勝海舟の祖先のふるさとの杉平で見たサンショウの実が付いた木は、大きくて立派である。
アケビ(木通、通草)のを貰った区長さんの家の近くにあったが、いま赤い実がいっぱいなっていた。
ところで、「伝説の宝庫かしわざき」シリーズは、間もなく終わるが、一つ気になることがある。それは中越沖地震から1年以上経過したので、柏崎市内の寺院の墓地の修復はかなり進んでいる。しかし、持ち主のわからない墓が、放置されていることである。
戊辰戦争から百数十年も経過すると、当然持ち主のわからない墓も多くなる。そして子孫は、そこに祖先の墓があることも知らない。
柏崎は桑名領で、戊辰戦争の後は、桑名に帰ったり、上京したものもあろう。菩提寺に永代供養せよとはとてもいえないし、放置した自己責任で、取り除かれるのも止むを得ないところである。
北越からやがて会津そして五稜郭を転戦する、藩主松平定敬が本陣とした勝願寺のある大久保の地には、桑名藩士の墓もあるのではないか。
勝願寺で見たものは、一見「三つ葉葵の紋」にも見えた。でも院殿の法名でないので、藩主ではない。「柏崎日誌」に関係がある極楽寺では、期限を決めて通知を呼びかけ、名乗らねば撤去するとの張り紙がある。
桑名市にお願いしたいのは、大きな桑名藩士戦没墓は今後も柏崎市(寺かも)が永代守るかも知れないが、今回撤去されようとしている墓石は、桑名市の責任において調査の上で、桑名市民に公表するなりして、幕を引いてはいかがでしょうか。
アケビ(木通、通草)のを貰った区長さんの家の近くにあったが、いま赤い実がいっぱいなっていた。
ところで、「伝説の宝庫かしわざき」シリーズは、間もなく終わるが、一つ気になることがある。それは中越沖地震から1年以上経過したので、柏崎市内の寺院の墓地の修復はかなり進んでいる。しかし、持ち主のわからない墓が、放置されていることである。
戊辰戦争から百数十年も経過すると、当然持ち主のわからない墓も多くなる。そして子孫は、そこに祖先の墓があることも知らない。
柏崎は桑名領で、戊辰戦争の後は、桑名に帰ったり、上京したものもあろう。菩提寺に永代供養せよとはとてもいえないし、放置した自己責任で、取り除かれるのも止むを得ないところである。
北越からやがて会津そして五稜郭を転戦する、藩主松平定敬が本陣とした勝願寺のある大久保の地には、桑名藩士の墓もあるのではないか。
勝願寺で見たものは、一見「三つ葉葵の紋」にも見えた。でも院殿の法名でないので、藩主ではない。「柏崎日誌」に関係がある極楽寺では、期限を決めて通知を呼びかけ、名乗らねば撤去するとの張り紙がある。
桑名市にお願いしたいのは、大きな桑名藩士戦没墓は今後も柏崎市(寺かも)が永代守るかも知れないが、今回撤去されようとしている墓石は、桑名市の責任において調査の上で、桑名市民に公表するなりして、幕を引いてはいかがでしょうか。
(サンショウは柏崎市杉平)
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