三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

南京事件 3

2009年10月30日 | 戦争

なぜ日本では南京事件否定派の影響力が大きいのか。
南京事件は本来は歴史という学問の領域のはずなのに政治的問題になっていると、笠原十九司氏は指摘する。
「南京事件が日本国内において日中戦争を侵略戦争と批判的に見るか、「正当な戦争」であったと肯定的に見るかという日本の戦争認識の鍵となる象徴的事件になって」いるのである。
南京大虐殺を肯定すると、日本が中国に侵略したと認めないといけない。
だから、南京事件を否定する。
「日本の戦争が侵略戦争であることを国民に認識させないために、南京大虐殺否定論者が必要とされるようになったのである」
その意味で南京事件は慰安婦問題とつながっているし、南京大虐殺否定論は東京裁判否定論とセットである。

否定派は、日本は侵略なんかしていないし、不法なことはしていない、それなのに一方的に非難されるのは中国やアメリカの陰謀だと主張する。
「藤岡(信勝氏)・東中野(修道氏)らの論理は、南京大虐殺は中国が日本を国際社会から放逐するために、国際的にしかけてきた情報戦・思想戦の一手段であり、それに欧米のメディアが加担して日本を孤立させるために「国際情報戦」を展開している、というものである」
日本は加害者どころか、陰謀に巻き込まれた被害者なんだというわけである。
だから、南京で虐殺があったと主張する者は中国の手先ということになる。

私も正直なところ、南京事件など日本軍の加害事実を認めたくない。
そんな昔の話を今さらほじくり返さなくてもという気持ちがあるし、日本がした悪いことばかり強調しなくてもいいじゃないかと思ったりもする。
過去の加害事実を認めないのはトルコも同じだそうで、第一次世界大戦時期にオスマントルコ軍がアルメニア人を虐殺したことをトルコ政府は認めず、虐殺の事実を公的に主張すれば国家侮辱罪に問われるという。
しかし、自虐史観として自国のマイナス面を見ようとしないのは誤りである。

相も変わらず世界のあちこちで戦争、内戦、紛争が起き、ソンミ、ボスニア、ルワンダ、コンゴ、ダルフールなどなど半端ではない虐殺、暴行、強姦、略奪が絶え間なくなされている。
どうしてそういうことが起きるのか、どのようにしたら防止できるのかを考えていくためにも、負の遺産である南京事件を否定せず、日本軍はどうしてあんなことをしてしまったのかを研究することが必要だと思う。

英国聖公会の宣教師・登山家であり、日本アルプスを世界に紹介したウェストン(1861-1940)は大変な日本びいきだった。
満州事変後の対日感情悪化の中、日本を擁護するために日本を紹介する幻灯機を持って英国中を講演して回っている。
そんなことをしてたら非難を受けるのを承知の上で日本のために尽くしたのである。
ウェストンが南京事件を耳にしたら、まさか日本人にかぎってそんなことをするわけがないと思っただろう。
日本や日本人に惚れ込んだ西洋人はウェストンばかりではない。
幕末から明治にかけて日本を訪れた西洋人の多くが日本を絶賛している。
彼らが書いた旅行記を読むと、日本人の勤勉さ、働き者、温厚、親切、器用、知識欲が旺盛、きれい好きといった言葉であふれている。

そんな日本人でも何をするかわからないという事実をしっかりと見ていかないといけないと思う。

コメント (2)
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