Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

欧州の記者や学者が語る領土問題

2012年09月28日 | 国際・政治

アルザス地方をフランスにとられたままのドイツ、フォークランドを英国にとられたままのアルゼンチン(独立前はスペイン)、外にも、ポーランドやイタリア、オーストリアをはじめとして近現代になっても国境(独立)の略奪、争いは欧州ではずっとありました(あります)。

そんな欧州の記者たちが語る尖閣諸島の領土争い(日本政府は、「領土問題はない」と今でも言っているんでしょうが・・・)についての意見を紹介した記事を。

JBpress (2012928)

世界の人たちから見た尖閣諸島問題

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36198

(前略)

筆者の周囲にいるヨーロッパからの特派員数人に話を聞くと、尖閣問題では中立的な意見を述べる者が多い。ドイツの大手経済紙の記者は、

 「歴史的な背景を探ると、日中両国はほとんど水掛け論を展開しています。ですから、どちらの国が『先占の要件』を満たしているのか、文献を読んだだけでは分かりません。すぐには解決しないでしょう」

と述べ、問題の長期化は必至だとの意見だ。

スイス人記者も尖閣諸島が日本固有の領土であるかは断言できないとする。

 「両国の歴史学者が数百年前まで遡って尖閣諸島の領有権を主張していますが、説得力に欠けます。どうしてでしょう。誰も客観的に検証できないからです」

 「かつてフランスやドイツ、ポーランドといった国は国境紛争で数限りない人の血を流しました。今は過去から少し学んで争いません。日中も冷静になって第三者を入れて話し合ってください」

尖閣諸島を係争地と定義する米、英両政府

日頃から中国に対して厳しい見方をする英国人記者は、同問題では日本に注文をつける。

 「外務省は尖閣に領有権問題は存在しないという立場を貫いています。ところが米国政府も英国政府も、尖閣諸島は領土紛争の係争地と定義しています」

 「当たり前です。どういう方向から解釈しても、今の尖閣は係争地としか思えません。ですから、問題を解消するにはこのあたりの態度から変えていかなくてはいけないでしょう」

 国家間の領土問題というのはナショナリズムの台頭を呼び起こしやすい。それは「尖閣諸島(釣魚島)は我が国のもの」という前提が、論理展開の前に両国民の心に宿るからである。

 冷静な識者であっても、日本人であれば日本固有の領土であると主張するし、中国人の学者は当たり前のように中国の領土であると述べる。

 米国は日米同盟を結ぶ相方であるが、地政学的に関与の薄いヨーロッパ諸国からの見方は前出の記者の言葉通り、日本寄りであるとは限らない。

(中略)

ただ過去の領土問題を考察すると、戦争に勝った国が思うように国境を策定する権利を得てきたのが実情だ。それが実行支配というものであり、領土問題の多くはこうした「野蛮な方法」によって決着をみてきた。

 1982年にアルゼンチンと英国が争ったフォークランドでも、独仏による因縁の地であるアルザス・ロレーヌでも、戦勝国が実行支配を続けている。

 前出のドイツ人記者はこの件で、ドイツ人はほとんど諦観の境地に達していると言った。

 「アルザス・ロレーヌは1648年に締結されたウェストファリア条約以降だけでも、何回もドイツとフランスが占領を繰り返しました。ここはもともとアルザス語を話すドイツ語系の人たちが住んでいた土地です」

 「最後は第2次世界大戦でドイツが敗れてフランス領になって以来、ずっとそのままです。今ドイツ国内で取り返そうという気運はないです。もう血を流してはいけないと誰もが思っているからです」

この領土問題は力による古典的な決着で幕を閉じたため、「先占の要件」や「固有の領土」といった考え方が考慮されていない。

 フォークランド紛争でも、「先占の要件」を満たしているのはスペインだが、彼らは領有権を主張していない。現実的にはアルゼンチンは英国軍の前に白旗を揚げざるを得なかった。ここでも力の論理が働いた。30年前でも軍事力の差で領土問題に決着がみられたのだ。

力に頼らない紛争解決方法を模索する時代に入った

 ただノーベル経済学賞受賞者のトーマス・シェリング氏は著書『紛争の戦略:ゲーム理論のエッセンス』の中で、紛争解決の仕方が変わってきたと述べている。

 大国はかつて、相手国から獲得する目標を設定し、それが成就した時点で勝利と捉えていた。しかし「相手から奪い取るだけが勝利ではない。多くの国家目標の中で何が一番大事かを見極める、これこそが一番重要なポイント」と指摘する。

 そのポイントは国民が平和で安定した繁栄を築けるかどうかにかかっている。さらに同書では、対立する国家同士が「完全に対立し合う純粋な紛争など滅多にあるものではない」と書いている。

 中国のナショナリズムの台頭が、問題解決を難しくしている障害の1つではあるが、両国が武力を行使しないことを共通の認識として交渉を重ね、相互依存関係を深めていくことは可能なはずだし、そうでなくてはいけない。

 日本刀で竹を割ったような解決の姿は現実的にはむしろ困難かもしれない。1972年に田中角栄・周恩来会談で「棚上げ」にした妙案のように、緊張を保ちながらも平和を維持する方向は探れるだろう。

 国際機関や第三国を仲介役に立てる手立てもある。いずれにしても戦火を交えることだけは避けなくてはいけない。

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