三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

是枝裕和『花よりもなほ』

2006年06月29日 | 厳罰化

親から捨てられた4人兄弟を描いた是枝裕和『誰も知らない』は、子供たちの生活を美化していて、育児放棄された子供の身になってみろと思って腹が立った。
しかし、『花よりもなほ』は犯罪被害者と加害者が共に生きていく道を求める映画で、これも偽善と言えば偽善だが、こちらの偽善は好きである。

『花よりもなほ』は、父親が殺され、仇討ちのため江戸の裏長屋に住んでいる武士が主人公(宗左衛門)である。
だが、忠臣蔵のように仇討ち賛美の映画ではない。
赤穂浪士に対して、「夜中に寝込み襲ってんだぞ。しかも大勢でよってたかって隠居した爺さんひとり殺してんだ、卑怯にもほどがあるじゃねえか」と冷やかしているほどである。

『花よりもなほ』では、憎しみ、恨みをどうしたらいいのか(「糞(憎しみ)をもちに代える」)ことについて、『お楽しみはこれだ』で取り上げてもらいたい名言がたくさん出てくる。

もっとも私は和田誠のような記憶力がないので、悲しいかなみんな忘れてしまった。
で、公式サイトを見ると、

お父上の人生が宗左さんに残したものが憎しみだけだったらとしたら、寂しすぎます。

という言葉があった。

小説版『花よりもなほ』を読むと、こういうセリフがある。

人には人それぞれの憎み方があるんです。宗左さんは、その憎しみを…もっと大きな…もっと…だから。そうです。宗左さんは糞をもちに変えたんです。

是枝裕和監督としては、テロに対する報復爆撃といった、憎しみの連鎖をいかに断ち切るか、ということが念頭にあるのかもしれない。
しかし、私は映画を見ながら、光市母子殺人事件の被害者遺族が復讐を口にし、山口地裁の判決が出たあと、「司法に絶望した。早く被告を社会に出してほしい。私がこの手で殺す」と言ったことに対する是枝監督なりの答えかなと思った。

このセリフはマスコミ批判じゃなかろうか。

利用できるもんは人の不幸だって何だって利用しないとね。


糞をもちに変えることで思い出したのが法然のこと。
9歳の時に、父の漆間時国は明石定明との確執の末、夜襲にあって殺される。
父の時国は臨終の枕べに勢至丸(法然)を呼んでこう遺言したと伝えられている。

汝さらに会稽の恥をおもい敵人をうらむる事なかれ。これ偏に先世の宿業なり。もし遺恨をむすばば、そのあだ世々につきがたかるべし。しかじはやく俗をのがれ、いえを出で我菩提をとぶらい、みづから解脱を求めんには。

仇を恨むな、もし仇を討てば、また恨みを生み、恨みしか残らない。恨みはつきることがない。だから、仇を討つな。恨みを捨てよ。お前は出家して、この父の救われていく道、お前自身の救われていく道を求めよ。

「菩提をとむらう」という言葉は、辞書を調べると、「死者の冥福を祈る」という意味で、普通は死んだ人にいいところへ行ってもらうために追善するということだと思われている。


しかし、本来「菩提」とはさとりという意味である。

亡くなった人が仏になる道を求めてほしい、と法然上人の父は願ったのだろう。
では、その道とはどんな道だろうか。

中村薫先生が大河内祥晴さんのことを話された。

12年前、大河内さんの息子さんである清輝君は中学二年の時にイジメを苦にして自死している。
清輝君の遺書を大河内さんは発表し、当時かなり話題になった。
いじめた11人のうち4人が少年院等に送られている。

中村先生のお話で驚いたのは、いじめた4人と彼らの両親とが12年間、毎月清輝君の命日に来ているということだ。

殺された親は必ず怒りなんです。憎しみなんです。日本の法制は加害者と被害者が出会えないんですよ。ここに被害者の救い、加害者の償いの問題があるんです。
たまたま大河内さんのところは、毎月27日の命日に、4人の子供とお父さん、お母さんがお参りに来ているんです。私の兄が住職ですから、一緒にお勤めをして、みんなと話をすることを12年間毎月続けてきたんです。
私は大河内さんに聞いたんです。「あなたは4人の子供たちが憎くなかったですか」と。そしたらおっしゃいました。
「憎かった。この四人さえいなければ息子は自死しなかった。だから憎かった。しかし、憎しみでは出会えないことに気がついたんです。人とは憎しみの中では出会えないんです」
つまり、許すということがどこかにないと出会えないんです。大河内さんは12年間、その子供たちと話をした。彼らはもう25、6歳になります。毎月出会って、謝り許す世界が12年間続いて、大河内さんは「わかった」と言われるんです。「4人の子供たちも寂しい、悲しい思いがあったんだ」と。

「菩提を弔う」とはこういうことなのかと思った。

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18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あのー (しその実)
2006-06-29 20:34:41
なにか違うと思いますその解釈。監督さんに悪いです。
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では是枝監督の意図は ()
2006-06-29 21:22:35
しいの実さんは是枝監督の意図はどういうものだとお考えですか。

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しその実ですが (しその実)
2006-06-29 21:37:31
殺されたのが、その人にとって「父親」なのか「妻と娘」なのかというのでも意味合いが違ってきますでしょう?

あと私はこの映画拝見してませんから意図はわかりませんが、監督さんは光市の事件のことをプロモーション活動なりインタビューなりで触れているのですか?

脈絡なくこの内容はこの人なりの答えなんだって、こじつけにも程があるなぁ、と。
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名前を間違えてすみません ()
2006-06-30 08:26:42
小説にしろ映画にしろ、発表されると作品は作者の手を離れます。

どう感じるかは見た人の自由です。

恨みを超える道を模索する主人公の姿を描きたかったんだろうと、私は解釈しています。

忠臣蔵をからかっていますから、少なくとも復讐を肯定していないことは間違いないでしょう。

小説も出版されています。

小説や映画をごらんになられたら感想をお聞かせください。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4048737023/qid=1151622831/sr=1-4/ref=sr_1_10_4/250-1674555-7714620
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Unknown (しその実)
2006-07-02 09:54:41
感想、意見述べるのは結構\ですが、わざわざその事件を引き合いに出して監督が事件についてこう思っているのではと誤解を招く書き込み方はいかがなのでしょうね。

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誤解する人がいますかね ()
2006-07-02 12:55:59
私のブログを見て、是枝監督はこう思っているのか、と勘違いされる人はいないと思いますよ。

それと私は、是枝監督の意図はテロと報復という憎しみの連鎖をどうのようにして断ち切るかということだろう、とまず書いています。



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Unknown (へんなの)
2006-07-02 13:11:21
「9.11」を受け、アメリカ政府はどのように対処すべきだったのでしょうか。

管理人様のお考えをお聞かせいただければ幸いです。
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対話 ()
2006-07-02 16:13:45
>「9.11」を受け、アメリカ政府はどのように対処すべきだったのでしょうか。



対話が基本だと思います。

それは甘い、と言われそうですけど、アフガニスタンの現状を見れば、力で抑えるのは難しいでしょう。
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Unknown (へんなの)
2006-07-02 18:25:59
>対話が基本だと思います。



1.アメリカ政府は、「誰」と、「何」について対話をし、「落とし所」をどのあたりに設定すべきだったでしょうか。

2.「対話」が決裂した場合、また「相手」が対話を拒否し「徹底攻撃」を表明した場合は、どう対処すべきだったと思われますか。



>アフガニスタンの現状を見れば、力で抑えるのは難しいでしょう。



「力で抑えている」のは「誰」で、「抑えられている」のは「誰」ですか。

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ではどうすべきか ()
2006-07-02 19:02:22
こういったご返事が来るかもしれないと思っていました。

私にはどうすることが最善かはわかりません。

しかし、アフガニスタンやイラクがベトナム化、ソ連傀儡政権下のアフガニスタン化しているのは事実でしょう。

力には力、という方法では限界があることはたしかです。

へんなのさんはどうすべきだと思われますか。
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