きのう、3回目の車検を迎える愛車
を自動車ディーラーに持ち込んだ後、バス
&電車
を乗り継いで日本橋へ繰り出しました。
目的は、三井記念美術館で開催中の特別展「超絶技巧! 明治工芸の粋(すい)」を観ること。
この展覧会のことは(予想以上に混んでいたけれど満足
)後日に廻すことにいたしまして、きょうは約2年振りの日本橋(2年前の記事はこちら)のことを書くことにします。
私にとって「日本橋」というエリアは縁遠い感じを持っていて、めったに出かけることはありません。
東京駅の日本橋口から街に出て、「3・11」から間もないあの日以来久しぶりにプロメテウス像を横目に見ながら、まずは日本銀行本店
このブログのごく初期にこちらの記事で採り上げて以降、何度も日銀ネタが登場しておりますが、それだけ日銀は支店を含めて印象的な建物が多いということでしょう。
但し、この日銀本店(本館)を地べたから観たのは、今日が初めて
でした。クルマ
や電車
の車窓からは何度も眺めた
ことがあったんですけど…
で、実のところ、建物がデカいことに加えて、街路樹があって、グラウンド・レベルからは良く観賞できないことがよく判りました。
ちょいとがっかりしたものの、日本橋三越本店では面白いものを見つけました。
それは、上に載せた金色に輝くマーキュリー像とどっしり構えるライオン像ではなく、このちょうど裏側(日銀側)にある搬入口
そこに掲げられているのは「朱引線(SHU-BIKI-SEN)」なる表示です
「朱引」といえば、江戸幕府が江戸の範囲を示すために地図に引いた線を思い出すわけですが、日本橋三越本店では、
商品・先地品は許可なくこの朱引線を越えて持出(持込)することを厳禁します。
この場所からの従業員出入は禁止されています。
だそうで、いわゆる「結界」のようなもののようです。
すごいですなぁ~。さすがは三井越後屋呉服店の流れを汲む超老舗の三越だけのことはあります。
ところで、下に載せたのは、私が敬愛する歌川廣重の作品。
「東都名所 駿河町之図」です。
この絵を描いた廣重の視点から現在の風景を眺めると
、こうなります。
「江戸橋通り」から富士山
を望む
のは到底無理な状況です
(「江戸橋通り」の道標は12代目 市川團十郎さんの筆
によるものらしい)
でも、江戸時代から現代まで、繋がる部分は繋がっていることが感じられるというのは、楽しいものです。
あ、そうだ
日本橋(街ではなく橋の方)の麒麟像が、阿吽になっていることに、きょう初めて気づきました。
橋中央部の柱には、2頭の麒麟が背中合わせで鎮座しています。
東側のペアは、
北向きの麒麟が「阿形」で、南向きの麒麟が「吽形」になっていますな。
一方、西側のペアは当然の様に逆で、南向きの麒麟が「阿形」です。
つまり、日本橋を渡るべく、真正面
から向き合うと、左に「阿形」、右に「吽形」の麒麟が待ち構えているというしつらえです。
橋の両端で、東京の紋を(現在のものとは微妙に違う)支えている獅子も同様で、左
が阿形で、
2009年10月の記事「ライオン、狛犬、獅子、そしてAmazon」で書いた
(引用した
)ように、獅子&狛犬の配置は、「向かって右側が口を開いた角なしの『阿像』で獅子、左側が口を閉じた角ありの『吽像』で狛犬」が一般的なはずなのですが、この日本橋の配置(向かって左側が「阿形」、右側が「吽形」 )はどうしたことでしょうか?
ググって調べてみましたけれど、日本橋の麒麟が「阿吽」になっていることは、こちらのサイトでも書かれていましたが、「阿吽」の配置が「常識とは逆
」になっている理由は判りません…
御存知の方がいらっしゃいましたらご教示くださいませ
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