前回
オリエント鉄道とドナウ連邦構想と宗教-3(ロスチャイルドと「南部鉄道」) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
の末尾で、
個人的には、「ロスチャイルド」の陰謀という時は、このフランスのジェイムズ家が黒幕である場合が主、ロンドン家が2番手、という気がします。
と書きましたが、途絶えたと思っていたフランクフルト・ロスチャイルド家が、娘婿を通じてゴールドシュミット家に繋がっていったことを『ヘブライの館』さんの記事で知りました。
ヒトラーに逮捕されたウィーンのユダヤ人大富豪ルイス・ロスチャイルドの秘話 (client.jp)
Goldsmith(ゴールドスミス)は英語風。ドイツ語風がGoldschmidt(ゴールドシュミット、ゴルトシュミット)です。
さて、フランクフルト・ロスチャイルドを引き継いだ「マクシミリアン」と「ゴールドシュミット家」のwikipediaを-
Maximilian von Goldschmidt-Rothschild - Wikipedia
Google翻訳:
マクシミリアン・フォン・ゴルトシュミット・ロスチャイルド (1843 年 6 月 20 日 – 1940 年 2 月 18 日) は、ドイツの銀行家で美術収集家でした。 ベネディクト・ハユム・サロモン・ゴルトシュミットの息子で、弟のアドルフ・ゴルトシュミットとともにゴールドシュミット家の銀行の共同相続人でした。
彼はヴィルヘルム・カール・フォン・ロスチャイルドの娘であるミンナ・カロリーネ・フライン・フォン・ロスチャイルドと結婚した。 ある時点で、彼はドイツ帝国で最も裕福な人物と見なされていました[1]。 フランクフルト・ロスチャイルド家の最後の男性である義父の死後、マキシミリアン・ゴルトシュミットと彼の妻はロスチャイルドの名前を採用した. 皇帝ウィリアム 1 世は、彼にゴールドシュミット ロスチャイルド男爵の称号を与えました。[要出典]
(後略)
Goldschmidt family - Wikipedia
Google翻訳:
ゴールドシュミット家はドイツ系ユダヤ人の家系で、もともとはフランクフルト アム マイン出身で、銀行業と金融業での成功で知られています。
起源は 15 世紀にさかのぼり、ほとんどのメンバーは 1614 年のフェットミルヒ蜂起の後、フランクフルトを離れることを余儀なくされ、18 世紀まで戻ることはありませんでした。
家族は、特にロスチャイルド家、マインツのビショフスハイム家[2]、およびモナコで最も裕福な家族の1つであるバルトロメ家と織り交ぜられました。 ビショフスハイム家とゴルトシュミット家は共同でビショフスハイム、ゴルトシュミット & Cie 銀行を管理し、最終的に 1863 年に BNP パリバの前身であるバンク デ クレディ エ デポ デ ペイバに合併されました。
1903 年 9 月 6 日、マクシミリアン ゴルトシュミットは皇帝ヴィルヘルム 2 世によってプロイセンのフォン ゴルトシュミット ロスチャイルド男爵に昇格しました。 したがって、家族はドイツの貴族の一員になりました。
家族の英国支部は、フランク ゴールドスミス (1878–1967) から始めて、自分たちの名前をゴールドスミスに英語化しました。 その最も有名な 20 世紀のメンバーは、億万長者のジェームズ ゴールドスミスでした。 今日最も有名なのは、リッチモンド パークの国会議員だったザック ゴールドスミスです。 ザックの妹、ジェミマは、パキスタンの元クリケット選手から政治家に転向した元パキスタン首相のイムラン・カーンと結婚していました。 家族のこの枝のメンバーは、英国で男爵の称号も授与されたため、英国の貴族に属しています.
イギリスに渡ったフランクから、Goldsmithに改名。
たまたま、イギリスのウィリアム皇太子の妻は、ケイト(キャサリン)妃で、「Goldsmith」名の一族と繋がりがあります。
「反ユダヤ」は時に便利に使える言葉・ケイト妃にユダヤ系親族がいると困る? - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
ただし、Goldschmidt系かどうかはわかりません。
参考:
銀行とユダヤ人-3(Goldsmithと銀行) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
アムシェル・マイアー・フォン・ロートシルト - Wikipedia