三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

ロブ・ライナー『最高の人生の見つけ方』

2008年06月01日 | 映画

ロブ・ライナー『最高の人生の見つけ方』は、末期ガンと宣告された2人がしたいことのリストを作り、スカイダイビングを皮切りに自家用ジェット機で世界旅行をするという映画である。
世界中を旅して家に戻り、結局は家族の大切さがわかるという、話はありきたりなのだが、後味はいい。
で、死ぬ前にやっておきたい棺桶リストは「見知らぬ人に親切にする」「涙を流すくらい笑う」「荘厳な景色を見る」「スカイダイビングをする」「刺青を彫る」etc
「世界一の美女とキスをする」シーンにはホロッとする。

死を目の前にした人が何かをして死んでいくという物語は多い。
たとえば、イザベル・コヘット『死ぬまでにしたい10のこと』は題名の通りの映画である。
23歳で余命2ヵ月という宣告を受けた2児の母が10のしたいことリストを作って、というお話。
「娘たちに毎日愛してると言う」
「爪とヘアスタイルを変える」
「好きなだけお酒とタバコを楽しむ」
「思っていることを話す」
「夫以外の男の人とつきあってみる」
「誰かが私と恋におちるよう誘惑する」
「娘たちが18歳になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する」
「娘たちの気に入る新しいママを見つける」
「家族でビーチへ行く」
「刑務所にいるパパに会いに行く」
というのがリスト。

これらの映画では、あとわずかの命と宣告されたにもかかわらず、主人公たちはあまり動揺していないように感じる。
それに対して黒沢明『生きる』の主人公は、ガンであるという事実を知り、まずは醜態をさらす。
これは国民性の違いなのだろうか。

そして『最高の人生の見つけ方』と『死ぬまでにしたい10のこと』では、妊娠したのでしたいことを我慢し、家族のために仕方なく働きつづけてきたという後悔がある。
だからかもしれないが、今までしたいと思っていてできなかったことを行なおうとする。
しかし、『生きる』の主人公はそれでは満たされない。

事なかれ主義で30年間、市役所に勤めてきた課長が胃ガンであと4ヵ月の命と知り、一人息子からは無視され、これまで自分が生きていなかったことに気がつく。
ギャンブルをし、酒場をハシゴし、若い女性とつき合うが、何をしても心が満たされない。
最後に、「課長さんも何か、作ってみたら」という一言で、たらい回しにされていた公園建設の陳情書を取り上げ、完成した公園のブランコに座って「ゴンドラの歌」を楽しそうに歌って死んでいく。

トニー・ケンリック『俺たちには今日がある』も、世の中のためにささやかな貢献をするという小説である。
あと1ヵ月の命だと宣告された主人公は医者から同じように1ヵ月の余命だという女性を紹介される。

レストランで二人はこんなことを話し合う。
「今までの人生について、すばらしい成果を何一つあとに残さないで行ってしまうことになるのは確実」
「それでも何かを残すことができたら、さぞすばらしいだろうと…何かを…つまり」
「自分が存在していたために世の中が少しはよくなった、そういう何かが残せたら」

すごくわかる。
で、二人はひょんなことからギャングのボスをやっつけることになる。
といっても、トニー・ケンリックだから社会派小説ではない。

どの主人公たちも自分なりの生き直しをする。
しかし、その生き直しの仕方が自分に向かうか、社会に向かうかの違いがある。
もちろんどちらがいいというわけではないが、『生きる』はやはりいいと思う。

何人かの人に、あと1年の命だとしたらどうするかと尋ねたことがある。
みんな、今までと同じように一日一日を生きるだけだ、と言われた。
そんなもんかもしれない。
では私はどういう生き直しをするかだが、何となく死んでいくような気がする。
たいていの人はそうかもしれない。
だから、死ぬ前に何かする物語に感動するのだろう。

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