三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

米本和広『新装版 洗脳の楽園』

2009年10月21日 | 問題のある考え

米本和広『新装版 洗脳の楽園』(2007年刊、1997年発行のものの増補)を読む。
山岸巳代蔵は理想社会を人間社会で実現するために、1953年ヤマギシ会を結成した。
「ヤマギシ会はヤマギシズムをもとに、世界を〈無所有一体〉の理想社会に塗り替え、世界中の人間を幸福にしたいと願っている。「実顕地」はその拠点であり、理想社会のモデル村なのである」

米本和弘氏は94年、豊里実顕地(三重県津市)を訪れる。
金のいらない村。
お腹がすけば食堂に足を運べばいい。
浴場、クリーニングもただ。
下着以外の服、装身具、靴、タオルなどは共用だが、これもただ。
日用品もほしいものがあれば展示供給所に行き、自由に持っていくことができる。
病気になれば無料で診てもらえ、死ねば共同墓地に埋葬される。
エドワード・ベラミ『顧みれば』を思わせるユートピア社会である。

案内をしてくれた女性はこう言う。
「この村は無所有社会だから、所有観念はいっさいないの。すべて誰のものでもないから、誰が何を使ってもいい。食堂だってお風呂だって、みんなが使う。一体なのよ。誰のものでもないっていうのは物だけでなく、私の子どもだって私のものではない。だから、この村にいる子どもは誰のものでもない。私の身体だって、私のものではないの。世界中のすべてのものは誰のものでもない、すべては一体なのよ」
学生運動に挫折してヤマギシの村に入った一人はこう言う。
「簡単なことですよ。働いて得たお金を〈村の一つの財布〉に入れる。その財布のなかからみんなの生活費に充てる。それだけのことですよ」

村での労働時間は長く、元日以外の毎日が労働日である。
だから、日本の平均労働時間より二倍近く働く。
「そりゃあ、あなたが生活のため、金のために働く労働を考えるから大変だと見えるだけなんだよ。ここではみんなが理想社会を実現し、世界中の人が幸福になる〈全人幸福社会〉を実現するために、それぞれ専門の分野で働いている。だから、みんな楽しくてしかたがない」
村人の一人に「諍いはないのか」と聞くと、こういう答えが返ってきた。
「それは村人に我執がないからですよ。この世の諍い、いがみ合いのもとは我執です。我執があるから所有にこだわったり、競争が始まる。ここでは我執がないから、喧嘩が起きない、誰とでも仲良くできるんです。〈無我執〉はこの村の最大の特徴です」

大変結構な話ではあるが、なんだかソ連のプロパガンダ映画のセリフみたいである。
まさに洗脳の楽園、ザミャーチン『われら』やオーウェル『1984年』で描かれた世界が現実のものとなっている。
これらのアンチユートピア小説はスターリンのソ連を念頭に置いて書かれたものだが、米本和広氏はヤマギシ会は中国の文革と共通すると言う。
「〝ヤマギシズム〟の創始者である山岸巳代蔵にみんなが魅かれたのは、我執のない人たちが所有意識なく自他の分け隔てなく暮らせるような、争いのない幸福社会を夢想したからである。
毛沢東が発動した文化大革命のことがついよぎってしまう。
文化大革命の本質は毛沢東の奪権闘争だったが、それを抽象すれば、利己主義や所有意識を生む資本主義的要素のすべてを消滅させる運動であった。知的労働者も肉体労働者もみんな同じ人民服を着て、人民公社の食堂で同じものを食べる。私心ある利己的人間は告発され、人民集会の場で吊し上げられた。世界の若者は文化大革命を熱狂的に支持し、当時の学生運動に大きな影響を与えた。
ヤマギシズム運動と文化大革命に共通するのは、物欲に限らず個性的でありたい・自由でありたいといったすべての欲望を否定し、人の心をある鋳型に流し込み作りかえようとしたことにある。それが同時に運動が瓦解する原因ともなったのは皮肉な話である」
アンチユートピアがヤマギシ会によって実現したわけである。

米本和広氏は特講(研修会みたいなものだが、実際は洗脳)を受ける。
その報告を読むと、私自身もその場にいあわせているような気がして、なんだか気分が悪くなった。
ヤマギシ会は政治とのつながりもあり、将来どうなるのだろうと、『洗脳の楽園』を読んだ時は恐ろしくなったものです。
しかし、『新装版 洗脳の楽園』は1997年以降のヤマギシ会の衰退を報告している。
ほっとした。

コメント (13)
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