遅まきながら、「ウン十年ぶりの竿燈を楽しんだ #1」のつづき、3年ぶりに開催された秋田竿燈まつり 3日目(8月5日)の夜竿燈のお話です。
昼竿燈から戻った私は、1時間ほど別邸でくつろいだ後、既に汗にまみれた服を着替え、16:40頃、再度出撃しました。
昼は路線バスを使いましたが、時刻表を睨みながらの検討の末、今度は20分を要して最寄りのJRの駅まで歩き、電車で街に向かいました。
秋田駅に着くと、改札口が長蛇の列
何事かと思ったら、乗ってきた電車は秋田駅から2つ目の新屋駅始発で、新屋駅も途中の羽後牛島駅も昼間以外は無人駅のため、定期券以外の人は秋田駅で精算する必要があるという
ちなみに、秋田エリアでSuicaが使えるようになるのは来春以降とのこと (新幹線eチケットは現在も使える)
そんなわけで、5分以上を費やして改札口を抜け、徒歩で竿燈会場に到着するとちょうど竿燈を一斉に立ち上げるタイミングでした。
そして、すぐに、竿燈会会長の合図で、竿燈の演技が始まりました
せっかくのウン十年ぶりの竿燈ですから、近くで観ないと と、歩道橋を渡って、会場の竿燈大通りへ…。
歩道橋ではずらっと大勢の人が並んで進んでいて、代々木の第一体育館でライヴが終わったあとの周りの歩道橋みたいな状況でした。
そして、二丁目橋を渡ると、間近に竿燈を見上げることができました
手前の2本の竿燈のうち、左は下米町一丁目、右は寺町二区のもの。
空には半月が浮かんでいました。
月齢から想像がつくとおり、この日、8月5日は、旧暦だと7月8日。
2009年の記事「七夕と『たなばた』」で書いたように、竿燈まつりは仙台の七夕まつりや青森のねぶたと同様、「七夕」のお祭りです。
竿燈の起源についてWikipediaをみると、
笹や合歓木に願い事を書いた短冊を下げ、それを手に練り歩き川へ流して真夏の邪気や睡魔を払う「眠り流し」が原型とされている。眠り流し自体は江戸時代以前より行なわれており、宝暦年間には現在の原型があったとされ、五穀豊穣や無病息災、技芸上達を願って、旧暦7月7日にあわせて行われる七夕行事とともに、旧暦7月15日のお盆を迎え入れるための一連の行事として現在の形になったとも言われている。
と書かれています。
わたしの祖父は、「竿燈」とは呼ばずに「ねぶり流し」と言っていましたっけ…
それはともかく、二丁目橋付近はスゴい人で、場所を変えるべく山王交差点方向へ歩き出したのですが、歩道は「右側通行」で、私がいる竿燈大通りの北側の歩道だと、立ち止まって竿燈を観ることは難しいことに気づきました。
そこで、会場の東端まで引き返して、南側の歩道に移動しました。
すると、予想どおり、西に歩きながら「この竿燈をじっくり観たい」と思えば、ちょっと車道側に身を寄せれば、歩く人の邪魔にはなりません
で、赤い将棋の駒に白抜きで「馬」は、向馬口労町(むかいばくろうまち)の町紋です。
小さい子たちもがんばっていました
一番小さな竿燈は「幼若」とよばれるもので、これでも長さは5m、重さは5kgもあります(スタンダードサイズの「大若」は長さ12m、重さ50kg)。
いくつか提灯の火が消えていますが、これは何度か竿燈が倒れた証。
めったにありませんが、垂直に落下させると、竿の底が地面に当たった衝撃で、ロウソクが全消しになったりします
そうこうしているうちに、最初の「移動」
各町内・団体が時計回りに移動します。
つまり、これまで観た竿燈がやって来るわけで、このタイミングで、私はさらに西側に移動しました。
そして、第2ラウンド。
今年の出竿団体は、町内竿燈が38町内、学校・職場・企業竿燈が26団体だとか。
学校・職場・企業竿燈の提灯の図柄は校章やロゴマークがほとんどで、町内竿燈は、町紋が描かれた提灯の竿燈と、スポンサー企業のロゴマークの提灯の竿燈が混在しています(写真の馬口労町のスポンサーはJTB)。
そりゃ、旧町名の狭い区域(例えば、私が入学した小学校の学区内には10近い出竿町内がある)で竿燈を出すのには住民からの寄付だけで賄うのは難しいですから…。そして、スポンサー企業の社員さんも、その町内の人たちに交じって竿燈を差せます。
そんな中で見つけた、初めて見る竿燈がこちらでした。
日赤の竿燈らしいのですが、この図柄は何?
と、帰宅してから調べるとこちらのサイトに行き当たり、提灯に描かれているのは日赤のキャラクター「ハートラちゃん」なのだと判りました。
それと共に、日本赤十字社秋田県支部、秋田赤十字病院、秋田県赤十字血液センター、秋田赤十字乳児院、日本赤十字秋田看護大学・短期大学で組織する日赤竿燈会は、2020年から参加する予定だったものの、コロナ禍で竿燈まつりが中止になってしまい、ようやく今年、初参加したというのですから、私が初めて観るのも当然です
一方、こちらは昔も観た記憶があります。
JR東日本は、JRマークではなく、秋田鉄道管理局時代からの「動輪マーク」を使っていました
2度目の「移動」が終わり、最終ラウンド
スゲぇ と思ったのが、昼竿燈(妙技会)では見られない「口」で支える演技でした。
継竹を含めれば60kgはある竿燈を口で支えるって、どんな顎の持ち主なんだ ですが、それだけではなく、ある人は口で竿燈を差しつつ、左右の手にそれどれ傘を差してるし、ある人は一番下の継竹に電飾を施しているしと、良い意味で外連味たっぷりでした。
あわわ と驚きながら写真を撮ったのですが、私の動揺のせいで、どちらの写真もピンボケ & ブレまくりで、載せることはできませぬ
一方、これは前途有望だ と思ったのが、
八日町の小若 (2番目に小さな竿燈)でした。
継竹を何本も足して、こんなに長くして差しています
おそらく差し手は中学生だと思いますけれど、きっと良い差し手になることでしょう…
さて、私は、じわりじわりと西方向に位置を変えて行き、会場西端の山王十字路から、北側の歩道に入りました。
そして、ここからどこまで東に進めるか と思ったところで、まつり3日目の竿燈がお開きになりました。
なんとも1時間があっという間でした。人混みの中、ほぼ歩き続けていたというのに、疲れなんぞありません
暑からず寒からずという好天だったのもあるでしょう。
で、会場を2/3周して判ったのは、東端の二丁目橋と西端の山王十字路辺りは観客がとても多いものの、真ん中辺りではゆったりと観られるということでした。
今年の竿燈まつり4日間を通しての人出は、コロナ禍前に比べてかなり少なかったそうですが、次回観に行くときには、今回のように二丁目橋側から会場に入るのではなく、真ん中辺りから竿燈大通りに入るようにするつもりです。
で、竿燈大通りから川反通りに入り、三丁目橋を渡ったとき、時刻は20:40でした。
このタイミングだと、次のバス (終バス)は21:40頃、次の電車は更に遅くて22:27 (21時台に羽越本線の上りは無い)。
さて、どうする
その顛末と、落ち穂拾いは「#3」で書きます。
つづき:2022/08/14 ウン十年ぶりの竿燈を楽しんだ #3:完結編
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