三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

平雅行『歴史のなかに見る親鸞』4

2011年08月07日 | 仏教

 善鸞の義絶
善鸞の母親は誰か。
義絶状に「みぶの女房」の名前が出てくる。
善鸞は親鸞への取りなしを「みぶの女房」に頼み、そのことに親鸞は怒った。
平雅行氏は「みぶの女房」が親鸞の最初の妻であり、善鸞の実母、もしくは近親者だとする。
その説明にはもっともだと思いました。

「この時代は、離婚や再婚は珍しい話ではありません。落ち目になった夫について行くぐらいなら、普通の貴族女性は再婚を考えたでしょう。妻子が流罪先まで同行するのは、中世ではめったになかったと思います」

義絶状偽物説について。
「善鸞義絶状がニセ物ではないかという疑問が提起されたのは、今から50年も前のことです」
それに対し、岩田繁三氏、宮地廓慧氏、平松令三氏らは真撰だと主張した。
ところが、
「偽作説は収まる気配を見せません。最近では松本史郎氏や今井雅晴氏が偽撰説を唱えていて、むしろ偽撰説のほうが勢いづいている感すらあります」

偽物説が論拠は何か。
「善鸞が受け取ったはずの義絶状が、なぜ敵方の真仏―顕智に伝来したのでしょうか。善鸞がこれを敵方に見せることはあり得ません」

では、どうして真仏・顕智が義絶状を手に入れたのか。
平雅行氏は「文書の宛所と受給者との乖離」という中世文書の特質から容易に説明がつくと言う。
「中世文書の世界では、文書の実際の受取人が、その文書の宛先と別人であるような事例がいっぱいある。たとえば文書の宛先が善鸞になっていても、実際には最初から別人がそれを受け取ることになっているのは珍しいことではなく、中世古文書学の一原則とされるほど、ありふれたことなのです」
正文の命令書を相手に見せて、幕府の命を履行するよう要求する。
そして案文を相手に渡す。
「正文(本物)は重要な権利書ですので、将来に備えて大切に保管し、案文(写し)を相手に渡すのです」

こういう慣例は善鸞義絶状にも当てはまる。
「東国の性信は親鸞のもとに使者を派遣して、問題解決を訴えます。善鸞のほうもおそらく同じ行動をとったでしょう。双方からの働きかけを前にして親鸞は悩んだと思いますが、最終的に善鸞の義絶を決意します。そこで親鸞は、同日付で二通の文書を書きました。義絶状[A]と通告状[B]です
親鸞も義絶状と通告書を性信に渡し、性信は善鸞に義絶状を見せ、案文を手渡す。こうして義絶状と通告状が性信の手元に残る。

「中世文書の在り方からすれば、義絶状が善鸞の反対勢力に伝来するのは、むしろ当たり前のことです」
「もしも親鸞が義絶状[A]を善鸞に直接交付したら、どうなったでしょうか。善鸞にとって、この文書は致命的なものですので、義絶状を隠すに違いない。こんなものを自発的に公表するはずがありません。ところが性信の側には、善鸞を義絶したという親鸞の通告状[B]が届きます。ということで、今度は義絶されたと主張する性信と、そんな事実はないと主張する善鸞との間で泥仕合が続くことになります」

「義絶状が義絶状として機能するためには、本人に義絶状を直接渡してはなりません。対立者を通じて手渡されて、はじめて義絶状は機能するのです」
「少なくとも義絶状の正文を本人に与えたような事例を、今のところ私たちは日本中世で確認することができていません」
これまた説得力がありました。

コメント
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