新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

2016年師走の仙台旅行記 2日目 #2

2017-01-17 21:50:22 | 旅行記

「2016年師走の仙台旅行記 2日目 #1」のつづきです。

冬期オリンピックフィギュアスケートの日本人金メダリスト2人います。御存知のとおり、トリノ大会(2006年)荒川静香さんと、ソチ大会(2014年)の羽生結弦くんですが、お二人とも仙台でスケートを始め、東北高校OG&OBで、仙台本拠地でした。
仙台は、名古屋と並び、フィギュアスケートの有力選手を輩出する地なんですが、もしかすると、そのルーツはこちらだったのかも… 

仙台城大手門跡の手前、三の丸の入口にある跡、五色沼です。
説明板によれば、

明治中期、外国人たちがこの場所でスケートを始め、明治42年(1909)頃に第二高等学校生がドイツ語教師ウィルヘルからフィギュアスケートの指導を受けたという。後に彼らや後輩たちが全国各地で不朽に努めたことから、五色沼(堀跡)は日本フィギュアスケート発祥の地と言われている。

だそうで、説明板に載っている「五色沼でスケートをする第二高等学校生/大正13年頃」の写真が楽しい。

五色沼でスケートに興じる二高生たち

写真の中央奥に写っている大手門は、豊臣秀吉朝鮮出兵の根拠地にした肥前・名護屋城の門を移したとも写した(模した)とも言われていますが、仙台市博物館で購入した「仙台城ポケットガイド」は、この点には触れず、

大手門は仙台城全体の正門で、藩主の出入りの時や特定の儀式の時にしか開門されない特別な門です。幅約20m、高さ約12.5m。二階建てで、日本国内の城門としても最大級の大きさでした。(中略)
実は、この大手門は、正確な建築時期がわかっていません。伊達政宗による築城期の建築とする説がある一方で、政宗が仙台城を大改築した慶長10年代から元和年間(1615-1624)にかけてとする説や、二代藩主忠宗が二の丸を作った寛永10年代後半(1638-1642)とする説があります。

としています。
いずれにしても、現存していれば国宝級だったのは間違いない(1931年に旧制度で国宝指定)大手門ですが、残念ながら1945年7月10日仙台空襲焼失

それ以前に、本丸・二の丸とも破却・焼失していたことから、江戸時代の遺構は縄張以外残っていない仙台城趾です(大手門跡にある脇櫓1967年に再建されたもの)。 

戦争の話になったついで、というか、何というか、、、仙台城本丸跡に立つ伊達政宗騎馬像のお話を…。

伊達政宗騎馬像は、日本国内の騎馬像の中でも最も知られている像じゃないかと思っておりますが、ホント、カッコイイ

実は、この騎馬像二代目
現在の像の台座にはめ込まれた「仙台市観光協会」による銘板(1964年10月1日付け)によりますと、

仙台藩祖伊達政宗卿騎馬の銅像が森の都(ママ)仙台の青葉山につくられたのは昭和10年のことである 
ときの宮城県青年団が郷土の彫刻家小室達氏に託して制作した 
19年1月太平洋戦争による金属徴用でその姿を消したが 28年10月新たに卿の平服姿をかたどった白色セメント立像小野田セメント株式会社が制作して市に贈った

たまたま騎馬像の原型が柴田町に保存されていることがわかり 銅像再建を望む声が高まったので 37年10月本協会法人改組の記念事業として復元を企てたところ 幸いに宮城県 仙台市 柴田町の支援と県内外の熱心な協賛を得て事業もはかどり ここに卿の勇姿を復興することができた
経済の開発と文化の発展につくした英雄の風格は郷土繁栄の象徴として その遺徳とともに永遠にたたえられるであろう 

だそうで、1953年10月から10年あまりにわたって本丸跡に立っていたという「卿の平服姿をかたどった白色セメント立像」はこちら

う~む、、、騎馬像と比べると、インパクトが希薄すぎる気が…

寄贈してくれた小野田セメント(現・太平洋セメント)さんには申しわけないけれど、

銅像再建を望む声が高まったので 37年10月本協会法人改組の記念事業として復元を企てたところ 幸いに宮城県 仙台市 柴田町の支援県内外の熱心な協賛を得て事業もはかどり…

という展開は、さもありなん…です。

ちなみにこの「白色セメント立像」仙台城本丸跡から撤去された後は、政宗公が仙台城を築くまで本拠地にしていた岩出山城の跡移築された由。
よかった、よかった…。

そして、 1944年撤去され、軍需に転用されてしまった初代の騎馬像は、その一部が奇跡的に保存され、今、仙台城三の丸跡というか仙台市博物館に隣接して、展示されています。
それがこちら

台座に記された文を転記しますと、

この像は現在青葉城址にある政宗公騎馬像の最初のものであって 第二次世界大戦中 軍に徴用されたものの騎馬部分のみ溶解され この部分は終戦後塩釜市内に打棄てられてあった
幸い郷土史家石川健吾氏がこれを発見し 私費を投じて購い 青葉神社に奉納したものを石川氏のご意志により神社側の了解のもとに本館に移したものである

だそうです。

仙台市博物館にお出かけの際には、館内だけでなく、こちらも観ないともったいないですぞ
めちゃくちゃ間近に、それこそ、「手を伸ばしたら 届きそうなほどの距離から政宗公を拝見できますから

ただ、

クマ出没 注意

クマさんにはご注意くださいね

つづき:2017/01/21 2016年師走の仙台旅行記 2日目 #2

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