三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

鈴木伸元『加害者家族』3

2011年08月28日 | 厳罰化

長崎男児誘拐殺人事件で、長崎新聞のコラムは「加害者の両親は、自分の子どもが事件を起こしたことを知った時点で、すぐに表に出て謝罪をすべきだった」と書いていたと、鈴木伸元『加害者家族』にある。
「表に出る」とは記者会見をするということか。
すぐに表に出て謝罪しても、被害者遺族が納得するとは思えない。
さらし者になり、第三者があれこれと文句をつけるだけではないか。

英国人女性殺害事件被告の両親が記者会見をして謝罪した。
それに対して「言葉が軽かった」「息子のことを突き放していて、親なのに他人事のようだった」「発言内容は理路整然としていて正しいかもしれないが、申し訳ないという感情が伝わってこない」など、テレビで識者や関係者が非難したそうだ。
では、どういうふうに謝罪をしたらこの人たちは満足するのだろうか。
謝罪しようとすまいと、どんな謝罪をしようと、必ず非難すると思う。
自殺したら「逃げてる」と言うわけだし。

「謝罪と反省をしようとする加害者家族の姿は、ほとんどと言ってよいほど報道されることがない。彼らが口にする謝罪や反省といった言葉が、心からのものなのか、裁判対策などを含めた表面的なものなのか、判断が難しいからだ。
また、仮に心からの謝罪であったとしても、そうした加害者家族の報道をしたところで、視聴者や読者からの理解は簡単には得られない。贖罪の意識にさいなまれる親の姿よりも、「責任逃れ」をする親の姿の方が、世間が作り上げて非難の対象とする「加害者家族」のイメージに合致するからではないだろうか」

加害者家族が被害者へ謝罪するのはともかく、記者会見で謝罪をする必要はないと思う。
そんなことをするのは世界でも日本だけではないか。

『加害者家族』のあとがきに「加害者の家族の「人権」を声高に主張するつもりは毛頭ない」とある。
犯罪学の研究者の「犯罪被害者を支援する人たちがいて、加害者の家族を支援する人たちもいる。その両方があることが成熟した健全な社会の姿だと思う」という言葉が紹介されているが、この研究者も匿名である。
「被害者をないがしろにするのか」という非難を避けるためだと思う。

加害者家族の抱える問題と、冤罪被害者、犯罪被害者の問題とは通じるものがあるように思う。
匿名でいやがらせの手紙、電話、ネットへの書き込みをする人は、犯罪被害者にも遠慮しない。
被害者宅にいやがらせの電話や手紙をする奴らは、どういう思考回路をしているのだろうかと思う。
だが、マスコミも被害者のプライバシーを暴きたて、事件とはまったく関係のない私生活を面白おかしく伝えるのだから、彼らをマスコミは批判はできない。


被害者が損害賠償の請求をすると、「子どもの命を金で売るのか」といった誹謗中傷を受ける。
踏切事故でお子さんを亡くした人がJRに賠償請求をした。
以前にも死亡事故があったのに、警報機すらついていない踏切だった。
ところが、それが新聞記事になると、2ちゃんねるでは「親がバカだから子どももバカなんだ」などと中傷する書き込みが大量に書かれた。
事故の状況をまったく知らず、おまけに誤解しているのに、平気でボロクソに書く。
結局は原告の勝訴となったが、「バカと書いてまずかったな」と少しは反省したらいいのだけど。

「実際のところ被害者の遺族は、事件をきっかけに仕事を辞めたり変えたりしなければならない状況に追い込まれてしまい、加害者からの月ごとの分割支払いで受け取る賠償金によって、かろうじて生計を維持できているという場合が少なくない。また、受け取る金をすべて被害者団体などに寄付をして、自分の懐には入れないという遺族もいる」

冤罪の人も犯罪被害者だが、仮に冤罪であることが明らかになっても、一度失った社会的信用や人間関係は元には戻らないし、陰で誹謗中傷する人がいる。
佐藤直樹氏は「いったん逮捕された人間は世間が許さないのだ。世間では理屈が通用しない。世間では人権や権利が通用しない」と言う。

「加害者家族を追い詰めていく日本社会は、一方で犯罪に巻き込まれた被害者や、その家族も攻撃してきた。
犯罪被害者は、社会から好奇の目で見られることが多い。犯罪に巻き込まれた経験のない人たちからすると、あの家族が被害者になったのは何か理由があったからだという推測が生まれてくる。それが、「被害者の側にも落ち度があったからだ」という論理にすりかわり、非難や偏見をもって接するようになるのだ」


夫が殺人した女性「どんなに言い訳をしても、自分は加害者側の人間であることに変わりはありません。被害に遭われた方のことを考えると、加害者側の人間は、苦しいとか悲しいとか、そんなことを訴えられるような立場ではないと思っています」
麻原彰晃の四女「加害者側の自分が、たとえ一時であっても全部忘れて楽しく過ごすなど、絶対に許されないことだと思うのです」
そんなことはない。
加害者の家族だって「人権」を主張しなければいけない。
どんな人の人権をも大切にすることが、被害者の人権を守ることにつながると思う。

コメント (2)
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