死刑囚へのアンケートをまとめた『命の灯を消さないで』に収録されている匿名男性B死刑囚の文章はかなり長いが、理路整然としてしごくもっともな意見が書かれてある。
一部引用。
「現状(現在)で起きている凶悪事件の報道が過激であればあるほど死刑執行がやりやすくなる。法務省からすれば、事件が大きく報道されればされるほど「世論は死刑執行を支持している」ということになるからです。しかし今も述べた通り、現在の過剰な報道によって、当局から「今が執行のチャンスである」とばかりに、独居房から引きずり出され、吊されてゆくのは、何年も何十年も罪について反省の日々を送っていた人たちなのです。同じ立場でもある私がいうのも変ですけど、彼らは一様におとなしく普通の人です。長い収容生活にもかかわらず、一度としてあばれたり問題を起こしたりしたこともありません。中には職員らから“紳士”と呼ばれ慕われている死刑囚の方もおられます。私から見ても、なぜこの人が……と思えるくらい普通の人なのです。世間の喧騒の裏でひっそり吊されてゆくのはこうした普通の人間性を取り戻した、まことに穏やかな人々であるということをぜひ知っておいてもらいたいのです」
マスコミの過剰報道が厳罰化の一因となっているのは事実である。
権力をチェックするはずのマスコミが権力の走狗になっているわけである。
事件報道(特に雑誌)を読むと、こんなひどい奴は人間じゃない、許せんと思う。
しかし、死刑囚だからといって、ことさらに凶悪、狡猾、残忍、非情というわけではないらしい。
話は飛ぶようなのだが、マイクル・シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのか』に「これまた私見だが、奇跡や怪物や謎を信じている人々のほとんどは、嘘つきやペテン師でもなければ、気が狂っているわけでもない。ごくふつうの一般人で、何かのせいで誤った考えかたに足を踏み入れてしまっているだけなのだ」とある。
特別異常な人間というのはそうそういるものではないと思う。
死刑囚もたぶん同じである。
死刑囚の多くはちょっとしたはずみが積み重なって事件を起こしてしまった普通の人だと思う。
匿名男性B死刑囚「その多くの根本的原因は、精神的に追い詰められての凶行がほとんどです。裁判で「計画的であった……」などと指摘されたとしても、やはりその前提には貧困や恐怖、社会に対しての身の置き所のない不安や絶望感が、その者たちを凶行に走らせてしまったのだと思います。その瞬間というのは、誰もが精神を病んでいた状態であったともいえるのです。そして逮捕、起訴され……ゆっくりと考える時間がもてるようになってはじめて「はッ!! 自分はなんというバカなことをしてしまったのだ」と、目を覚ますことになるのです。そしてその日から自分の犯した罪の深さに対して、後悔と反省の日々を送ることになるのです」
後悔と反省の日々を過ごす死刑囚がいるかと思うと、こんな人もいる。
『命の灯を消さないで』を読むと、これは何なんだ、という文章があって、たとえば上田宜範死刑囚(無罪を主張している)は自分のことはさておいて、松本健次死刑囚のことを心配している。
「大阪拘置所在監・松本健次死刑囚はえん罪であり、早急に弁護団を結成すべきである。松健氏は知能が低く(決して差別表現ではない)、取調べで自供を強要された節があり、大阪拘置所の調査で、知能が低いから、取調べで丸めこまれたのであろう、死体遺棄は手伝ったかも知れないが、殺人についてはやっていないと結論が出ており、その旨が法務省への報告され、法務省も同じ見解を示している。松健氏を救って上げてください」
その松本健次死刑囚はどういうことを書いているかというと、
「福島みずほちゃんへ 俺と文通をよろしくお願い致します。文通する相手をよろしく。全員で10人程支援人を増やして下さるように、福田首相さん、保岡興治法務大臣さま達へ報告を。レーダー光線を外部から中止して下さるよう国会議員達へ報告をして下さい。命の大切さは良くわかりましたので、トクー償金等のために特別出廷願いを弁護士たちに現在お願い中です!」
松本健次死刑囚は胎児性水俣病による知的障害だそうだ。
主犯の兄が自殺したために、その代わりに死刑になったらしい。
「レーダー光線」は長勝久死刑囚(殺人を否認している)も書いている。
「美しい“福島みずほ先生”へ[P.S.]」として
「自分は、獄中生活上で、拘置所の職員からマインドコントロール等されて苦しめられています。
(1)頭部の機能操作。(特殊な電波照射による同操作)
生活している上で、一定の間、断続的や全く思考することができない状態や、思考上で変な内容を思考する状態や、頭に一部の思考した内容を固定してそれ以外思考できなくなる状態や、記憶ができなくなる状態にされているのです。
(2)麻痺刺激。(特殊な電波照射による同刺激)
生活する上で、断続的に膀胱や肛門を感電しているようにされているいるのです。
(尚、自分は健康でどこも悪い所はないのです。)」
詐病とは思えない。
山本峰照死刑囚(2008年9月11日執行)の文章もウーンというもの。
「福島みずほ様
わだわだアンケイ用紙を送って下さいましたが、お力ぞえにならず気を悪くなさらないで下さい。裁判の時は判決で死刑 私しは死刑にして下さいといいましたが、弁護士がこおその手続をしましたが、私しはその日に取下をし死刑にせんねんしました。死刑が確定すれば半年以内で処刑されると聞いていましたので、それが約4年になりますが、一行にそんなそぶりも有りませんので、私しも困っています。
私しの書いた事とアンケイトは関係は有りませんが、福島みずほ様のお力で法務省のほうに年内まぜの間いだにどおか処刑出来ますように法務大臣にお力ぞえをよろしくお願いします。毎日 一日でも早くお告がくくるように私は手を合せて、お告のくる事を心まちにしています。どおか福島みずほ様 どうおかよろしくお願いします」
山本峰照死刑囚はどんな人だったのか気になる。
それとか藤波芳夫死刑囚(2006年12月25日執行)は「歩くことができず車椅子で刑場に連行され、刑務官に体を抱えられ投げるようにして執行されたと伝えられている」
何年も死刑囚と接し、そしてある日突然、執行に立ち会わなければならない(刑場まで連行したり、ボタンを押したり、遺体を清拭したり)なんてこと、誰だってしたくはない。
まして、深く罪を悔いて反省している人、知的障害者、精神障害者、身体障害者、冤罪を主張している人、そういった死刑囚の絞首刑を刑務官にさせるのは残酷だと思う。
以前、自分が選んで刑務官になったんだ、いやだったらやめればいい、とコメントした人がいたが、薄情だと思う。
一部引用。
「現状(現在)で起きている凶悪事件の報道が過激であればあるほど死刑執行がやりやすくなる。法務省からすれば、事件が大きく報道されればされるほど「世論は死刑執行を支持している」ということになるからです。しかし今も述べた通り、現在の過剰な報道によって、当局から「今が執行のチャンスである」とばかりに、独居房から引きずり出され、吊されてゆくのは、何年も何十年も罪について反省の日々を送っていた人たちなのです。同じ立場でもある私がいうのも変ですけど、彼らは一様におとなしく普通の人です。長い収容生活にもかかわらず、一度としてあばれたり問題を起こしたりしたこともありません。中には職員らから“紳士”と呼ばれ慕われている死刑囚の方もおられます。私から見ても、なぜこの人が……と思えるくらい普通の人なのです。世間の喧騒の裏でひっそり吊されてゆくのはこうした普通の人間性を取り戻した、まことに穏やかな人々であるということをぜひ知っておいてもらいたいのです」
マスコミの過剰報道が厳罰化の一因となっているのは事実である。
権力をチェックするはずのマスコミが権力の走狗になっているわけである。
事件報道(特に雑誌)を読むと、こんなひどい奴は人間じゃない、許せんと思う。
しかし、死刑囚だからといって、ことさらに凶悪、狡猾、残忍、非情というわけではないらしい。
話は飛ぶようなのだが、マイクル・シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのか』に「これまた私見だが、奇跡や怪物や謎を信じている人々のほとんどは、嘘つきやペテン師でもなければ、気が狂っているわけでもない。ごくふつうの一般人で、何かのせいで誤った考えかたに足を踏み入れてしまっているだけなのだ」とある。
特別異常な人間というのはそうそういるものではないと思う。
死刑囚もたぶん同じである。
死刑囚の多くはちょっとしたはずみが積み重なって事件を起こしてしまった普通の人だと思う。
匿名男性B死刑囚「その多くの根本的原因は、精神的に追い詰められての凶行がほとんどです。裁判で「計画的であった……」などと指摘されたとしても、やはりその前提には貧困や恐怖、社会に対しての身の置き所のない不安や絶望感が、その者たちを凶行に走らせてしまったのだと思います。その瞬間というのは、誰もが精神を病んでいた状態であったともいえるのです。そして逮捕、起訴され……ゆっくりと考える時間がもてるようになってはじめて「はッ!! 自分はなんというバカなことをしてしまったのだ」と、目を覚ますことになるのです。そしてその日から自分の犯した罪の深さに対して、後悔と反省の日々を送ることになるのです」
後悔と反省の日々を過ごす死刑囚がいるかと思うと、こんな人もいる。
『命の灯を消さないで』を読むと、これは何なんだ、という文章があって、たとえば上田宜範死刑囚(無罪を主張している)は自分のことはさておいて、松本健次死刑囚のことを心配している。
「大阪拘置所在監・松本健次死刑囚はえん罪であり、早急に弁護団を結成すべきである。松健氏は知能が低く(決して差別表現ではない)、取調べで自供を強要された節があり、大阪拘置所の調査で、知能が低いから、取調べで丸めこまれたのであろう、死体遺棄は手伝ったかも知れないが、殺人についてはやっていないと結論が出ており、その旨が法務省への報告され、法務省も同じ見解を示している。松健氏を救って上げてください」
その松本健次死刑囚はどういうことを書いているかというと、
「福島みずほちゃんへ 俺と文通をよろしくお願い致します。文通する相手をよろしく。全員で10人程支援人を増やして下さるように、福田首相さん、保岡興治法務大臣さま達へ報告を。レーダー光線を外部から中止して下さるよう国会議員達へ報告をして下さい。命の大切さは良くわかりましたので、トクー償金等のために特別出廷願いを弁護士たちに現在お願い中です!」
松本健次死刑囚は胎児性水俣病による知的障害だそうだ。
主犯の兄が自殺したために、その代わりに死刑になったらしい。
「レーダー光線」は長勝久死刑囚(殺人を否認している)も書いている。
「美しい“福島みずほ先生”へ[P.S.]」として
「自分は、獄中生活上で、拘置所の職員からマインドコントロール等されて苦しめられています。
(1)頭部の機能操作。(特殊な電波照射による同操作)
生活している上で、一定の間、断続的や全く思考することができない状態や、思考上で変な内容を思考する状態や、頭に一部の思考した内容を固定してそれ以外思考できなくなる状態や、記憶ができなくなる状態にされているのです。
(2)麻痺刺激。(特殊な電波照射による同刺激)
生活する上で、断続的に膀胱や肛門を感電しているようにされているいるのです。
(尚、自分は健康でどこも悪い所はないのです。)」
詐病とは思えない。
山本峰照死刑囚(2008年9月11日執行)の文章もウーンというもの。
「福島みずほ様
わだわだアンケイ用紙を送って下さいましたが、お力ぞえにならず気を悪くなさらないで下さい。裁判の時は判決で死刑 私しは死刑にして下さいといいましたが、弁護士がこおその手続をしましたが、私しはその日に取下をし死刑にせんねんしました。死刑が確定すれば半年以内で処刑されると聞いていましたので、それが約4年になりますが、一行にそんなそぶりも有りませんので、私しも困っています。
私しの書いた事とアンケイトは関係は有りませんが、福島みずほ様のお力で法務省のほうに年内まぜの間いだにどおか処刑出来ますように法務大臣にお力ぞえをよろしくお願いします。毎日 一日でも早くお告がくくるように私は手を合せて、お告のくる事を心まちにしています。どおか福島みずほ様 どうおかよろしくお願いします」
山本峰照死刑囚はどんな人だったのか気になる。
それとか藤波芳夫死刑囚(2006年12月25日執行)は「歩くことができず車椅子で刑場に連行され、刑務官に体を抱えられ投げるようにして執行されたと伝えられている」
何年も死刑囚と接し、そしてある日突然、執行に立ち会わなければならない(刑場まで連行したり、ボタンを押したり、遺体を清拭したり)なんてこと、誰だってしたくはない。
まして、深く罪を悔いて反省している人、知的障害者、精神障害者、身体障害者、冤罪を主張している人、そういった死刑囚の絞首刑を刑務官にさせるのは残酷だと思う。
以前、自分が選んで刑務官になったんだ、いやだったらやめればいい、とコメントした人がいたが、薄情だと思う。
自分が何をしたかを知り、罪を自覚することは大変つらいことだと思います。
そこをごまかさず、事実と向き合う。
そこが出発点だと思います。
宅間守死刑囚みたいに、本人の希望どおりに処刑したのでは、「命の重さと向き合わせる」ことはできませんよね。
まして、拘禁障害になった死刑囚に治療を受けさせないというのはあり得ない話です。
死刑囚で、老齢者や病人、障害者は執行停止でいいのではないかと考えます。
国際的には日本の死刑制度は充分に問題になっているのではないでしょうか。
>死刑囚で、老齢者や病人、障害者は執行停止でいいのではないかと考えます。
国際条例に違反している自覚があるので、隠す方向に向いている、もしかしたらその為に異常でも治療もさせずという方針なのかと思いました。国際的には65歳以上は年寄りという認識だったとしても、日本では77歳は年寄りにはあたらないなど、常識が食い違う部分があるようなので、拘束力がある国際法でないとどうにもならないのかもしれませんね。
日本では円様のように拘禁者の人権に配慮せよと言うと、叩かれると思います。国際的には、拘禁者の人権が守られている国に、拘禁者の人権が守られてない国から拘禁者の人権が守られている国に移民になるケース、国として信頼を得られているケースのほうが圧倒的に多いのではと私は思います。
欧米諸国は刑務所冷暖房完備なことや、昨年死刑が執行された国は18カ国
だったことを考えると、拘禁者の人権に配慮することを犯罪者天国というならば、世界中ほとんどの国が犯罪者天国になると思います。犯罪者天国を恐れる日本人が安心して海外旅行できる国というのは、イランとか中国とか北朝鮮とかわずか18カ国しかないのかもしれないと思いました。
現代は国際協調が必要となってしまう部分があるので、鎖国していた頃に戻れたら、日本にとってはよかったのかもしれませんね。
円様のように、反発を浴びるのがわかっていることを書きつづけることはなかなかできることではないと思います。
そういう人にどういうふうに説明したらいいのか、私にはわかりません。
拘禁症状があるのだったら治療すればいいだけなのに、拘置所はどうして放っておくのか、これも不思議ですね。
一般人が感情で論ずるのは仕方ないですが、行政はちゃんとしてほしいと思います。
もしも自分や自分の家族が被害者になったらと想像するなら、もしも加害者になったらと考えてほしいです。
>死刑囚が劣悪な状態にあること、高齢者や障害者であっても処刑することなどに対して、それだけのことをしたんだから、と言う人がいます。
そういう人にどういうふうに説明したらいいのか、私にはわかりません。
私にもわかりません。。死刑制度のもろもろの弊害のことなどより、溜飲が下がるというのが大事なのでしょうね。実際に処刑されるのは、罪を悔やむ気弱な年寄りだったとしても、極悪人を殺した、征伐したという、快感のほうが強いのかもしれませんね。理屈じゃない、本能のようなものかと思います。
円さんがおっしゃっている高齢者や障害者は執行停止というのは、日本が批准している国際人権(自由権)規約を守るというだけのことであって、批准したのなら、委員会に従うのは当然のことと思います。内政干渉というなら批准しなければいいのです。「殺る」ということが大事であって、国際協調やルールを守ることなどは、どうでもいいのでしょうね。
円さんのおっしゃってることは当然のことと思うのですが、それが当然ではないのですよね。。実際、フルボッコになったりするのでコメント欄を完全に開放して発言をされている方は少ないと思います。「高齢者や障害者は執行停止で」というのはネット上では希少意見のように思います。光市事件の弁護団へのように憎悪の捌け口になる場合もありますからね。
>拘禁症状があるのだったら治療すればいいだけなのに、拘置所はどうして放っておくのか、これも不思議ですね。
拘禁症状は環境が変われば治るが、また同じ環境に戻したらまた発症してしまうのではないでしょうか。根本的に拘置所の環境を変えない限り、どうにもならないが、環境を変える気はないということなのでしょうかね。
>もしも自分や自分の家族が被害者になったらと想像するなら、もしも加害者になったらと考えてほしいです。
ほとんどの親は自分の子がいじめられたらとは心配するが、自分の子が人をいじめたらとは心配しない、加害者の視点を皆がもてるようになったら、社会はもっと住みやすくなるとかいう話を思い出しました。
もしも自分の家族が冤罪で死刑執行される立場になったらとか、自分の母が認知症によるまさかの犯罪で人を殺したらとか、もしも自分の家族が、外国人に殺され、その外国人が母国に逃げたのがわかっているのに、死刑制度の弊害で犯人引き渡し条約が結べないばかりに、日本に戻せず、何ら刑罰を与えることもできないという立場になったらとか、いろいろな立場があると思うのですが、被害者になったつもりの意見以外は認めないというのは怖いですね。。
すいません。最後にまた訂正ですが、上の私のコメントの国際条例というのは国連の規約のことを言いたかったのですが、間違いました。失礼しました。
今日の毎日新聞に、フランソワ・ジムレ(フランス人権大使)の「死刑廃止は国のブランドを強化」という意見が載っていました。
死刑問題は人権問題なんですね。
人権を守っている国だと評価されることの重要性が理解されていないと思います。
日本では、人権ということは自分の権利ばかり主張することだと誤解されがちです。
「週刊新潮」や「週刊文春」は犯罪者には人権はないと平気で言ってますしね。
>日本が批准している国際人権(自由権)規約を守るというだけのことであって、批准したのなら、委員会に従うのは当然のことと思います。
何度も批判を受けていても、それが報道されないので、どういう意味かがわからないままです。
>光市事件の弁護団へのように憎悪の捌け口になる場合もありますからね。
自分の首を絞めることですよね。
もしも自分や家族が被告になったらという想像力を持たないと、自分自身の人権を守ることができなくなるんですね。
>拘禁症状は環境が変われば治るが、また同じ環境に戻したらまた発症してしまうのではないでしょうか。
というよりも、心神喪失で執行停止(確定囚)や無罪(被告人)になってはいけないからだと思います。
もうしばらくこの問題をブログに書いてみるつもりです。
彼らは川に食用油を流して火を点けたら燃えるかどうかと騒いでいた **のいう”家”にこの食用油を掛けたなど嘘 もしそうであれば警察は証拠にしている。
逮捕され事件報道された学生達は、痴漢冤罪の如き立場に置かれ 被害者の申告に沿った調書作成がされた しかしこの警察調書ですら”家”に油を塗った事実はなく証拠写真もない また火も点けてはいない **は全く無傷 これらは民事調書にあり壷井も反論していない メモは出来ないが閲覧して報道せよ
http://suihanmuzai.web.infoseek.co.jp/101203.jpg.html