三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

森岡正博『生命観を問いなおす』1

2013年01月04日 | 問題のある考え

エコロジーについて書かれたものを読むと、何やらニューエイジや疑似科学と同じたぐいのあやしさを感じるものがある。
いささか古い本だが、森岡正博『生命観を問いなおす』(1994年刊)を読み、エコロジーに対する違和感はこういうことだったのかと納得しました。

 エコ・ナショナリズム
「エコ・ナショナリズムとは、自国や自民族の文化や伝統や価値観などを世界に広めてゆくことで、環境問題が解決するというふうに考える思想のことです」

『生命観を問いなおす』は、まず辰野和男編集局顧問の「地球サミットを前に」という記事(朝日新聞「座標」1992年5月29日)を取り上げている。
森岡正博氏はこの記事の要旨を次のように要約している。
〈西欧の技術文明が、環境問題を生んだ。これに対して、東洋や先住民には、「森との共生」の思想がある。それにもとづいた新しい環境哲学が必要だ〉
〈日本は自然中心主義の文化で、共生原理だった。日本は、森の思想がわかる立場にある。日本は、壮大な環境哲学を説きうるのだ〉
西洋文明は「怒りの文明・力の文明」で破壊的、東洋文明は「安らぎの文明・慈悲の文明」で自然的。
自然征服型の文化は人間中心主義で競争原理、自然一体型の文化は自然中心主義で共生原理。

森岡正博氏が教える学生のこの記事についての感想には、するどい指摘(批判です)がたくさんあるが、省略。
「日本人には独特の環境哲学がある。それを世界に向かって説いてゆくべきだ」という辰野和男の論は、アイヌや沖縄の文化をやたら持ち上げたり、アニミズムや縄文文化を絶賛し、こうした文化に学ぶことによって現在の諸問題を解決する糸口を見出すことができるように言う人がいるが、似たようなもの。

 ディープエコロジー

80年代にディープエコロジーの思想と生命主義とでも呼ぶべき思想が展開したと、森岡正博氏は言う。
アメリカを中心として、ディープエコロジーは80年代に盛り上がる。

ディープエコロジーは、我々自身のことを、有機的な全体の一部として考えます。そして、我々自身の意識の探求と、意識の変容を重視します。それは、積極的で、深い真理探求と、深い瞑想のプロセスと、深く考えぬかれた生活様式によって達成されます。そういう探求をつむことによって、我々は哲学的・宗教的な知恵を獲得することができるのです。

つまり、まず自己の探求や瞑想などを行ない、誤った近代的な世界観を捨て去ること。そのかわりに、有機的な生命世界のなかに織り込まれて存在している真の自己のあり方に目覚めること。そして、生活をエコロジカルなものに改め、調和のとれた世界を実現してゆくための直接行動に立ち上がろう。
これが、ディープエコロジーの考え方の基本です」

なるほど、シーシェパードの理論的根拠はディープエコロジーなわけか。
『12モンキーズ』に出てくる、地球環境を守るために人類を滅ぼそうとする人たちもディープエコロジストなのかもしれない。

「ディープエコロジーの思想家たちは、地球と私とを連続的なものとして考えます。
ですから、地球の危機を救うためには、まず私たち自身が変わらなければなりません。
「私が変わるとき、地球も変わる」。
こういう発想をするわけですね。(略)
私たちのものの考え方や行動パターンが変わるためには、まず、私たちがなじんできた「世界観」や「価値観」や「自然観」が変わらなければなりません。人間と自然とを分断し、自然や人間の道具としか見ない、誤った世界観を捨てなければなりません。
〈自然は、征服すべき対象ではない。人間と自然とは、そもそも一体である。人間は自然のなかで、自然にささえられてはじめて、生きてゆけるのである〉
こういう正しい世界観をいま再発見するべきなのだ、と訴えるのです。
そのためには、まず、私たちが見失ってきた「自然の声」「地球の声」を聞くことのできる感受性を取り戻し、それらと呼び合うような人間へと、意識を変革してゆき、自分たちが住む身近な地域の自然にもっと真剣なまなざしを向け、自然破壊や動物の虐待をする人に対しては、すぐに直接行動をとってゆくことが必要です」

「自分が変われば世界は変わる」はニューエイジのキャッチフレーズである。
もっともなようだけど、よく話を聞いてみるとおかしいことがあるが、これもその一つ。

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6 コメント

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エントロピーの法則って何? (となりのみよちゃん)
2013-01-05 04:42:57
格物致知から豁然貫通そして宇宙認識に至る道。

易…トカゲの形を残したもので、トカゲは太陽の光で色が、ころころ変化しるらしいです。宇宙も、トカゲみたいに、一瞬たりとも変化を止められないようです・・・その変化の中に法則を見出したのが、易の思想で、その易を葦編三絶したのが、孔子。ここまでは、儒教の入門書を読めば、書いてあることですが、江戸時代に、山崎闇斎という独創的ですごい人が、神道と朱子学を結び付けて、しかも、易を研究するうえで、天文歴算まで、研究していたようです。彼の門人が、安井算哲で、ちょっと最近まで、本や映画でブームになっていました。
自然一体型の文化って、何を意味するのか、よくわかりませんが、その文化と山崎闇斎のように神道のことも熟知している文化人がどこかにいらしたら、そういう人の書いた現代の本も読んでみたいです。(分かり易いのがあれば、神道は難しそう・・・)

最後の二行。立ち読みしておかしいと思うエコ関係の本、ほんとに、たくさんありますね。
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何かと言われても ()
2013-01-05 16:25:00
ネットで調べてくださいな。

河合隼雄の本に、易は未来を予言するのではなく、その人の無意識を明らかにする、というようなことを書いていました。
どうとも解釈できる易経の言葉によって、自分が何を求めているかがわかることは理解できますが、それだけだったら易経でなくても何だっていいわけでしょ。
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あけましておめでとうございます (てるてるぼうず)
2013-01-06 18:21:07
本年もこの良いブログを汚していきます

真宗の僧侶が書いていた言葉に
「答えを持つと人を裁く」
とありました

誤った世界観を捨て・・・云々

誤った世界観も正しい世界観も、その人にとっては、その「答え」なのでしょう
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円さんの言葉で (となりのみよちゃん)
2013-01-07 05:18:26
お聴きしたかったのです。
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こちらこそよろしく ()
2013-01-07 17:55:54
>てるてるぼうずさん
宮城先生は、「学問」が「学答」になっている、学問とは問いを学ぶことだ、と言われました。
名古屋教区の御遠忌運動方針は「不安に立つ」、本山のテーマよりずっといいですね。

>となりのみよちゃんさん
私は文化系人間で、理科系のことはさっぱりです。
片づいている部屋が自然と散らかることはあっても、散らかっている部屋が片づくためには労力がいるとか、お湯が冷めても、何もしないのに水が沸騰することはないとか、その程度の知識です。
ウィキペティアの説明も難しくて。
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そんなぁ・・・ (となりのみよちゃん)
2013-01-07 18:07:12
知識の出し惜しみは、いけませんって感じです。

そいうえば、お部屋が散らかってるとき、お客さんが見えて、あわてて、押し入れに、散らかったものを、突っ込んでみたところで、それはエントロピーの法則では同じこと。みたいに説明してる、文化系の教授いますね。
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