新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

「藤城清治の世界展」に行ってきた

2011-08-13 18:01:51 | 美術館・博物館・アート

昨日、母親のリクエストに応じて、秋田県立近代美術館(横手市)で開催中の「光と影のファンタジー 藤城清治の世界展」に行ってきました。

この展覧会が開催中であることは帰省前から知っていて、なんとなく「連れて行って欲しい」というリクエストが来そうな予感がありましたから、すぐさま了解しました。
もともと、私は自宅に藤城さんの作品を額に入れて飾っているくらいですから、憎からず思っておりましたデス

110813_2_1 そんなわけで、秋田自動車道を走ること1時間弱で、2年ぶり秋田県立近代美術館の(前回の記事はこちら)に到着しました。

美術館に向かう通路にはおなじみのコビトの図柄のフラッグが下がっていて、気分が盛り上がります

110813_2_3 ちなみに、秋田県立近代美術館秋田ふるさと村という観光テーマパークの中にあります。このテーマパークは、B級ご当地グルメの祭典B-1グランプリ」の第4回大会(地の利も生かして横手焼きそばが念願のグランプリを獲得した大会)のメイン会場になった場所です。
秋田の名産品の展示や即売所は無料で楽しめます(駐車料金も無料)。

   

さて、美術館の入口に到着。

110813_2_4

入口は閑散としていますが、場内は老若男女&親子連れで結構賑わっていました。
そして、作品を鑑賞する人たちはみんな笑顔です。
こんな展覧会ってめったにあるものではありません。
この私も同様です。
ごく初期のシンプルな(でもさすがに精緻な)白黒の影絵から始まり、邱永漢版西遊記挿絵用のなんとも艶っぽい影絵、そして、おなじみのメルヘン全開の作品まで、質・量とも満足度の高い展覧会でした。

どの作品が印象に残ったかと思い起こすと、「西遊記」の他、アンデルセンの「ぶどう酒びんのふしぎな旅」、藤城清治&太田光の「絵本 マボロシの鳥」は、どちらも大団円で終わらないシュールさとそこはかとない寂しさがイカしていたし(こうしたストーリーが藤城さんの好みか?)、銀座の交詢社ビルにあった今は無きビアホールピルゼンこちらのサイトの半ば過ぎをご参照方)」の壁画なんぞは昔のことを思い出させてくれたし(何度か上司に連れて行かれ、散々仕事上のお説教をくらって割り勘だった記憶がよみがえる…)と、キリがありません。

ぶどう酒びんのふしぎな旅 ぶどう酒びんのふしぎな旅
価格:¥ 3,000(税込)
発売日:2010-04-13
絵本マボロシの鳥 絵本マボロシの鳥
価格:¥ 3,000(税込)
発売日:2011-05-17

そんな中、「秋田スペシャル」がこれまた素晴らしいデキでした。

110813_2_5 まずは、高さ8mもの大影絵「九九九段、赤神神社五社堂
この展覧会のために制作され、開幕初日ギリギリに到着したというできたてホヤホヤの作品です。

五社堂には、私も小学生だか中学生の頃に登ったことがありまして、ひたすら続く石段に閉口した記憶があります。
この「難関」を、齢87歳の藤城さんが自分の足で登りきり、デッサンしていらしたのだそうな

そして、展覧会の主催者の一つ秋田魁新報社の特集サイトによると、

石段を上るのは難なくクリア、まだまだ元気と自分でもうれしかった。87歳のエネルギーの証しとし、実際に上った体験がにじみ出た絵にもしたかった。そして9メートルの天井高く、夜明けの光の中に浮かび上がる五社堂の美しさを描き出したかった。
しかし8メートルの大影絵は、999の石段を上るよりはるかに大変だった。徹夜徹夜で、片刃のかみそりを使う僕の指は擦り切れ、腫れ上がり、氷で冷やしながら切り続けた。

だそうです。なんというパワー、なんという創作意欲なんでしょうか

この作品は秋田県立近代美術館がお買い上げして、平野政吉美術館が収蔵する藤田嗣治の超大作(3.65m×20.5m)「秋田の行事」のように、秋田の宝としてずっと当地にいていただくしかないと思いますゾ

もう1点、階段を昇ったところにポツンと展示されていた(この展示の仕方が意味不明 お年寄りはあえぎあえぎ急な階段を昇っていました)「竿燈まつり」が超ステキでした

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しなったりねじれた竿燈と、大小たくさんの提灯のあかりが躍動感たっぷりに描かれています。

藤城さんは、

竿燈まつりは3年前に見た時、一生忘れられないくらい感動した。その様子をデッサンし、影絵にした。

とコメントされていますが、「一生忘れないくらい感動」されただけでなく、竿燈の魅力を的確に捉えられて、それを影絵にしてくださったことに、秋田人の私は感動したのでありました。
正直、この作品ほど竿燈を竿燈らしく描いた作品を観たのは初めてでした

   

こうして、かなり満足して出口からグッズ売り場に出た私は、図録を買おうかどうか迷っていました。
ところが、グッズ売り場で図録の値段を見てその気が薄れた…

なんと、3,600円だそうな

いろいろな展覧会に行き、図録を買ったり買わなかったりした私ですが、こんな高価な図録(普通の並製の図録です)に出会ったことはありません

それでもペラペラと図録の見本をめくって、その理由が見えた気がします。
出品作品の写真と解説だけでなく、出品目録会場の配置図までが刷り込まれいたのです(どうりで、出品目録が無料配布されていなかったわけだ…)。
ということは、この図録は巡回展も含めた「共用」のものではなく、7月22日~9月25日秋田県立近代美術館で開催される「光と影のファンタジー 藤城清治の世界展」専用のものということか?

それにしても高い
私が図録購入費用として出せるのは2,500円までデス

まさか、3か月の会期中に4回も藤城さんのサイン会を開催するのは、こんな高額な図録を売り上げようとする事務所の策略か?とまで勘ぐってしまう…
いや、逆に、藤城さんのサイン会HPを見ると、藤城さんは毎週末のように各地でサイン会を開催しています)の旅費を捻出するために図録の価格を高く設定しているのかもしれません。

いずれにしても、かなり高額なレプリカがズラリと並ぶグッズ売り場を見て、この日の感動や感慨がちょっとだけ醒めた私でありました。

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「送り火」騒動にうんざり

2011-08-13 08:41:51 | ニュース

東日本大震災の津波でなぎ倒された陸前高田の松を京都五山の送り火で使うというプロジェクトは、二転三転の末、見送られることになったようです。

二転三転」を整理すると、

  1. 大分の某氏が「被災者がメッセージを書いた薪を送り火として燃やす」アイデアを思いつく(6月初旬)
  2. 大分の某氏が陸前高田市に入り、薪づくりを開始(6月14日)
  3. 大分の某氏の元に大文字保存会から薪受け入れの電話が入る(6月16日夜)
  4. 大分の某氏が宿泊先の旅館の主人に、地元の人たちに薪(護摩木)にメッセージを書いてもらうことを託す(6月17日)
  5. 京都市や大文字保存会に「放射能汚染が心配」などの声が寄せられた(7月~?)
  6. 大文字保存会が被災松でつくった護摩木を燃やすことを中止決定(8月初旬)
  7. 被災者のメッセージなどが書かれた護摩木が、陸前高田市迎え火として燃やされる(8月8日)
  8. 京都市などに多くの批判が寄せられ、京都市京都五山送り火連合会善処を要請
  9. 京都五山送り火連合会のうち大文字保存会を除く4会が陸前高田市から新たに薪を受け入れ、送り火で燃やすことを決定(8月10日)
  10. 大文字保存会も陸前高田市の薪を燃やすことに同意(8月11日)
  11. 新たに送られてきた陸前高田市の薪の表皮から放射性セシウムが検出されたとして、京都市送り火で燃やすことを中止決定(8月12日)

110813_1_1

写真は今年3月の京都旅行で見た「左大文字」です

まったく…

なんでこんなことが起こるのかと、あきれます。

陸前高田市側にしてみれば、産経ニュースの見出し「被災松の使用断念騒ぎ 地元はうんざり」そのものでしょう。まして、

陸前高田市企画部協働推進室の大和田智広主事は「なんだか京都の一人芝居みたい」とぽつり。市側は今回の計画には全く絡んでいないが、問題発生以降、相次ぐ問い合わせへの対応に苦慮していた。500本の松の薪はそもそも京都市から再依頼があったものだが、事情を知らない京都府民からは「一度断られたなら、松を京都に送らず、自分たちで全部燃やせばよかったのに」という電話もあったという。「復興に協力してくれてありがたいが、今回のごたごたはちょっと勝手すぎる。問題が尾を引かないことだけを祈ります」とうんざり顔だった。

に書かれたアホな京都府民の電話に対応する陸前高田市職員の気持ちときたら、察するに余りあります。

ところで、上に載せた記事の「市側は今回の計画には全く絡んでいないが」という市職員のコメント、確かに、この企画を思いついた大分の某氏藤原了児氏)のサイトを見ると、ホントに彼の思いつきで始まり、大文字保存会にコンタクトを取り、薪(護摩木)をつくり、宿泊した旅館の主人に頼んで被災者のメッセージ入りの薪(護摩木)を集め、地元マスコミの協力を得て世間の注目を集めるにいたったようです。

この大分の某氏、自身のサイトの「『高田松原の松』に対する放射能汚染の心配について」で

私が6月12~17日に陸前高田において行いました、「大文字送り火に陸前高田の松プロジェクト」につきまして、その後「この松は、放射能に汚染されているのではないか?」と言う問い合わせが多数の方々からありました。問い合わせを頂いた時点では、この松がそのような問題を含んでいるとは思っておりませんでしたが、科学的な根拠無しに進めてもいけないという事になり、関係の方と協議した結果「陸前高田の松」と「京都大文字の薪」を専門の機関に検査してもらって、その結果で判断しようという事になりました。

と書いていらっしゃるように、その後騒動の元になる放射性物質にはまったく無頓着だったし(もっとも、護摩木からは放射性物質は検出されなかった模様)、「大文字送り火は、銀閣寺の裏の山で行われることを知りました。」と題するページでは、

大文字保存会は、この銀閣寺前の商店主や住民の方で結成されている14~5名からなる組織で、代々受け継がれてきた行事だと言うことが分かりました。

と、大文字送り火のことをほとんどご存知なかった(恐らく「五山の送り火」というパッケージがあることもご存知なかった)らしい…。

世の中では「市民の声」に振られまくった大文字保存会を始めとする京都五山送り火連合会京都市の対応と心配性の京都「市民」が非難の対象になっているようですが、元はと言えば、大分の某氏行き当たりばったりで企画を進めていったことに起因していると思います。
すぐ上に載せた大分の某氏のページには、

私は、案内していただだいた会長の様子を見ていて、今回のプロジェクトのように、これまでにない出来事に対してのイメージの共有があったからこそ、この初めての難題に対して新しい方向性を導き出してくれたのだ、と言う事を確信しました。

とありますが、全然「イメージの共有」がなっていなかったのですから…。

例えば、最初の薪(護摩木)からは放射性物質が検出されなかったのに、再度取り寄せた薪からセシウムが検出された件では、最初の薪(護摩木)は丸太を割って、皮を剥いで削って、護摩木の形にしたものだったのに対して、再度取り寄せた薪は、丸太を割ったただの薪だったわけで、後者に残っている皮から放射性物質が検出されてもそれほど不思議なことではありません。
産経ニュースのこちらの記事にある、

連合会では、市が新たに取り寄せ、11日に到着した被災松について「大文字保存会が当初、送り火で燃やそうとしていた被災松のしん部分だけを使った護摩木と同じ物と考えていた」という。当初の被災松からは放射性物質が検出されなかったため、16日の本番で無事に使用できると思っていたのだ。

からは、「イメージの共有」が皆無であることが伝わってきます。
最初の薪(護摩木)が送り火で燃やされないことが決まってから、それらは8月8日に陸前高田市で迎え火として燃やされたわけで、予備が無い限り、京都側の方針が変わったからといって、即日、「被災松のしん部分だけを使った護摩木」を準備できるはずがありません。

大分の某氏は、ひたすら善意のみでこの企画を始めたのでしょう(そう思いたい)が、結果として、陸前高田市を始めとする被災地の人たちを傷つけ、大文字保存会を始めとする京都五山送り火連合会京都市の評判を地に落とし、全国の人たちの「京都人」に対する印象を悪くしてしまうという、Win-WinならぬLoose-Looseの散々な結末に至ってしまいました。

マスコミにしても、ただ「騒動」として伝えるだけ…
仮に薪(護摩木)に放射性物質が含まれているとしたら、その濃度と周辺への影響について正確に報道するべきでしょう。

もっとも、asahi.comのこちらの記事には、内海博司・京大名誉教授(放射線生物学)の、

薪の使用中止を決めた京都市の判断を、京都人として恥ずかしく感じる。そもそも薪の表皮を処理してから持ってくる方法もあったうえ、検出された放射性物質の量なら健康には影響しない。市は、「送り火の意味を踏まえ、検出されたが実行する」と言って欲しかった。市は京都の名誉をおとしめるとともに、被災地の風評被害を助長させたと言える。

というコメントが載っていますが、日本の原子力・放射線系の「専門家」に対する国民の信頼が、中国の鉄道系の「専門家」並に低下していることを思えば、あまり参考にはされないかも…

それにしても、誰にとってもunhappyなできごとです

コメント (2)
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