平雅行『歴史のなかに見る親鸞』に、松本史朗『法然親鸞思想論』について「松本氏の法然論は賛成できないにしても、研究としてはもう少し緻密にできているのですが、親鸞関係の多くの論文はほとんど妄想としか言いようがありません」と、ずけずけ批判している。
松本史朗氏は、『歎異抄』は造悪無碍を説いている、と主張している。
造悪無碍というと、殺人や盗み、嘘、乱交を平気でするような人を指しているのかと私は思っていた。
ところが平雅行氏によると、そうではない。
興福寺奏状には、専修念仏は「囲棊双六は専修に乖かず。女犯肉食は往生を妨げず。末世の持戒は市中の虎なり」と放言している、と非難している。
慈円『愚管抄』は、専修念仏が「この行者に成ぬれば、女犯を好むも魚鳥を食も、阿弥陀仏は少しも咎め玉はず」と喧伝していると、述べている。
つまり、悪とは、女犯・肉食と囲棊・双六のことなのである。
「造悪無碍の「悪」の実態とは、そもそもこの程度の話です」
なあんだ。
「女犯肉食は恥ずべきことなのでしょうか。これを恥とも思わない人々が、造悪無碍の徒と指弾されたのです」
女犯と肉食は往生の妨げになるのだったら、一般人は全員失格である。
女犯を認めた「行者女犯偈」の意味合いはここらにあるらしい。
つまり、生きていくことは悪を造らざるを得ないことを問題にしているわけである。
なぜ顕密仏教は造悪無碍の言説に神経を尖らせたのか。
平雅行氏によると、日本中世は世俗社会の仏教化が進展し、社会全体では戒律への関心が高まっている。
たとえば、一般の人でも六斎日(月に六回)には八斎戒を遵守した。
「こうした斎戒や殺生禁断には、罪の浄化力があると考えられていました」
「それ以上に重要なのは社会的機能です。六斎日の精進によって、時間と空間が浄化され神々がその威力を回復すると考えられました」
「六斎日の精進は、社会全体の平和と繁栄を維持するうえで大きな効果があるとみなされました」
「逆にいえば、斎戒や殺生禁断を守らないことは、社会の安寧を乱す行為ということになります」
斎戒、殺生禁断は個人の問題ではないのである。
「それに対し専修念仏は、そのような作善に意味はないとして社会規範を揺るがせました」
もう一つの問題は肉食のケガレである。
神祇祭祀の時、贅沢な食事を慎むことで神に願いを聞いてもらおうとして、獣肉を食べることはタブーとなった。
ところが12世紀ごろから、獣肉食のタブーをケガレで説明するようになった。
鎌倉時代になると、猪や鹿の肉を食べた者は食後30日から100日は神社参詣が禁じられた。
しかも、獣肉を食べた者と同座したり、煮炊きの火が同じだと、ケガレが伝染するので、感染した者も参詣を憚らなければならなかった。
ところが、念仏者たちは肉食のケガレを無視して神社に出入りする。
「専修念仏はこのタブーを無視したばかりか、「無視しても神罰は当たらない」と放言した、というのです」
造悪無碍の実態は「おそらくこの程度のものだったと思います」
「六斎日の精進が当然視され、それを拒否する者は造悪無碍の徒と非難され、迫害されます」
京都にいる親鸞は、こうした東国の宗教的環境の激変を知らなかった。
「情報過疎も手伝って、親鸞は状況把握に失敗しました。そして造悪無碍が本当に起きているのだと誤認し、その封じ込めを善鸞に託したのです」
そこらに善鸞の悲劇があるらしい。
そして平雅行氏は「晩年の親鸞は思想的に破綻していったと私は考えている」と言う。
『歴史のなかに見る親鸞』批判を読んでみたいものだ。