新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

神社と博物館に初もうで #1

2017-01-15 19:04:18 | 美術館・博物館・アート/タウンウォッチング

きょうは、浦和の調神社と上野の東京国立博物館(トーハク)へ初もうでに行ってきました。

大寒波襲来中ゆえ、青空が広がっているにもかかわらず寒かった

まずは、自宅から30分ほど歩いて調神社に行ってお参り。

調神社の子持ちウサギ

真っ平らなイメージの強い浦和の街ですが、ちょっとした起伏はあるんですな。

おかげで、良い運動になって、この段階ではさほど寒さは感じませんでした。

ところが、浦和駅のホームで上野東京ラインを待つ時間(ほんの5分ほどだったのですが)は、寒風がビュービュー吹き抜けて、ホント、寒かった

そして、上野も寒くて、トーハク・平成館前の池には薄氷が張っていました。

さて、「博物館に初もうで」を開催中のトーハクに到着し、本館に入場したのは11:50頃。
ミュージアムシアターでは何をやっているんだろ、と思ったら、

「江戸城の天守」 ですって
「天守」は英語で"keep"ですって
フライヤーによれば、

徳川三代将軍家光によってつくられた江戸城最後の天守は、莫大な費用と最高の技術が注がれた史上最大の天守だったと言われています。それはいったいどんな姿をし、どのように作られた建造物だったのでしょう?
図面や絵図に加え、現存する文化財や伝統技術を手掛りに、来場者の皆さま一緒に江戸城天守の再現過程をお楽しみいただくプログラムです。

だそうで、江戸城天守には興味津々だし、12時からの回に間に合いそうだし、東京国立博物館パスポートを買った際にいただいた無料観覧券を持っているし、先に「江戸城の天守」を観ることにしました。

で、結論から書きますと、ほんっっっとに面白かった

大棟梁大統領ではない)として寛政の天守の造営を仕切った甲良豊後守(宗広)が手許に残していた図面(平面図&側面図)を元に全体構造をCGで再現し、同時期の建造物である二条城日光東照宮旧寛永寺五重塔絵図を参考に、装飾想像・再現したもので、とりわけ、がポコポコと立ち、床板がズラズラっと並び、更に上層の柱がポコポコと立ち、床板がズラズラっと並び…、破風が取り付けられ、銅瓦がペロペロッと葺かれるシーンはゾクゾクするほどでした。

加えて、初耳の話もいくつかあってドキドキ

まず、現存する天守台は、1657年明暦の大火で焼失した寛政の天守のものではなく、その再建用に準備されたものだということ。

そして、現存する天守台は御影石製だが、寛政の天守のそれは伊豆石製だったこと。
さらに、寛政の天守の天守台に使われていたは、 江戸城本丸の正門である中雀門に再活用され、現存していること(下の写真は2012年12月に撮ったもの)。

そしてそして、江戸図屏風で見るように、「黒い城」こちらの記事をご参照方)だった寛政の天守

その黒い壁面は、漆塗ではなく、銅板を張って黒く塗ったものだったこと。屋根だけでなくまでも銅板貼りの天守だなんて、なんと贅沢な…
銅板貼りの壁を採用したのは防火対策だったそうですが、竣工から20年も経たずに焼失してしまうとは、なんとも無常 

そしてそしてそして、寛政の天守には、普通の天守に付きものの「石落とし」「狭間」の類が皆無だったということ。
つまり、寛政の天守戦に備えた施設ではなかったというわけですな。 

なんだか、私は江戸城天守のことを何も知らなかったって感じ…

そんな私でも、寛政の天守5層の大天守だったことは知っておりまして、天守台に出かけるたびに、その偉容想像していたのですが、「江戸城の天守」で他の天守との比較を聞いて改めて驚愕

なんでも、天守台の置かれた地盤からの高さは、姫路城大天守1.5倍松本城大天守2倍なんだそうな

上に載せた松本城天守(見聞録こちら)の2倍の高さって、、、、、

こんな具合に、「目からウロコ」連発「江戸城の天守」の上演は3月31日まで
これはお薦めです

というわけで、きょうの見聞録はまだつづきます
これで書きかけのシリーズ三つ目う~む、、、であります。

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