不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

竹中労『聞書・庶民烈伝 牧口常三郎とその時代』2

2011年12月05日 | 問題のある考え

竹中労『聞書・庶民烈伝』は学会員の聞書だけでなく、明治4年生まれの牧口常三郎が育った明治、そして生まれた新潟について(北前船、北一輝、坂口安吾など)書いている。
竹中労氏は河井継之助には「戦争犯罪人、と言おう」と厳しい。
家を焼かれ、殺される庶民の立場からの批判である。
明治という時代は「庶民を限りなく収奪して、困苦のどん底に突き落とすこと」によって、西洋列強と伍すようになったと、やはり庶民の視点から見ている。
明治18年、農民の負債総額は1億円に達した、ということを竹中労氏は記している。

そして、田中角栄。
「こう言わねばなるまい、知識や教養のあるなしで田中を見くだすことは庶民=学会員自身を嗤うことに他ならぬのだ、と」
創価学会員は庶民というわけである。
そして創価学会会員は反逆者。
「この街(長岡市)に真摯に生きる庶民の命があるかぎり、究極・その命は支配に対立して、人間なべてを彼岸に解放するのだと信ずる理由が、私にはある。学会の人々に即して言うなら、それは初代・牧口常三郎が種蒔き、二代、戸田城聖が花咲かせ、いま一人一人の胸底に確乎として根を下ろしている、「日蓮正宗」の信仰なのである」
創価学会は庶民の味方というわけである。

創価学会会員は被差別者。
「たとえば、こう考えてほしい。「学会無用」とレッテルをはり、私をおとしめ孤立させる。それは、民・朝鮮人に対するのと等しく,創価学会員なべてを〝特殊な〟集団人として、恒民社会の外に隔離する差別の構造ではないのか、と」
だけど、創価学会の会員を「民・朝鮮人」と同列に扱うのはどうかと思う。

なぜ差別され、迫害されるのか。
「学会員絶対多数は、まぎれもない恒民である。しかるに差別され・蔑視され,理不尽に迫害されるのはなぜか?
信仰のゆえに、である。あなたがたの信仰に,世の多くの人々が無知・無縁だからである。〝反創価学会キャンペーン〟に私が立ち向かったのは,その無知を扇動し増幅する,出版資本と背後の謀略機関・JCIAを撃つためであった」
反創価学会キャンペーンは謀略というわけである。
だけど、創価学会だけが弾圧を受けたわけではないし、創価学会が嫌われたのは、他の宗教を邪教と非難し、あまりにも攻撃的、強引な折伏をしたことによって、社会との軋轢を作ったからだし、政党を作って権力を握ろうとしているからであり、それなりの理由があると思う。
山田八重さん「そうそう、折伏ほど楽しいものはないから」
頼みもしないのに折伏されるほうは迷惑な話である。

聞書を読むと、一人ひとりの信者はいい人だと思う。
暴力団組員や統一教会信者も個人的には悪い人ではないらしい。
だけど、組織となると、人間は変わる。
そこが困ったところである。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする