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ユグノー(カタリ派)-2(トゥールーズ公とランバル公妃マリー・ルイーズとフランス革命)

2020年01月27日 | フランス革命・サヴォイア・ユグノー・バチカン

カタリ関連で南仏の歴史について大変わかりやすいウェブサイトを見つけました。リンクと、抜粋をはりつけさせてもらいます。

Zarac歴史サイト-南仏の暴風 アルビジョワ十字軍(1)-カタリ派http://reasonable.sakura.ne.jp/history/bl/Albigeois.html

抜粋:

カタリ(清浄)派という名前はかなり古く3-4世紀から存在するのだが、中世のカタリ派との直接の関係は明らかではなく、むしろワルド派と同様に、12世紀頃に起こった、より聖書に忠実に清貧な暮らしを勧める運動が、ブルガリアのボゴミル派の影響を受け、南ドイツから南仏、北イタリアに広まったものらしい。彼らには統一の指導者や組織はなく、地方ごとに色々な呼称があり、南仏ではアルビ派と呼ばれたものである。

(中略)

カタリ派の教義は全て破壊されて残っておらず、カトリック側から書かれた物、および同系統と見なされているボゴミル派の教義から推測されるだけだが、二元論的なグノーシス主義とマニ教の影響を受けており、マニ教はユダヤ教やキリスト教に加えて拝火(ゾロアスター)教や仏教の影響も受けているため*4、様々な宗教的要素を持っている。

(中略)

「悪魔学入門」でも触れたが、聖書を読むと、旧約と新約で唯一神の性格が随分変わっていることに驚くが、カタリ派では素直に旧約の神は悪神で新約の神を善神としており、神は清浄な魂として人間(天使)を創ったのだが、悪神(サタン)が人間を騙して、自らが創った地上(現生=地獄)に連れてきて(楽園追放)、肉体の檻に閉じ込めたと考えている。

このため、肉体を魂を捕えている枷と見なし、魂が肉体から解放され神の元にたどり着くことを願うが、生前の行いが悪ければ、再び生まれ変わって肉体に捕われるという思想は、まさに釈迦の教え仏教と似ているのである*5。仏教はバラモン教の輪廻思想により、魂は輪廻して、そのたびに肉体を持って病気、老いの苦痛を永遠に繰り返すが、悟りを開くことで成仏し永遠の存在になれるというもので、違いは神や天国の存在だけだが、浄土宗では阿弥陀仏と極楽浄土がその役割を果たしており、また厭離穢土という思想も似ている。

(中略)

現生と肉体を悪神の産物として嫌い、肉食、殺生、生殖、婚姻、所有など、いっさいの世俗生活を否定し、しばしば断食して苛烈な苦行を実行したと書かれると危険なカルトに見えるが、これは他宗教の聖職者や修行僧に値する人々のことで、どの宗教でも聖職者にはそのような制限が課されているものである。

カタリ派では完徳者と言って、聖職者階級とは違うのだが指導的な階層で、一般信者もいずれ完徳者になるのだが、それまでは普通の生活を営み、多くの一般信者は死を悟った時に唯一の秘蹟であるコンソラメントウム(救慰礼)を受けて完徳者として死去するため、肉体の枷から解き放たれるのである。

まあ、二元論や魂の輪廻などの教えを見れば、カトリックから異端扱いされるのは仕方がないと思えるが、実際に教義を理解しているのは聖職者階層だけで、一般信者は単にイエス=キリストを信じ、(新約)聖書に従えば天国に行けると理解しているだけで、豪奢な生活をして隠し妻などを持っているカトリックの聖職者より、より聖書に忠実で清貧なカタリ派の聖職者の方が尊敬に値すると考えて従っていたのである。

クリスチャン、カトリック、プロテスタント、というのもそれぞれが一括りで説明できないのと同じで、「カタリ派」についてもそれは同じこと-上記サイトの管理人さんの説明のようなことが、本来のカタリ派のスタンダードであった、とするほうが、現実的に思いますが、その中から、やはり悪魔教のようなものも出てきてはいた、とも思います。

そしてそれはカトリック側により、「カタリ教」=「悪魔教」⇒正義の元に改宗させるか、絶滅させなければならない」ということになったのだろうと。
(純粋な社会主義者の中から、過激派が出て、それが「社会主義」=「悪」というイメージを植え付けたのと同じように。)

13世紀始めに、このカタリ派を絶滅させるためにやってきた『アルビジョア十字軍』。
アルビジョア十字軍からカタリの人々を守ろうとした勢力の中心が、トゥールーズ伯レーモン6世でした。

ウィキペディア
レーモン6世
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%B36%E4%B8%96_(%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E4%BC%AF)

Croissade Albigeoise
『アルビジョア十字軍叙事詩』要約プロジェクト
http://www.medieviste.org/archive/versio/Croissade_Alb.html

ウィキペディア
トゥールーズ伯
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E4%BC%AF

トゥールーズの領土は、1285年にフランス横領に組み込まれ、1681年、ランバル公妃マリー・ルイーズのお舅ルイ・ジャン・マリーの父親であるルイ・アレクサンドル(モンテスパン公爵夫人の息子)の領土に、それがルイ・ジャン・マリーに受け継がれました。

(ルイ・ジャン・マリーの死後、オルレアン公に嫁いだ娘に。しかし、フランス革命で彼女の渡った財産は領土ともども没収されました。)。

こう考えると、ルイ・ジャン・マリーが、カタリ派(ユグノー)と繋がっていた、と考えてもおかしくないーユグノー(カルヴァン派)とユグノー(カタリ派、ワルド―派)、ユダヤ人が集結し、「フリーメイソン」ができた-つまりよく言われるような、「フリーメイソンはユダヤの陰謀」というより、「ユグノーとサヴォイア」がまとめ上げたものではないか、とも思えてきました。

なお、

マリー・アントワネットと女官長マリー・ルイーズの真実-美化されていたマリー・ルイーズ
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/dc66eb1dc2ef1ef487f049c89e543247

にも書きましたが、マリー・ルイーズも、義理の妹(義父ルイ・ジャン・マリーの娘)も、フリーメイソン婦人部(養子縁組)です。

以下は上の記事で紹介した、英文ウィキペディアからの抜粋です。

De Lamballe as well as her sister-in-law became inducted in the Freemasonic women's Adoption Lodge of St. Jean de la Candeur in 1777, and was made Grand Mistress of the Scottish Lodge, the head of all the Lodges of Adoption, in January 1781:

この文章のあとは、こう続きますが、もしマリー・アントワネットがマリー・ルイーズの誘いに乗って、フリーメイソン婦人部のメンバーになっていたのであれば、歴史は違っていましたかね?

though Marie Antoinette did not become a formal member, she was interested in Freemasonry and often asked Lamballe of the Adoption Lodge.

(この文章はこうも続きます。マリールイーズは、やはりマリー・アントワネットを陥れた側だったのではないでしょうか?
首飾り事件の容疑者を訪ねています。

During the famous Affair of the Diamond Necklace, Lamballe was seen in an unsuccessful attempt to visit the imprisoned Jeanne de la Motte at La Salpetriere; the purpose of this visit is unknown, but it created widespread rumors at the time.)

(続く)

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