三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

新谷尚紀『お葬式』2

2011年06月29日 | 仏教

で、お葬式である。
新谷尚紀『お葬式』に、日本の葬式の持つ意味が三転しているとある。
「葬送三転考」
1,畏怖と祭祀
2,忌避と抽出
3,供養と記念

縄文時代には、集落の入口に死体が埋められた。
縄文、弥生、古墳時代は、
「死体は死霊と不可分で、ともに畏怖と祭祀の対象であった」
「畏るべき怖いものとして遺体と霊魂とを祀る時代」
である。
火葬のもっとも古い例は縄文前期中葉だそうで、そんな昔から火葬があったとは知らなかった。
火葬での遺骨処理には、山野への散骨と、蔵骨器への納骨という二つの方法があった。

ところが、平安時代には死体や墓地がけがらわしいと考えられた。
「死穢を徹底的に忌避するかたちをとったのです。「忌避と抽出」の時代の到来、というわけです。つまり、死穢を発散する遺体は火葬して浄化し、遺骨だけを寺院やお堂の塔の中に納骨するという時代です」
死を穢れと考えて、忌避する考え方が強くなってくるのは桓武天皇が平安京に都を移してからである。
「平安京の造営以降は、洛中はきびしく死穢を忌避する場所となっていきました」
都に死の穢れが充満しては困るので、平安時代には都の中に墓は作られなかった。
「墓地は参詣するものなどいない忌避すべき場所とみなされるようになっていました」

ところが武士は、平安貴族とは違う考えを持っていた。
「戦闘死した人物の遺体は決して粗末にはしませんでした。父親の遺体を埋めた場所に菩提寺をつくるなどして、死者を記憶しその功績に報いようとしました。そして、武士も貴族も、死者の冥福を祈って菩提を弔う供養を行なうことをたいせつにするようになります」
こうして「供養と記念」の時代が近年まで、つまり約800年ほど続いてきた。

現在は「記憶と交流」の時代になったと、新谷尚紀氏は言う。
「戦後の1960年代以降の高度経済成長によってもたらされた新しい時代、現在は、「供養」の部分が減少し、死穢の感覚も減退して、「記念と交流」というもう一つの新しい段階へと入ってきているのではないか、と考えられるのです。
死者は、かつてのようにあの世で寒さにふるえ飢餓に苦しみ衣食を求めるような存在ではなく、したがって衣食の資養、供養の必要はないものと考えられてきているようなのです。死後の人びとは、この世と同じ快適な衣食住を得られる存在であり、衣食の資材の供養ではなく、生活の快適さと相手のいないさみしさとをたがいに分かち合えるヴァーチャルながらもパートナーシップ、フレンドシップを共有しあえる関係者どうし、という関係になってきているようなのです」

その一つの表れがグリーフケアである。
「人びとの考え方が、死者への供養よりも、彼や彼女を失った喪失感にとまどい悩む自分の気持ちの安定を求めるグリーフ・ケアが中心となってきているのです。それは、未知で不安なあの世へと旅立つ死者たちの苦しみや不安や迷いを想像し、それに共感してその冥福を祈るという、かつて伝統的であった考え方ではなく、悲嘆の中にいる自分が癒されたいという個人化社会を反映する考え方のようです。死をめぐる「他者愛から自己愛へ」という変化といってもよいかもしれません」
死者(霊)を慰め、鎮めることによって祟りや災いを防ぐことから、自分自身の慰め、癒しに変化したということか。

新谷尚紀氏によると、死者供養とは切断と接続という儀礼である。
「死者はこの世に執着を残してはいけない。新しい死者の霊魂は活動的で荒ぶるかもしれない。しかし、供養や祭祀を重ねるうちに成仏して安定化したり、先祖の霊となって子孫を守る存在となると考えられてきました。そこで、葬送儀礼とは、死者をこの世の存在からいったん切断する儀礼である、そして、切断した上で、一定のコントロールのもとであらためて接続する、そういう儀礼であるというふうに考えられるのです。切断とは、具体的には引導渡しとか戒名をつけてあの世の存在とすることなどです。接続とは、お盆や年忌の供養、また墓参りなどです」

ところが、現代は死霊を畏怖したり、死穢を忌避する気持ちが希薄化しているそうだ。
死んでいくところを目の当たりにすることがなくなってきていることもある。
「人間は最期はこのように血の気のひいた蝋人形のような顔になるものだと、それをよく見て最期のお別れをしたものでした。死ぬということはこういう顔になるのだと」
「伝統的な看取りや葬儀では、このように、最期の顔を見て見送るのがとても大事でした。衰弱していく身体とそこから離れていく霊魂、その霊魂とはどのようなものか、そのような想像力の中で、人間の死というものの厳粛さと現実味、リアリティがあったのです。
それが今では、まだ元気なころの微笑んでいる写真が遺影として祭壇に飾られているのです」
現代の葬儀では、死者の遺体はそこにあるのであって、ケガレがあるとか悪霊の取り憑くという感覚が薄くなっていると、新谷尚紀氏は言う。
「「供養」から「記憶」へという重点の置き方の変化が、いま死と葬送の日本文化史の中に起こってきていることは確実なようなのです」

そう言われればそうかなとも思うが、しかし、霊魂を怖れたり、死のケガレを忌むことは変わらないし、葬式や墓に関する迷信が新しく作られている。
死に顔のよしあしは今でも言うし、死に方についても気にする人は多い。
過渡期で、二極化しているのかもしれない。

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