「死に神」表現に猛抗議 死刑執行で鳩山法相
「苦しんだ揚げ句に死刑を執行した。彼らは『死に神』に連れて行かれたのか」。鳩山邦夫法相は20日の閣議後会見で、13人の死刑執行を命令したことを朝日新聞が「死に神」と表現したことに対し「軽率な文章には心から抗議したい」と怒りをあらわにした。
朝日新聞18日付夕刊の「素粒子」欄は、鳩山法相について「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」などと記載した。
これに対して鳩山法相は「極刑を実施するんだから、心境は穏やかでないが、どんなにつらくても社会正義のためにやむを得ないと思ってきた」と語り、「(死刑囚にも)人権も人格もある。司法の慎重な判断、法律の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した。彼らは死に神に連れて行かれたのか」とマイクが置かれた台をたたいて声を荒らげた。
さらに「私に対する侮辱は一向に構わないが、執行された人への侮辱でもあると思う。軽率な文章が世の中を悪くしていると思う」と語った。(共同通信6月20日)
2002年、欧州評議会が死刑廃止を求めて日本の国会議員向けにセミナーを開いた時、当時の森山真弓法務大臣はスピーチで、
「我が国では大きな過ちを犯した人が大変申し訳ないと言う強い謝罪の気持ちを表す時に、「死んでお詫びをする」という表現をよく使うのです。この慣用句には我が国独特の、罪悪に対する感覚が現れているのではないかと思われます」
と言っているそうだ。
だったら、死刑囚が死んでお詫びをしようと自殺してもいいようなものだが、そうはいかない。
1975年、福岡拘置所で死刑囚が執行当日に自殺した。
当時は処刑の前日夕刻に言い渡しをしていたのだが、翌朝5時に隠し持っていた安全カミソリで手首を切って自殺したのである。
それからは執行当日の朝に通告するようになり、書信や面会が制限され、処遇が厳しくなったそうだ。
「法務省通達 法務省矯正甲第96号 昭和38年3月15日」にこうある。
「死刑確定者が罪を自覚し、精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるよう配慮さるべきことは刑政上当然の要請である」
森達也氏のインタビューに元刑務官の坂本敏夫氏が
「刑務官に課せられる仕事は、いつ執行命令が来ても執行できるようにしておくことです。要するに自殺させないこと、病気にさせないこと、狂わせないこと」
と言っているように、死刑囚が執行を受け入れて、反抗せずにおとなしく死んでいくよう拘置所は心がけているのである。
永山則夫のように執行を拒んで力を振り絞って刑務官を振りきろうとし、全身に打撲傷と擦過傷をおい、無理矢理に縄をかけられるようなことになっては困るのである。
苦痛がなるべく少ないよう人道的に執行するとか、自殺しないように配慮するというのも変な話である。
そんなことをかんがえるのだったら、死刑を廃止すればいいと玉井策郎『死と壁』という本を読んで思った。
この本は昭和28年発行の復刊である。
玉井策郎氏は昭和24年8月に大阪拘置所に所長として着任している。
東京拘置所で医官をしていた加賀乙彦氏は死刑囚の拘禁ノイローゼの実態を調べるために各地の拘置所を訪れ、死刑囚に会った。
実に半数以上の者が何らの拘禁ノイローゼに陥っている。
ところが玉井所長の大阪拘置所では、死刑囚同士を自由に交流させ、運動や宗教の教誨はもちろん、趣味の会合、俳句・短歌・お茶などもみんな一緒にさせていた。
これは他の拘置所が、死刑囚を独居房に入れ、なるべくおたがい同士の接触をさせない方針を取っているのと正反対だった。
加賀氏がびっくりしたのは、いよいよ刑の執行命令が出たとき、ほかの拘置所の多くでは執行当日か前日に予告するのに、大阪では、二、三日前に教え、心の準備をさせていた。
会いたい人があれば、何とかして面会させる。
そして、当日には死刑囚が全員集ってお別れの会まで開かせていたことである。
教育課の職員の一人は加賀氏にこう言っている。
「玉井さんは、犯罪者を罪をおかした悪人として差別するのではなく、罪をおかさざるをえなかった弱い人間として、つまり人間として、広い心で見ることを私たちに教えてくださった」
玉井策郎氏は
「死刑囚と呼ばれる見捨てられた人達も、決して生まれながらの極悪人ではなかったのです。そのことは、私達が毎日彼等に接していて初めて身に滲みて感じられてまいります」
「死刑囚の取扱いが余り寛大過ぎる、もっと因果応報ということを知らしめて、自分の犯した罪の報いというものの苦しさを味わわすべきだという意見があります。しかし、これは人間としての彼等に接していない人の、誤った考えだと思っています。人間は決して肉体の苦しみによって、自分の行為を反省するものではありません。
厳し過ぎず、甘やかさず、彼等の立場を、自ら認識させるには、どうしても彼等を理解する上に立った愛情が必要なのです」
今の死刑確定囚の処遇はこんなものではなく、もっと厳しい。
そこまでしておとなしくさせた死刑囚を「苦しんだ揚げ句に執行」しなければならないのか、ため息である。
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