「深谷までドライブ #1 『中の家(なかんち)』まで編」のつづきです。
「旧渋沢邸 中の家」の「土蔵IV」は、1階が奥座敷、2階が宝蔵として使われていたそうですが、私の目は屋根の鬼瓦にLock On
奥の鬼瓦には渋沢家の家紋「丸に違い柏」が描かれていて、手前には別の紋が描かれています。
この「別の紋」は、「澁澤」の名を冠した数少ない企業、澁澤倉庫のトレードマークに使われているはずなんですが、この「別の紋」と渋沢家とはどんな関係があるのだろうか?
帰宅してから、澁澤倉庫のHPを見ると、答えがありました。
澁澤榮一の生家は、現在の埼玉県深谷市にあり、農業・養蚕の他に藍玉(染料)の製造、販売も家業としていました。この藍玉の商いをするときに使用した記章が「別の紋」であり、澁澤家では「ちぎり」と呼んでいました。
文献によりますと、「別の紋」は「りうご」あるいは「ちぎり」共に正しいとのことですが、当社の昔からの言いならわしによれば、元来は糸巻に糸を巻き付けた形であって、この形が鼓を立てて横から見た形に似ているところから「立鼓(りうご)」とか、またあるいは、「別の紋」は漢数字の「五」が立っている形と見て「立五(りうご)」と呼ぶようになったとも伝えられています。
だそうな。
上の転記で「別の紋」と表記した部分は、HPでは、社章の画像が使われています。
そうか、渋沢家の家紋と商標なんですな。
実は、NHK大河ドラマ「青天を衝け」の第1回を見返すと、藍玉を入れた袋にこの「ちぎり」の焼き印を捺す場面が出てくるし、「青天を衝け 紀行」
では、しっかりと、「渋沢家が商売の際に使用した商標紋」と説明されておりました
私の目は節穴か
「中の家」から200mも離れていないところに、立派すぎるくらいの鳥居を持つ諏訪神社があります。
諏訪神社にも駐車場があるのですが、「中の家」から歩いてすぐの距離です。
私は、諏訪神社に駐車場があることは知りませんで、クルマ
を「中の家」の駐車場
に置いて、歩いて
往復
しました。
で、栄一さんが晩年まで大好きだったというこの神社の篇額は、もちろん「澁澤栄一謹書」。
Wikipediaによると、「諏訪神社」を名乗る神社は、
全国に約25,000社あり、長野県の諏訪湖近くの諏訪大社(旧称:諏訪神社)を総本社とする。
だそうで、この血洗島の諏訪神社もご多分に漏れず、境内の「諏訪神社修繕記念碑」には、
当社は、その創立の年代を詳らかにしていませんが、かつては諏訪大明神ととなえ、信州諏訪の地より勧請したものと伝えられています、江戸時代には岡部藩主安部氏の崇敬するところでもありました。
と刻まれていました。
そして、御神紋はというと、
「丸に立ち梶の葉」です。
総本社たる諏訪大社の御神紋は、こちらで書いたように、上社が4本の根を持つ「諏訪梶の葉」、
下社が5本の根を持つ「明神梶の葉」で、
共に「カジノキ」がモチーフになっています。
ちなみに、諏訪大社上社で拝見したホンモノのカジノキの葉っぱがこちらです。
どちらかというと、諏訪大社の御神紋よりも、そこから別れた各地の諏訪神社などが使っている「立ち梶の葉」の方が、実物に近い気がします。
それはともかく、「梶の葉」の紋を見たら、「諏訪大社と縁がある」と思いましょう。
最後は、「尾高惇忠生家」で拝見したこちら
こりゃどう見ても、家紋ではなく商標ですな。
リーフレットによれば、
「入り山二」の印は、当時、菜種油等の商いをしていた尾高家の商標にあたるものと考えられます。
だそうです。
そういえば、「青天を衝け」で、尾高千代さんが油
を売りに行く場面がありましたな
それはそうと、尾高家の紋は何?
尾高惇忠の肖像写真を見ると、はっきりとは判りませんが、なんとなく「丸に木瓜」紋のように見えます。
実際のところ、どうなんでしょ…
記事の前半に「青天を衝け 紀行」からのキャプチャー画像を載せましたが、「ちぎり」入りの鬼瓦満載の建物はどれなんだろ? と思って、撮った写真
をじっくり見て、見つけました
正門の右側にある「副屋」で、リーフレットによると、
現在の副屋は、明治44年(1911)に上棟。
それ以前には藍玉の取引きにつかわれたのか「お店」と呼ばれていた。
また、市郎(栄一の妹・ていの婿)が近隣の子供に漢学を教えるために学者を住まわせていた時期もあるという。八基村農業協同組合事務所として使われていた時期もある。
だそうで、建て替えられる前の「お店」と呼ばれていた頃の設えを踏襲して、商標入りの鬼瓦や軒丸瓦を使ったのかもしれません。
ということで、「紋編」はここまで。
#3は「石碑編」とする予定です。
つづき:2021/04/08 深谷までドライブ #3 石碑編
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