少年法改正へ 審判傍聴可能に 被害者尊重、残る懸念
非公開で行われる少年審判について、殺人や傷害など被害者の生命にかかわる事件に限って被害者や遺族の傍聴を認める少年法改正案が3日に衆院本会議で可決され、今国会中に成立する見通しとなった。被害者の申し立てを受けた裁判官が、加害者側の弁護士の意見を参考に傍聴の可否を判断する。被害者の権利を尊重する流れに沿った改正だが、少年の更生や教育的側面を重視する立場からは懸念の声も上がる。
「これまで(審判で)裁判官は『君も大変だったんだね』などとソフトな言葉で少年の内省を促してきたが、傍聴する被害者を意識せざるをえない。少年の立場に配慮した審理が難しくなる」。あるべテラン裁判官は、被害者の傍聴が少年の処分や審判のあり方そのものにも影響を与えかねないとの懸念を示す。
少年審判は、殺人などの重大事件で家庭裁判所が「検察官関与」を決めたケースを除いて裁判官、家裁調査官と少年、付添人(弁護士)らで進められる。少年法は非行少年の健全育成や更生が目的で、刑罰を科すことを主眼とする刑事裁判とは異なる。審判についても「なごやかに行う」と定め、非公開のうえに被害者側の傍聴も認めていなかった。(毎日新聞6月3日)
犯罪を犯した人間に刑罰を科すことは当然のことだが、同時に更生して社会復帰できるような教育的処遇も欠かせない。
本村洋氏が6月1日に行われた講演で、
「少年法については「理念は正しい」としながらも、「罪を軽くして早く社会に戻すのが必ずしもいいわけではない。最初に軽い罪を犯したときにきっちり更生教育をし、再犯防止を」と訴えた」
と語っている。
主旨がもう一つわからないが、犯罪者自身にとっても社会にとっても、厳罰よりもきっちり更生教育をすることのほうが重要だと思う。
ところが少年法がさらに改正されるなど、犯罪者の教育よりも被害者の処罰感情を重視する流れにある。
浜井浩一龍谷大学法科大学院教授が
「重大事件を犯した少年のケースの場合、家庭裁判所の決定書や判決において、重い刑罰を科すことによって規範意識を喚起させることで再犯を防止させるといった、科学的に見て何の根拠もない空虚な規範的レトリックを使って自らの決定を正当化しようとしがちである」
「重い刑罰を科せば、それだけ少年が罪の重大性を理解するがごとき記述があるが、少しでも少年矯正の現場を知っていれば、そのようなことが机上の空論以外の何ものでもないことは容易に理解できるはずである」(『少年犯罪厳罰化 私はこう考える』)
と書いているのを読むと、私なんかはなるほどもっともと思う。
こうした意見に対して、教育したら再犯しないという保障はあるのか、という反論が出るだろう。
満期出所の場合は再犯率は65%らしい。
しかし、その実態はというと、山本譲司氏の話によると、府中刑務所には約2700人の日本人受刑者がいて、知的・精神障害者が約15%、身体障害者が27%、知的・精神に障害があり、かつ身体にも障害がある人が15%、つまり全部で6割くらいがなんらかの障害がある。
それに加えて高齢者がたくさんいて、福祉的支援の対象者となる受刑者は全体の8割ぐらいではないだろうか、ということである。
この人たちは刑務所を出ても行くところがないので、また戻ってくる。
つまり再犯するわけである。
再犯率が高いか低いかというより、その中身を考えないといけないわけだ。
藤岡淳子氏によると、日本の少年院の再犯率は3割くらいである。
これが高い数字かどうか。
「家庭裁判所で扱う大変な数の非行少年の、そのごく一部が少年鑑別所に入り、さらにその一部が少年院に来る。全体からすると、(再犯率は)4から5%です」
「半年から一年間生活して、それで3割しか再入しないというのは、ある意味ではみんな結構よくなるんだな、と私は思っています」(『少年犯罪厳罰化 私はこう考える』)
そして、
「事件の責任を認めているか認めていないかの再犯率の違いは、認めていない場合で75%の再犯率、認めている場合で25%の再犯率となる」
と藤岡淳子氏は言う。
ただ処罰するのではなく、事実と真向かいになり、自分のしたことを認めていくことが、再犯を防ぐ上でも大切だということである。
そのためにも教育的処遇は必要である。
では、犯罪者への再犯防止プログラムは効果があるのだろうか。
アルコール依存症の自助グループであるAAの最初の刑務所内でのミーティングが行われたのは1942年で、ミーティングに出ているアルコール依存症者の再収容率が80%から20%に減少したそうだ。
藤岡淳子氏によると、
「アメリカなどの治療プログラムの再犯防止率は、平均して12%くらいではなかったでしょうか。多くて15%、すごくいいプログラムで3割ですね。それもまた低いといえば低いかもしれませんが、やらないよりはそれだけ再犯率が減るわけです」
ということだから、犯罪を犯した人に対して何らかの処遇をすることは無駄ではない。
ただし、お金と手間ひまがかかる。
結局のところ、被害者の処罰感情と犯罪者の更生教育、そのどちらを選ぶかということになっている。
被害者感情に配慮して厳しく処罰することを第一に考えるのか、それとも社会復帰のための処遇を優先すべきか、である。
処罰感情だけでは再犯を増やすことになりかねないし、再犯を防ぐために処遇を充実させれば経済的な負担がかかる。
どちらかを我々は選択するのかということになる。
2006年に東京の板橋で15歳の少年が社員寮の管理人をしていた両親を殺害し、管理人室をガス爆破した事件で、東京地裁は懲役14年(求刑は15年)の判決をくだした。
「この判決は、少年の教育や更生よりも、社会の処罰感情が優先されなくてはならないことをはっきりと打ち出した判決である」
と佐藤幹夫氏は『少年犯罪厳罰化 私はこう考える』に書いているが、つまりはそういう流れということである。
となると、
「社会復帰したときにどんな受け皿が用意されているのか、その重要性である。更生とは犯行を犯した少年自身の問題であることは当然であるが、もう一方に、社会が受け皿への通路をどう開いているかという、社会の側の問題が存在している」
と佐藤幹夫氏の言うような、社会の受け皿作りもあまり期待できないのではという気がする。
AAがなぜ再犯防止に効果があるかというと、刑務所を出てからAAにつながることができるからだと思う。
受け入れてくれる場所があるかないかの違いは大きい。
再犯を防止したいのなら、一時の処罰感情に流されるべきではないと思う。
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