足を止めてくれるのはどれであろうか。

今朝は雨も上がり、いつもの物置の引き戸を背にした特設スタジオ?も使えるので、小泉さんではないが事前にお披露目し、人前に出ることに慣らしておこう。


(ヒヨドリジョウゴ)

     
(フユノハナワラビ)       (ニシキギ)   . 

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