Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

歴史の教科書に載らない偉人-ワシントン・グラッデン(2)

2020年01月21日 | 歴史の教科書に載らない偉人

ワシントン・グラッデンについて書いてある面白い記事がありました。 

Christian Today(2016年10月24日)
キリスト教から米大統領選を見る(16)米国の「社会的福音」の歴史とサンダースの民主社会主義
By 青木保憲
https://www.christiantoday.co.jp/articles/22383/20161024/united-states-presidential-election-2016-16.htm

(前略)

米国が大きく変わった節目として、南北戦争は1つの「事件」であった。米国人が血で血を洗う争いを起こしたということだけでなく、その後の北部、南部というくくりを生み出したという意味でも、後の米国社会を方向づけたといえよう。 

そしてもう1つ、米国内に極端な貧富の差を生み出す契機となったのも、この南北戦争であった。その極端さは常軌を逸していた。人口の10パーセントが、国家の10分の9の富を独占していたのだから。 

その結果、人々の道徳性は退廃の一途をたどった。それに対して、従来のピューリタン的キリスト教は人間の罪を指摘することで、個人的な回心を迫った。しかし一方で、このようなやり方では改善が得られないと考える者たちもいた。その代表がワシントン・グラッデンであった。 

1875年当時、彼はマサチューセッツ州で会衆派牧師をしていた。そこは一部の経営者が多くの労働者を雇い、劣悪な環境で長時間の労働を強いていた。この状況に耐えきれなくなった低所得者たちは、不正な犯罪行為に手を染めていくこととなった。

(中略)

グラッデンは、この状況を改善するのに、単に個々人の回心だけでは足りないことを痛感した。道徳的改善を求めるために、まず経済的な改善を成し遂げなければこれは達成できないと考えたのである。そして彼は、個人の罪ではなく、社会の罪、そして社会制度自体の改善を通して人々を救済することを目指し始めたのである。これを「社会的福音運動」と言う。チャールズ・ホプキンスは、この概念を次のように述べている。

(中略)

やがて1870年代以降、社会的福音の考え方は2つの方向に分岐する。1つはこのような社会全体を改善する働きを教会が担うべきとする方向性。もう1つは、これを教会ではなく、労働組合やストライキなどの社会運動によって世界を改善しようとする流れである。そして後者から1890年代に「キリスト教社会主義」が生み出されていくこととなる。 

しかし、ここで断っておかなければならないのは、米国に共産主義は根付かなかったということである。特にマルクス主義に代表される共産主義勢力は、自らの独自性を謳(うた)うのに、従来の宗教性を否定した。それはキリスト教の神を認めないことにつながる。                 

そのため、米国では共産主義を聖書に登場する「悪魔」と見立てるようになり、これに伴って社会主義もその亜流と見なされる憂き目に遭っている。そのため、米国で「社会主義」という言葉は、一般庶民レベルでは用いられることがあまりなかった。

(後略)


グラッデンは、クリスチャンでありながら社会主義者でした。

やはり、社会主義を欧米が必要以上に敵視するのは、宗教もあってのことなのでしょうね。

ふと考えると、「自由(Freedom)・平等(equality)・博愛(Phiranthropy)」の精神は、キリスト教(カトリック、プロテスタント共)や仏教等の主流の流派にはあるでしょうが、「公正・公平(Fairness)」は入っていません。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 歴史の教科書に載らない偉人... | トップ | マルタ騎士団とモンサント・... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史の教科書に載らない偉人」カテゴリの最新記事