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ウルスラ・フォン・ディア・ライエンの祖父がナチスであったとしたら・「欧州連合の父の一人」ヴァルター・ハルシュタイン

2022年10月25日 | ウルズラ・フォンディアライエン・EU・冷戦

「ウルズラ・フォン・ディア・ライエンの祖父はナチスだったか?」という質問 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ウルスラ・フォン・ディア・ライエン~リッベントロップー1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

から;

ウルスラ・フォン・ディア・ライエンの祖父が、ナチスであったとの情報が正しいかどうかはわかりませんが、もしそれが本当であったとしても、欧州連合の父の一人と呼ばれる人が元ナチスであったくらいですから、不思議はないのかもしれません。

国連の事務総長を務めたクルト・ヴァルトハイム

クルト・ヴァルトハイム - Wikipedia

が元ナチス将校だったことは昔ニュースになりましたが、同じ例があるんですね。欧州連合にも。

ヴァルター・ハルシュタイン - Wikipedia

抜粋:

ヴァルター・ハルシュタイン(Walter Hallstein, 1901年11月17日 - 1982年3月29日)は、第三帝国、ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の法学者、政治家。欧州経済共同体初代欧州委員会委員長。欧州連合の父の一人として知られる[1]。

経歴
学究
ドイツ西部のマインツで生まれた。ベルリン大学などで法学を学んで1925年に博士号を取得した後、ベルリン大学助手を経て1926年にベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所で外国私法や国際私法の研究員となり、1930年にロストック大学の教授、1941年にはフランクフルト大学の教授となった。この間、国家社会主義法律家連盟、国家社会主義国民福祉協会、国家社会主義ドイツ人教師連盟などの職能団体に加入していた[2]。1938年にローマで開かれたイタリアとの交渉会合にドイツ代表として出席した[3]。 第二次世界大戦中の1942年からはドイツ国防軍の予備役中尉としてフランス北部で第709歩兵師団に配属されたが、1944年にシェルブールでアメリカ軍の捕虜となった。ハルシュタインはアメリカのミシシッピ州に設けられた捕虜収容所に送られたが、彼はここで「収容所大学」を創設し、捕虜に対して法学を講義した。

こちらはNATO-

アドルフ・ホイジンガー - Wikipedia

ヴェルナー・フォン・ブラウン - Wikipedia

 

いずれも、「ナチスであったけど、実は連合軍にも寄与した」と言うことになっていたのでしょう。つまり、二重スパイ的。

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