三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

インドの仏教はなぜ滅びたか

2015年01月05日 | 仏教

イスラム教徒が仏教寺院を破壊したからインドでは仏教が滅んだと学校で習った。
だが、なぜ仏教徒は抵抗しなかったのか、なぜ仏教は滅びたのにヒンズー教やジャイナ教は存続したのかということが疑問だった。

中村元氏はローマ帝国が亡んだことが遠因の一つだと、何かに書かれている。
ローマ帝国の東西分裂が395年、ヒンズー教を守護したグプタ朝の最盛期は4世紀。
仏教の信者は都市の商人たちだったが、ローマ帝国滅亡により東西の貿易が衰え、インドでは都市が衰退し、仏教も衰えていった。

仏教は一般民衆を相手にせず、僧院に閉じこもっていたため、イスラムの侵入に対して、民衆が仏教寺院を守るために戦わなかったというのを、どこかで読んだ。
それにしても、民衆と乖離していた仏教寺院が千年以上もどうして維持できたのかと思う。

保坂俊司『インド仏教はなぜ亡んだのか』は、まず7~8世紀の西インドでなぜ仏教が滅びたのかが論じられている。
ヒンズー教(正統、保守)対仏教(異民族、被支配層、辺境地域、知識人)という対立構造があり、イスラム教の侵入によって、ヒンズー教の対抗勢力が仏教からイスラム教へと移ったことにより、仏教の政治的役割が消滅し、仏教が西インドでは滅んだというのが保坂説の要旨である。
けど、イスラム教化しなかった中インドでも仏教が滅んだ理由は説明されていない。

仏教が滅びた最大の理由は「仏教がカーストを形成しなかったこと」に求められるのではないかと、鈴木隆泰『葬式仏教正当論』に説かれている。

カーストを形成しなかったことに起因するデメリット
1 通過儀礼を執行できないため、人々の願いに完全には応えられなかったこと。
インドの出家仏教者は除災招福の祈禱・祈願儀礼は行ってくれたが、在家仏教徒の葬式を含む通過儀礼には一貫してノータッチだった。
2 伝統を大切にする農村社会に定着しにくかったこと。
3 グプタ朝など、農村社会に立脚する王朝をパトロンにしにくかったこと。
4 仏教徒の再生産が困難であったこと。
イスラム勢力の攻撃では、ヒンズー教やジャイナ教はそれぞれカーストを形成していたため、親がいなくても、子や孫が役目を継ぐというように、構成員が再生産された。
カーストというインドの伝統的価値観を認めない仏教は、構成員が自動的に再生産されることがなかったので、存続のために外から新しい力を導き入れ続けなければいけない。
仏教はインド宗教界に生き残ろうと、様々な工夫をしたが、在家者の葬儀に携われなかったインドの仏教は、人々の願いに完全に応えることができないので、徐々にその力を失っていくことになる。

伝統的インド仏教は、生まれながらの浄・不浄の差別の観念に基づくカーストの受け入れを断固拒否したことで、根をインドにおろすことができず、いわば、「根無しの浮き蓮華」となりました。そしてイスラーム勢力の侵入という荒波の中で、ついてはインドから消え去る道を選ばざるを得なかったのです。


しかしである、カースト制を拒んだからこそ、仏教は世界宗教となった。

釈尊も、後続の弟子たちも、カーストの受け入れを拒否してくれたからこそ、かえって仏教はカースト文化のないアジア諸地域、そして日本に伝播し、そこで根付き、新たな宗教文化を形成することができました。

ヒンズー教の信者は約9億人と、仏教よりも多いが、世界宗教とは言えない。

『インド仏教はなぜ亡んだのか』に、西インドのある町ではイスラム教徒による攻撃の際に、僧侶が不殺生戒を守るため、戦うことを拒んで開城したというが紹介されている。
ガンジーの非暴力主義の先駆けで、ほほーと感心したのだが、しかし、その僧侶たちはイスラム教に改宗したとのことで、これはまたこれで???でした。

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