高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

歴史の宝庫かしわざき(その4)

2008-10-21 06:52:10 | 四季
【いざ!決戦柏崎ccへ】

一夜明ければ空は晴、柏崎ccで決戦の場が待っている。むかし取った杵柄で、相手の球はバレーボールよりも小さいし、なんといっても球は止まっている、そして激しい空中戦や速攻もない。
午前中のハーフでドライバーを折ってしまった。この時、同伴者は大地が中越沖地震の余震のように揺れたというが、寅太は動転して、大地の揺れには気づかなかった。

ドライバーが無ければ武士から大刀をとったようなもので、後は短い脇差だけで戦わねばならない。これでは勝負にならないし、仲間と同じ北越の土俵では戦えない。牙を抜かれた寅太には、戦場から無念の撤退しか残されてない(実は大叩きのよい言い訳ができたのだが・・・)。

スタートホールには、たくさんの実がなり紅葉しかかったコノテガシワ(児手柏)が、ギャラリーに代わり声援を送ってくれた。


(スタートに声援を送るコノテガシワ)

柏崎・刈羽原発の長岡寄りに位置する柏崎ccから見下ろせる沖の海が、昨年の中越沖地震の震源地とされている。
後ろを見れば、毛利家の佐橋荘や勝海舟の祖先が眺めた八石山の山なみが美しく連なっている。

 
(海岸沿いで美しいコースの柏崎cc)

 
(左の画像の沖が震源地、右は佐橋の荘を見守る八国の山なみ)

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歴史の宝庫かしわざき(その3)

2008-10-20 06:45:15 | 四季
【いざ!越後路へ】

さて、まだ昔鍛えた体力には自信があり、柏崎を速くまわり過ぎたようである。
歴史のふるさと柏崎はそんなに浅くはないので、もう一度振り出しに戻ろう。

15日(水)朝9時に、最後の集合場所であるJR五日市線の秋川駅前を車で出発した。ここからは圏央道に入る秋川インターが近い。
柏崎に向かう仲間は3人で、いつも寅太が運転し、一人目の横浜の仲間はすでに助手席に乗り、ここで最後の一人を乗せる。どうしたことか勤務地は違うが、同じ会社に入社してしまった。
集合は遅くても午後5時までと先輩に厳命され、宴会の前にみんなで飲んで、宴会で先輩を前にしていつも無口な寅太でも、少しは口が滑らかになるようにと、朝日山酒造の久保田「万寿」の一升瓶を一つ空いている後部座席で冷やしている。

途中のサービスエリアで横川の釜飯を買い、3人並んで食べる。器の釜は益子焼で捨てるには惜しいし、旅の思い出にもなる。
ほしそうにする寅太が3個をゲットし、少し綺麗にして持ち帰ろうかと洗い場に走る。3つとも米は一粒も残してなく、戻ってから育った年代を思い出し会話が弾む。さすが米百俵の地元の出身で、一粒の米の重さがわかる。

前回ここを通ったのは同じ10月でも中越地震の直後で、上越道も不通で、牙を剥いた大地に飛び込むボランティアである。SAなどには寄らず前ばかり向いて走り続けた。
でも今回は思い出の地に仲間が待つと思うと、会話も弾み、外の美しいススキ(薄)を見る余裕もある。

来年のNHK大河ドラマ「天地人」は、我らのふるさと長岡も舞台の一つである。
柏崎に行くには上越道から信越道に入れば、春日山は途中になる。ここから直江津の「御館」(おたて)跡に寄って、その後は海岸線を走ればよい。
でも結果的には、春日山の史跡に興味が沸き、再び北陸道に入り、集合時刻を越えて宿の「天屋」に着いた。(春日山編は後日に譲る)


(ススキの揺れる穂に秋の深まり)

この天屋(てんや)旅館は、奥の細道に興味ある方ならば、ちょっと気になる宿である。おそるおそる質問すると、「よく聞かれるが関係がない。この旅館は120年前からです」と答えが返ってきた。

越後路に入った芭蕉と弟子の曽良(そら)は、7月5日に出雲崎から7里半(30km)の道のりを歩いて柏崎に着くが、天屋彌惣兵衛に宿を断わられる。よほど身なりがみすぼらしかったかったのか、それとも他に意図があったのかは謎とされている。
芭蕉は怒って天屋を後にし、雨の中を4里(16km)先の鉢崎(現柏崎市米山)まで歩いた。
天屋は2度までも宿の使いを走らせ芭蕉を呼び止めるが、芭蕉は前に進むばかりであった。
芭蕉の越後路は 、「この間9日、暑湿の労に神(しん)をなやまし、病おこりて事をしるさず」とある。
柏崎で手違いがなければ、七夕の名句、「文月や六日も常の夜には似ず」も「荒海や佐渡によこたふ天河」も柏崎の句になっていたかも知れない。

宴会前に「万寿」を飲んで体調を整えようとしたが、時刻に遅れて飲めなかった。いつもの張子の寅だったか、それとも牙を剥いた野性の寅だったかを綴るつもりはない。

 
(峠の釜飯を食べたSAと別途後日に綴る春日山)

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歴史の宝庫かしわざき(その2)

2008-10-19 08:10:48 | 四季
心に爽やかに響き、いかにも宮人が好みそうな名前の“佐橋荘”(さはしのしょう)である。この美しい里が第51代平城天皇に繋がる毛利家のふるさとである。
源朝頼は鎌倉幕府の創設にあたり、朝廷に仕えていた大江広元を政所の別当(まんどころのべっとう:今の総理大臣)として鎌倉に迎えた。
広元の幕府への貢献は絶大で、その一つの領地として相模国愛甲郡に毛利荘(現厚木市毛利)を賜り、4男季光(すえみつ)をおき毛利を名乗ったのが毛利氏の始まりである。

時は移り、北条時宗の父時頼が第5代執権についた翌年に、三浦泰村の乱が勃発し、季光は娘婿の時頼に付かず、敗戦を覚悟で妻(泰村の妹)の三浦一族に義を通して戦った。
一日にして決着し、三浦一族5百余名として、季光と長男、二男、三男はことごとく源朝頼ゆかりの鎌倉法華堂で自刃した。

滅びたかにみえた毛利氏であるが、運よく遠国の佐橋荘にあった四男経光は三浦一族の乱に加担せず、毛利荘は没収されたが佐橋荘2千貫と飛地の安芸国吉田荘千貫は安堵された。
北条の郷土史研究家平原順二氏によれば、2千貫は石高では9千石いわれる。
ところで鎌倉幕府の北条は“ほうじょう”と読み、佐橋荘の北条は“きたじょう”である。
この一帯は来年のNHK大河ドラマ「天地人」の御館の乱(おたてのらん)で、大きな転機を迎えることになるが別の機会にしよう。

北条で誰に聞いても佐橋荘の名前はわからず幻である。「おめぇさん わ~るいろぉも おらぁ わかんねぇて かんべんのぉ」。伝説の里人はみんな優しく親切である。
佐橋荘の謎を知りたければ、村(町?)おこしをしている「ぬくもりの里 北条」に聞くと、ここには全て知っている人がいると見た。

群生しているアキノキリンソウ(秋の麒麟草)が綺麗である。群生地を生む環境だけに葉まで緑でみずみずしい。


(北条で見たアキノキリンソウの群生地)

 
(幻の佐橋荘と「ぬくもりの里 北条」)

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歴史の宝庫かしわざき(その1)

2008-10-18 17:32:49 | 四季
今回は柏崎に長い旅をしてきた。インターハイ県予選を勝ち進んだ思い出の土地であり、その時の監督も中越沖地震を乗り越えて柏崎に健在である。数十年ぶりに勝利の地に多くの仲間が集まった。
そして柏崎市の誘致による工場進出で、3年半をここで暮らしたこともある。

明治以降の柏崎は、石油によって賑わったが、今は海、そして原発や蓮池薫さんで知られている。
最近、柏崎市でも歴史を発信しようとの動きがあり、ある議員と一緒に史跡を巡った。
柏崎は京都所司代桑名藩の飛び地であり、会津に攻めのぼる薩長とは、鯨波の地で戦闘(鯨波戦争)が始まり、新鋭兵器に恵まれた薩長は幕府連合軍を破り、ここに本陣を置いた。山の向こうは河井継之助の守る長岡藩である。

ところで柏崎には、特級品の歴史真実が眠っている。
長州毛利家の祖先の生まれた里であり、勝海舟の祖先の故郷でもあるのだ。
越後国佐橋荘(さはしのしょう)の南条の館で生まれた毛利時親から数えて3代後が安芸の毛利元春、さらに7代後が「3本の矢」で知られる毛利元就となる。

長州は500年の時空を越えて、故郷に攻め登ることになったのである。
画像の整理はこれからであるが、今回の旅では山野草の画像はいたって少ない。
きょうは勝海舟のふるさとで撮ってアケビと、道路に生えたど根性ケイトウでお許し願いたい。


(勝海舟のふるさと杉平の区長さんは、アケビをもぎ取り土産にくれた)

 
(美味しそうなアケビと根性ケイトウ、後ろは勝海舟のふるさと)

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マンデビラ

2008-10-18 16:09:13 | 山野草
公園などでよく見る蔓性の植物で、大きな漏斗形の白色やピンク色の花を数個咲かせる。相模原公園の入口で、いつも来園者を出迎えてくれる。

キョウチクトウ科/マンデビラ属。
中南米を原産地とする蔓性植物で、園芸種を含めると100種以上あるとされる。
花期:6~11月。
(神奈川県立相模原公園)
【山野草の索引(2)へ】
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秋の草芸展

2008-10-15 07:01:10 | 四季

2日間の山野草の展示会が無事に終わった。参加者は市の講習会を受けた年度が違うので、グループは4つに分かれているが、指導の先生が同じなので、春と夏には合同で展示会を開催している。
2日間の来場者は600人を上回わり、前年よりは増えているとのこと。
室内なので思ったような画像は撮れなかったが、その内のいくつかはおいおいブログに載せることにする。(寅太の4点はそれなりに好評だった)

明日の朝早く、新潟県の柏崎に向かう。昨年の中越沖地震の震源地であるが、この土地には高校時代の思い出が残っている。
バレーボールのインターハイの県予選があり、県内の70数チームに勝ち抜き優勝した。
全国大会の開催地の倉敷市に因み「倉敷会」の名が付いている。高齢ではあるが顧問の先生も柏崎に健在で、中越沖地震で会は少し開かれずにいた。
みんなで白球を追いかけた青春時代に戻り話は尽きない。翌日は球は少し小さくなったが、先生も入れてのゴルフである。

ゴルフの後、私は一日現地に残り、今回は勝海舟と長州の毛利家の祖先が暮らした土地を回りたいと思っている。柏崎は会津と共に朝敵とされた桑名の飛び地で、鯨波で戦いの火蓋が切られ、戦火は長岡、会津へと拡大する。
最近、柏崎市でも、勝海舟と長州の毛利家の祖先の土地を観光にも取り入れようと、やっと腰を上げ始めている。
ではこれから柏崎に行ってきます。


(良い作品には見学のお客様も集まる)

 
(先生の作品の一部、ヒカゲツツジとヒトツバタゴ)

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タンジン

2008-10-14 07:10:28 | 山野草
きのうから草芸展が始まり盛況である。
これは市の主催で開かれた1年間(週一回)の、山野草の講習会を終了した卒業生が、引き続き山野草の先生の指導を受け、その数団体が定期的に開いている催しである。最低でも3年の経験はある。
一人原則3点までで、私の作品は先日公開しているが、これにシモバシラが加わった。
4点持ち込んで3点に絞ろうと先生に相談したら、4点とも会場では他の人の出品がなく、出品に値する作品との評価である。
昨日は画像の撮らなかったので、本日はその模様を載せることができない。

さて、葉や紫色の花を一目見ただけでは、サルビアと勘違いしてしまう。
でも漢方薬のタンジン(丹参)なら聞いたことがあるかも知れない。
大きく口を開け、奇妙な長いアンテナのようなものを出し、手を入れたら噛み付きそうな花である。

丹参/シソ科/アキギリ属。
中国の東北部原産の多年草。葉は羽状複葉で小葉は卵形。青紫色の花を咲かせ、赤い根は漢方薬として利用される。
花期6~9月。
(都立薬用植物園)
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ツルニンジン

2008-10-13 06:59:45 | 山野草
わが家のツルニンジンは、成長期にいつも虫に葉を食べられる。
今年も蔓は2mほどに伸び、葉もたくさん付いていたのであるが、短期間で全て食べられてしまった。
こんなわけで今年も花は期待していなかったが、夏から秋にかけて数枚の葉が伸びだし2個の花が付いた。
ツルニンジン(蔓人参)はツリガネニンジン(釣鐘人参)と名前がよく似ているが、全く異なる植物である。
また別名をジイソブ(爺蕎)と呼ぶが、これは似た植物のバアソブ(婆蕎)に対抗した名である。
「ソブ」とは木曽の方言で「ソバカス」のことで、花の内部の斑点をソバカスに見立てバアソブを「お婆さんのソバカス」と呼び、これに似たツリガネニンジンをジイソブと呼んだものである。
今年は花は2個だったが、何時の日か先日の高尾山のツルニンジンのようなたくさんの花を咲かせてみたい。
きょうは、これから秋の展示会の会場の準備である。

 
(開花寸前)

蔓人参/キキョウ科/ツルニンジン属。
山地に生える蔓性の多年草。別名ジイソブ(爺蕎)。
葉は先が尖った楕円形で無毛、短い枝に4枚ずつつ付く。先が5裂した釣鐘状の花が下向きに付く。
名前の由来:茎が蔓性で、根がチョウセンニンジン(朝鮮人参)に似ていることからこの名が付いた。
花期:9~10月。
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ヘビウリ

2008-10-12 06:38:36 | 山野草

子供の頃、ヘビを手で捕まえる友達もいたが、私は見るのも苦手で触るなどとても信じられない。前世はたぶん蛙の系統の動物だったのだろう。
薬用植物園にある長い果実は、その名もずばりヘビウリ(蛇瓜)である。食用にもなると言われるが遠慮しておこう。
果実の外観と名前は良くないが、白い花はカラスウリ属だけにカラスウリ(烏瓜)とソックリである。
花の全てが少しづつ違う形で
見ていて飽きることがない。
カラスウリの苗とヘビウリの苗を取り違えると、花まではカラスウリと信じ、可愛い緑の実と秋の真っ赤な実を期待していたら、長いヘビウリの実がなったらさぞかしびっくりするだろう。

 

 

蛇瓜 /ウリ科/カラスウリ属。
インド原産で明治の終わり日本に渡来した。カラスウリに似た白色の花を咲かせ、実は食用になる。
名前の由来:果実が細長く、ヘビのように曲がっていることからこの名が付いた。
花期:7~10月。
(東京都薬用植物園)
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レモンエゴマ

2008-10-11 03:12:40 | 山野草
レモンエゴマ(檸檬荏胡麻)は裏高尾の日影林道にたくさん生えている。
この植物は一年草なので簡単に発芽して成長するが、毎年繰り返し蒔かねばならない。レモンエゴマは茎やガクの周りにはたくさんの毛が生えている。
右下の画像は、昨年の晩秋に裏高尾で撮ったものであるが、見事に水滴が付いている。
レモンエゴマと自信はないが、今年会う機会があったら水滴を取り除き確認してみよう。

 
(右は水滴が付いたレモンエゴマらしき野草)

檸檬荏胡麻/シソ科/シソ属。
山地の林縁に生える一年草。
茎は直立し葉柄があり、葉は卵形から広卵形である。枝先に穂状の花序を付け、小さな白色の唇形花を付ける。茎や萼に毛が密生する。
名前の由来:エゴマ(荏胡麻)に似て全草にレモンに似た香りがあることからこの名が付いた。エゴマは食用または油を採るために栽培されるシソに似た植物。
花期:8~10月。
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