「2016年師走の仙台旅行記 2日目 #2」のつづきは、仙台城三の丸跡にある仙台市博物館の探訪記です。
仙台城の復元模型を見ると、仙台城が、広瀬川の河岸段丘に三の丸(下町段丘)と二の丸(上町段丘)が作られ、そこから一気に上り詰めた青葉山に本丸が設けられたことがよく判ります。
手前の大橋を渡り、五色沼の手前を左に折れて子門をくぐると三の丸、広い道をまっすぐ進んで大手門をくぐると二の丸、左の青葉山の上に本丸があります。
現代の地図を向きを変えて載せるとこんな具合。
基本的な地形・構成は変わっていませんから、なおのこと、上に載せた復元模型が楽しい
ところで、仙台市博物館のトイレのサインはこんな感じで、
伊達政宗と正室・愛姫(めごひめ)がフィーチャーされています。
更に、飲み物の自販機にも、
政宗公がフィーチャー
どんだけ「政宗 LOVE」なんでしょねぇ。
もちろん、常設展示も「政宗 LOVE」でした。
かの弦月の甲冑(黒漆五枚胴具足)はレプリカでしたが、ちゃんと展示されていましたぞ。
甲冑といえば、八日月に愛宕山大権現のお札を重ねた前立が印象的な片倉小十郎のもの(下の写真の左の甲冑)が強烈な個性を放っていましたが、こんなの見たことない甲冑が展示されていました。
上杉謙信所用と伝えられる「朱皺漆紫糸威六枚胴具足(しゅしぼうるしむらさきいとおどしろくまいどうぐそく)」です。
その名のとおり、しぼしぼの胴や草摺も見ものなんですが、
なんといっても凄まじいのは、阿修羅像ばりに、3つの顔が大々的に盛られた兜でしょう
胴は六枚の鉄板から成り、素懸風に紫糸で威す。全体を朱漆で皺塗(しぼぬり、たたき塗)とし、各所に桐紋と丸に大の字紋を蒔絵で表している。この具足の最も顕著な特徴は、三宝荒神をかたどった兜である。頭形(ずなり)の兜に赤・緑・黒の忿怒形の三つの顔をつける。
顔は紙を貼り重ねて成形し、漆で固めている。三宝荒神は修験道系の神とも、仏教系の仏ともいわれるが定かではない。
この具足は上杉謙信所用と伝え、延宝7年(1679)に旧上杉家臣の登坂家から伊達家に献上された。
だそうです。 皺塗の渋さと、奇天烈な兜との取り合わせが強烈です
それと、いかにも伊達ぇ~ な火事装束がまた良かった。
江戸末期の「黄羅紗地 竹に雀紋 火事装束」だそうですから、大名火消しの出動服ですな。
それにしても、火災現場にお殿様がこんな派手な装束で現れたら、逃げる人も逃げるのを忘れて見入ってしまいそうです。
見たかった「水玉模様陣羽織」が展示されていなかったのは残念ですが、それはまたの機会に、ということで。
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