テレビの討論番組で原発の是非を一般視聴者が論じ合っていたのをちょっとだけ見た。
原発の存廃について賛否がほぼ半分ずつ。
原発賛成の人が「今の快適な生活を続けていくためには原発は必要」とか、「原発がイヤなら引っ越したらいい」とか言っていて、なんとまあ自分勝手な奴らだと腹が立ち、テレビを消した。
だけど、↓の記事を読むと、原水禁運動の中でも賛否が分かれているらしい。
原水禁大会:広島で開会
原水爆禁止日本国民会議(原水禁)系の「被爆66周年原水爆禁止世界大会・広島大会」が4日、広島市で始まった。例年通り初日の大会は、「脱原発」を明言する原水禁▽原発推進方針を凍結した連合▽「原子力の平和利用」を掲げる核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)が共催。東京電力福島第1原発事故で原発問題に注目が集まるなか、3者のスタンスの違いが改めて浮き彫りになった。
あいさつで、長崎の被爆者でもある川野浩一原水禁議長は「私たちが原発の問題を避けて通ることが許されるのか」と訴え、脱原発を主張。連合の南雲弘行事務局長は「エネルギーの在り方が根本的に問われている」と述べるにとどまった。採択されたアピールは、初日の大会テーマの「核兵器廃絶」に絞られた。一方、核禁会議は大会とは別に開いた集会で「原子力の平和利用」を推進するアピールを採択した。川野議長は開会前の記者会見で「3団体で原発について議論を進める機は熟していない」と話した。(毎日新聞8月4日)
原水禁ですら核と人類は共存できると考えている人がいるわけで、これじゃ、一般の人が、原発がなくなったら電力が足りなくなるとか、温暖化防止のためには原発が必要だとか思っても仕方ない。
と、えらそげなことを言ってる私だって無知蒙昧である。
「溜息通信」63号には、温排水についても書いてある。
「「温暖化防止」も嘘だ。原発が「温暖化」に寄与しているのは、海にたれ流している温排水にある。福島原発で明らかなように、原子炉を冷やすには膨大な水を必要とする(だから海沿いに建てられている)。実に発熱量の2/3も捨てている非効率な発電装置・原発の排水量は、100万kw級で平均毎秒69tにもなる。
福島原発だと第1(6基=69.6万kw)が324t/s、第2(4基=440万kw)が303t/s。ちなみに木曽川の年平均流量が252t/sだから、福島原発だけで木曽川2.5本分にも相当する。全国54基の総排水量を想像してみてほしい。
しかも規定では、海水温より7度を超える温水を排出してはならないことになっているが、守られてはいない。
日本周辺の海水温がこの100年間で0.7~1.6℃上昇していて温暖化が進行しているとの気象庁の警告は眉唾物。(略)
54基でもって年がら年中膨大なお湯を海にたれ流していれば、海水温が上がるのは当たり前で、わざわざ遠くの海洋に原因を求めるのは、温暖化論に洗脳されて目の前の現象(原発)が目に入らないのか、それとも政治的意図があって故意に原発を除外しているのか」
なるほどねえ。
「溜息通信」に、「アエラ」4.4号の「原発学者は今回の事故をこう受け止めた」というアンケートをコピーしてあって、それを読むと、原発推進派の御用学者たちは少しも反省してない、というか考えをまったく変えていない。
宮崎慶次大阪大学名誉教授は「私はいまでも原子力を積極的に推進し、もっと増やすべきだと考えている」と、「アエラ」4.25号で語っているという。
広島知事:式典での首相「脱原発」発言に不快感
が難しいのでは」と不快感を示した。菅首相は式典で「原発に依存しない社会を目指す」と表明していた。
湯崎知事は式典でのあいさつで原発に触れなかったが、「放射能被害の共通性はあるが、それを式典で言い、脱原発が注目されるのが良いことなのかと思い、言わなかった」と説明した。湯崎知事は福島第1原発事故後、「原発のあり方については国民的な議論が必要」として自らの考えを示さず、「エネルギー問題と原爆投下は並列して比較するものではない」との見解を述べている。(毎日新聞8月9日)
ちなみに、湯崎英彦広島知事は通産省資源エネルギー庁原子力産業課課長補佐だった人。
湯崎英彦広島県知事は宮崎慶次大阪大学名誉教授と考えが同じらしい。
この人たちは核のゴミについてどう考えているのだろうか。
「使用済み核燃料、いわゆる「核のゴミ」の国際的な最終処分場を日米主導でモンゴルに造る計画が、水面下で加速している」という新聞記事があった。
「「モンゴルは東洋のスイスになるべきです」。米シンクタンクの2人と経済産業省の官僚が、バトボルド外相(現首相)、ボルド国防相ら政府要人に語りかけながら、後に最終処分場建設計画へと発展する提案書(英文)を差し出した。
南を中国、北をロシアに挟まれた内陸国モンゴルは、両大国の度重なる干渉に苦しんできた。3人は、「永世中立国」を宣言したスイスが国連機関を誘致して安全保障を強化した例を引き合いにし、「使用済み核燃料を貯蔵する施設を建設、国際機関が管理すれば、中露両国も、うかつにはモンゴルへ手出しができません。北東アジアの安全保障強化にも貢献する」とたたみかけた」
まるで詐欺師の口舌である。
「日米では住民の反発で最終処分場の建設は現状では極めて困難だ。国連加盟国の中で人口密度が最も低く、地盤も強固なモンゴルに白羽の矢が立てられたのは、原子力を国家戦略に据えた先進国の「事情」があった」(毎日新聞7月31日)
原発というのは、自分さえよければ他人はどうなろうとかまわないという浅ましさをむき出しにさせる何かがあるらしい。
新谷尚紀『お葬式』にこんなことが書いてあった。
「ホモ・サピエンスは、逆にある意味では増殖し続ける不気味な種です。困った種でもあるのです。
つまり、自分たちで自分たち自身を殺さなければ、増殖しすぎて、限られた地球資源の中では自分たちの種が維持できないような種ではないか。だから、ホロコースト、大殺戮をこの種はするのだ、というのが私の想定している仮説なのです」
20世紀に戦争という大量殺人が何度も起きたが、「ホモ・サピエンス自身の種のセルフコントロールではないか」と新谷尚紀氏は言う。
原発をさらに増やすべきだとおっしゃる方々は、人類滅亡願望があるのではないかという気がしてくる。