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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

イザベラ・バードと赤松連城

2009年10月06日 | 仏教

イザベラ・バード(1831~1904)は世界を旅しては旅行記を書いた女性。
日本にも明治11年、47歳の時に来ている。
通訳を一人連れただけで、日光から会津、新潟、秋田、そして北海道に渡って日高のアイヌにしばらく滞在する。
横浜に戻って、今度は神戸から京都、伊勢をめぐっている。
大したおばさんなのである。
西本願寺にも行っており、『イザベラ・バードの日本紀行』にはなんと赤松連城とのQ&Aが載っている。

浄土真宗をイザベラ・バードはこのように紹介している。
「仏教の数ある宗派や分派のなかで、[浄土]真宗ほどわたしの関心をそそるものはありません。真宗は門徒と呼ばれることもあり、一二六二年に親鸞が創始しました[一二六二年は親鸞の没年]。禁欲主義、苦行、断食、巡礼、尼僧院、修道院、社会からの隠遁、魔除け、お守り、知らない言語で書かれた経典を読むことに異議を唱え、思想と行動の自由を謳い、伝統的な神道や国家の影響からの解放を求め、また家庭は清浄の源でありその実例だとして、親鸞は京都のある高貴な家柄の女性をめとり、妻帯した僧の第一号となりました。門徒は最大の宗派ではないとしても、知識層、有力者層、資産家層にまず広がってたいへんな力を発揮し、外国式の神学校を組織しています。そこでは神道とキリスト教ばかりでなく仏教の腐敗を阻止・攻撃することができるよう仏教学と西洋学が教え込まれます。いまこの瞬間にも京都ではすばらしい設備の新しい学校[西本願寺大教校]が建設されていて、その目的は若い僧侶を英国に送って梵語を学ばせること、反キリスト教論を強化することにあります」
「仏教の僧侶の顔にふつう見られる間の抜けた表情やさも信心深げな表情がほとんどありません。この宗派の信条は禁欲や、他人の務めや喜びからの隔離というようなものをなんら求めておらず、その分健全で人間的です」
「この宗派は他の宗派によって広められた処世訓や教義は真理を改悪したものである、禁欲の誓いや断食、生活に役立つものをふつうに使うことを節制するのは虚栄のなせるわざ、あるいは迷信的行為である、妻帯した聖職者は世の中で清浄さを最も保持している、一般の意味でいう僧侶の才覚は妄想であり罠である、と教えています」
イザベラ・バードは浄土真宗にずいぶん好意的なのである。
これはたぶんイザベラ・バードがプロテスタントだからという気がする。

そして、赤松連城を次のように紹介する。
「この動きは仏教を日本の精神的な力として新しく改革すること、再編することを目的としていますが、その先頭にいるのがとびきりすぐれた知性、高い教養、不屈のエネルギー、知名度の高さを兼ね備え、自分の信仰の将来に対して遠大な志を持った僧である赤松氏なのです」
これほど賞賛されている赤松連城(1841~1919)は、島地黙雷と並んで明治初期の仏教界をリードした本願寺派の傑僧である。
赤松連城はイギリスに留学しているので、英会話が達者だったらしい。
「赤松氏はとても紳士的で礼儀正しく、英語を非常にうまく話し、表現力豊かで、わたしには驚くほど率直に話してくれているように思えました」

イザベラ・バードは赤松連城にいろんな質問をする。
仏教宗派のちがいについて。
「教義はキリスト教の宗派と同じように広く異なっていますが、あなたがたのすべてがひとつの神とキリストを信じているように、仏教徒はすべて阿弥陀への崇敬という点、それから魂の不滅と転生を信じているという点で一致します」
「あなたがたは『創造主』に制限を受けています。わたしたちは創造主をなにも信じていませんが、その精神(永遠なるもの)が原子を生み、原子が英語で言う『偶然の組み合わせ』によりわたしたちの目にしているすべてのものを生み出したと考えています。仏陀はあなたがたにとっての神のように至高の存在ではありませんが、すべての上にあります。あなたがたは死んでも神にはなりませんが、わたしたちは死ぬと仏陀になるのです」

仏陀はただ存在しているだけだ。
「涅槃に達することは容赦なく生まれ変わらなければならない状態から解放され、『概念も、概念がないという意識もない』状態に到達することです。これは死における命、命における死です。英語にはそれを表すことばがありません」

仏教という信仰の目的はなにか。
「人を浄化し、魂の不滅を信じ続けさせること。これはあらゆる高潔さの基本なのです」
「赤松氏は転生について多く語りましたが、彼は肝要な信条として転生を絶対的に信じると認めています」

高潔でないまま死んだ人は浄化の期間、拷問を受けるか。
「いいえ。そういう人の魂は転生され、獣の肉体に生まれ変わるのです」
それでは浄化の望みが絶たれてしまうのではないか。
「そうではありません。仏陀は獣の姿になって獣が理解できるように教えを伝えますから」

日本の宗教の現状をどう思うか。
「神道は本当に自然崇拝の最も素朴な形で、儒教や仏教との接触によりやや装飾されています。宗教としては絶えており、政治的道具としては衰えつつあって、活気のあったためしがありません。仏教はかつては強力であったもののいまは弱く、復活するかもしれないし、しないかもしれない。仏教の肝要の真理―清浄、輪廻、不滅―はなくなりません」

日本人を非宗教的な人々と見なすことしかできない。
「現在はそうです。儒教の哲学はずっと昔上流階級のあいだで急速にひろがり、教育があって思考力のある人々は霊魂の不滅を否定して、あなたがたが言うところの唯物論者になりました。彼らの不信仰は徐々に平民のあいだに浸透していき、日本では本当の信仰はほとんどありません。迷信はいまでもいろいろ残っていますが」

あなたの宗派はことに上流階級に向けたものなのか。
「純粋な仏教には階級などありません。仏陀はあなたがたのいうところの平等論者なのです。あらゆる霊魂は平等であり、あらゆる人が高潔さにより仏陀になれるのです」

高潔でないことはなんだと思うか。
「嘘をつくこととみだらであること」
「仏教は人々に清らかであることを教え、清浄であることの果ては休息であると示しています。清浄は休息への明らかな道なのです。仏陀の道徳の教えはキリストのそれより高度です。キリストの道徳的な教えは効力がありません」

阿弥陀仏や本願、浄土などについての説明はない。
そういうことにイザベラ・バードは関心がなかったということだろう。
赤松連城は日本語で考えたことを英語で話し、それを聞いたイザベラ・バードが自分の理解した内容を英語で記し、その英文が日本語に翻訳されたものを私は読んでいるからかもしれないが、仏教とは偶像崇拝だ、迷信だと思っているイザベラ・バードがその考えを改めたわけでもないような、そんな仏教の説明でした。

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