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『マイ・インターン』と『リトル・ガール』

2023年07月03日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

先週末は2本の映画を観ました。

一本は、ロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイの「マイ・インターン」。

映画『マイ・インターン』オフィシャルサイト (warnerbros.co.jp)

実この映画は息子からだいぶ前から薦められて、観ていなかったものです。

息子の映画の好みは私とだいぶ違うので、「気楽に見て楽しめる映画」くらいで薦めていると思っていましたが、何のことはない、「引退組」としての私に薦めていたようなのが、観てわかりました。

といっても、悪人が出てこない、引退組のファンタジー映画は確かに楽しめました。

息子世代だと、ロバート・デ・ニーロ演ずるベンの気持ちは理解できない部分もあるかもしれませんが、その点、シニア世代はよくわかります。

(特に、アン・ハサウェイ演じるジュールスに、何のためらいもなく真夜中のホテルの一室に誘われ、同じベッドで休むことになったことが、ベンをファンタジーから覚めさせてしまったところなど、若い人にはピンと来ないかもしれません。

-悲哀です。「こんな役をロバート・デ・ニーロにやらせるなんて!」という批判がアメリカであったそうですが、昔はアル・カポネ役まで演じた俳優ロバート・デ・ニーロが演じる-彼が演じたから、あの場面は洒落でもあり、リアルでもなあったと思います。)

 

そして2本目。

『マイ・インターン』と打って変わって、こちらは「トランスジェンダー」の7歳(8歳)の子と両親の闘いのドキュメンタリー映画。

映画『リトル・ガール』オフィシャルサイト (senlisfilms.jp)

抜粋:

フランス北部、エーヌ県に住む少女・サシャ。出生時、彼女に割り当てられた性別は“男性”だったが、2歳を過ぎた頃から自分は女の子であると訴えてきた。しかし、学校へスカートを穿いて通うことは認められず、バレエ教室では男の子の衣装を着せられる。男子からは「女っぽい」と言われ、女子からは「男のくせに」と疎外され、社会はサシャを他の子どもと同じように扱わない……。

トランスジェンダーのアイデンティティは、肉体が成長する思春期ではなく幼少期で自覚されることについて取材を始めた監督は、サシャの母親カリーヌに出会った。長年、彼女は自分たちを救ってくれる人を探し続けて疲弊していたが、ある小児精神科医との出会いによって、それまでの不安や罪悪感から解き放たれる。そして、他の同じ年代の子どもと同様にサシャが送るべき幸せな子供時代を過ごせるよう、彼女の個性を受け入れさせるために学校や周囲へ働きかける。まだ幼く自分の身を守る術を持たないサシャに対するカリーヌと家族の献身、言葉少なに訴えるサシャ本人の真っ直ぐな瞳と強い意志が観る者の心を震わせる。

映画『リトル・ガール』予告編 - YouTube

 

「サシャは2歳くらいから、体は男の子で生まれてきたけど、心は女の子であった」と言い、「妊娠した時、女の子を願い、お腹の子が男の子であるのを知って落胆した。だからサシャは女の子になりたがるようになった。(←当然医師は否定)」と自分を責めていると母親カリーヌは言います。

映画に出るサシャは、7歳(8歳と父親が話しているらしい)にしては小柄ですが、話す内容が大人びているので、もともと精神年齢が高い子供でしょう。

そうであっても、「2歳の子供が自分の性別を認識し、それが「本当の自分ではない」とまで言う」というのは、本当なのだろうか?と疑問符が付きます。

私が子供のころ、従姉妹のようにして育った女の子に弟ができました。その男の子は、色白で華奢なうえ、髪の毛を短くすることをひどく嫌い、栗色がかった髪の毛を、肩より下まで伸ばしていました。(両親とも髪を切らせないのに参っていましたが、「ま、幼稚園に行くまでは好きなようにさせよう。」と鷹揚に構えていました。)

髪は長くて、色白、華奢でも、性格は普通の男の子。

彼があの頃、自分の性別を意識して髪を伸ばしていたようには思えなかったので、より違和感を持って観てしまいました。

パリの医師も、サシャの7歳前の成長記録(生まれてから7歳まで、サシャはいろいろな医師や保健師に検診してもらっているはず。)を見ずに、将来のホルモン治療についての話をするのもどうなのか。

「サシャの見かけが「女の子」に見えたこと」「女の子の恰好や遊びなどに興味を持ったこと」は、女の子が欲しかった母親にとってどうだったのか。(母親は女の子を死産。子供はサシャの前に男の子。サシャの次の子も男の子。)

「サシャがお腹にいるときに女の子を欲しがったことがサシャに影響を与えた」と彼女は自分をせめていたようですが、サシャが女の子に見えたことで、「実際の性別が間違いのはず。サシャは息子でなく娘として生まれてくれた」と先に思い込んだのは彼女ではなかったのか。

この母親は、医師との面談でも、サシャが答える前に、「こういうこともあったわよね。」と誘導していますが、小さいときからそうで、サシャはある意味洗脳された部分もあったのではないか。

映画には、サシャを女の子として認めない大人も子供もほとんど出てきませんが、彼らが単に「トランスジェンダーを認めない」からサシャのケースを認めないのか、それとも、サシャの母親、家族の行動を観てきた結果なのか。

 

もちろん、私の懸念が全く見当違いであれば、サシャを女の子として認めるべきとは思いますが、そもそも、片方の視点でしか描かなかったこの映画は好意的にはとらえられませんでした。

 

オマケ:

息子がまだしゃべりだす前、結婚して息子が1歳3か月まで住んでいたので、たぶん1歳から1歳3か月の間にやったこと。

①なぜか一人鏡台(高さが約40cmより上が鏡)に向かって、顔に白粉をはたく真似。これは家に遊びに来てくれた義母がやっているのを発見。
「ゆかちゃんあまりお化粧しないし、そもそも白粉はたくこともないだろうに、どこで覚えたの!?」

②歩くのもやっとなのに、気が付くとお財布を持って、トイレブラシをトイレに突っ込もうとしてました。(当時住んでいた賃貸は古い集合住宅。トイレの扉がすぐ開いてしまった。)まだオムツなので息子はトイレは使ったことがなかったし、そもそも私は財布を持ってトイレ掃除したこともなし。

「赤ちゃんの、模倣でもない行動は、前世の記憶か?」なんて不思議に思いましたが、結局、「女らしさ」は感じられぬ男の子に育ちました。

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