三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

小さな国の大きな失敗

2011年08月01日 | 青草民人のコラム

久々に青草民人さんから原稿をいただきました。

小学校の七月の国語の教材の多くは、戦争を扱った文学教材の読み取りが多いです。
『ちいちゃんのかげおくり』『おこりじぞう』『一つの花』『川とノリオ』『いわたくんちのおばあちゃん』
どの作品も、直接戦争の悲惨さを描いたものではないのですが、家族を引き裂く戦争の悲しみを通して、間接的に戦争の悲惨さを訴えています。
子どもたちは、八月の広島・長崎の原爆の日、そして終戦の日を迎えるまえに、平和のための教育の一環としてこれらの作品を学習します。

四年生の教材は、広島の原爆を描いた『いわたくんちのおばあちゃん』という話でした。
いわたくんちのおばあちゃんは、家族で写真を撮ろうとすると「いやあよ」と言って、決して写真に写ろうとしません。
それは、家族で写真を撮った次の日、広島の原爆で家族全員を失ったからです。
しかも、当時、学徒動員に参加していた彼女は、ようやくたどり着いた我が家で、黒焦げになった父母、そして兄弟たちの無残な姿を目の当たりにするのです。
戦争が終わってから、奇跡的に焼け残ったあの一枚の写真が、写真館の方から彼女に手渡されます。

子どもたちと原爆について話し合い、『はだしのゲン』のビデオを見ました。
同じような体験をされた方々が、一人一人の死のドラマを体験されていることを改めて子どもたちと確かめ合いました。

日本は、唯一の被爆国であります。広島と長崎を世界のヒロシマとナガサキにしました。
戦争は誰が悪くて誰が正しいというものではないでしょう。普段の私たちの心の中にある、自分さえよければ他人はどうなってもよいという我執の現れが、次第に戦争へと我々を駆り立てていくのかもしれません。

さて、日本は、今もう一つの被曝国になりました。福島をフクシマにしたのです。
ヒロシマやナガサキの体験を見失った国、ニッポン。小さな国の大きな失敗。
原爆は戦争利用で、原発は平和利用だ、地球温暖化を防ぐためには原子力エネルギーは欠かせない。毒である放射能を資源に乏しいニッポンを元気にする原子力という特効薬にしよう。

小さな国の大きな失敗の背景には、科学や技術力の高さを過信し、過去の過ちを顧みず、核の恐ろしさを現実の生活の豊かさでカモフラージュしてきた私たちの欺瞞がそこに見え隠れしています。
原爆や戦争の惨禍から立ち上がり、復興したニッポン。しかし、長く繁栄を続けてきた我が国に大きな審判が下るときがきました。
未曾有の大震災は、私たちに大きな犠牲とともに、大切な気づきを与えてくれたように思います。

親鸞聖人のお言葉に「薬あり毒をこのめ、とそうろうらんことは、あるべくもそうらわずとぞおぼえそうろう」とあります。
薬があるからと毒をこのんで飲めというのはあるはずもないことだということでしょう。

放射能の恐ろしさを体験した被爆国が、再び被曝国となる。原子力という薬は放射能という毒であることに変わりないのです。
我が身の深き執心に気づき、ニッポン人は日本人に立ち返るときが来たのでしょう。

コメント
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