三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

広瀬健一「学生の皆さまへ」2 オウム真理教の教義

2009年06月15日 | 問題のある考え

広瀬健一氏は手記の中で、オウム真理教の教義を次のように説明している。
「教義において、修行の究極の目的は前述の最終解脱をすること、つまり、輪廻から解放されることでした。なぜ解脱しなければならないのか―それは、輪廻から解放されない限り苦が生じるからだ、と説かれていました。これは、今は幸福でも、幸福でいられる善業が尽きてしまえば、これまでに為してきた悪業が優位になり、苦しみの世界に転生するということでした。特に、地獄・餓鬼・動物の三つの世界は三悪趣と呼ばれ、信徒の最も恐れる苦界でした。
それに対して、解脱はすべての束縛から解放された崇高な境地でした。解脱に至るには、次のように、私たちが本来の最終解脱の状態から落下していった原因を除去していくことが必要と説かれていました。
私たちは自己が存在するだけで完全な状態にあったにもかかわらず、他の存在に対する執着が生じたために輪廻転生を始めたとされていました。それ以来、私たちは煩悩(私たちを苦しみの世界に結びつける執着)と悪業を増大させ、それに応じた世界に転生して肉体を持ち、苦しみ続けているとのことでした。たとえば、殺生や嫌悪の念は地獄、盗みや貪りの心は餓鬼、快楽を求めることや真理(精神を高める教え=オウムの教義)を知らないことは動物に、それぞれ転生する原因になるとされていました。
これらの煩悩と行為は、過去世のものも含め、情報として私たちの内部に蓄積しているとのことでした。この蓄積された情報が「カルマ(業)」でした。そして、「悪業に応じた世界に転生する」というように、自己のカルマが身の上に返ってくることを「カルマの法則」といい、これも重要な教義でした。
カルマの法則から考えると、解脱、つまり輪廻からの開放に必要なのは、転生の原因となるカルマを消滅(浄化)することになります。ですから、オウムにおいては、カルマの浄化が重視され、修行はそのためのものでした」


つまりは、悪いことをしたら地獄に落ちるからいいことをしましょうね、ということである。
ただし、オウム真理教は悪いことをさせないための方便としてそういうことを説いていたのではない。
オウム真理教の信者は現実に地獄・餓鬼・畜生に落ちることを恐れていたという。
「信徒の心理において、苦界へ転生する恐怖からの回避は無視できない要素なので、その恐怖が実感できないと、信徒特有の思考や行動は理解が困難だろうからです」
地獄に落ちるぞという脅しが有効なのは、輪廻を信じ、地獄の実在を信じているからであり、地獄のイメージを体験しているからである。
オウム真理教では輪廻の主体としての霊魂、カルマ(業)、六道を実体的なものとして説いている。
そして、信者は神秘体験を経験することで、オウムの教義の正しさを実感し、信者は麻原の言うことに疑問を持たなかった。

輪廻思想、三世思想、業報思想、六道思想、解脱思想はオウム真理教独自の教義ではなく、古代インドのウパニシャッド哲学ですでに説かれている。
水野弘元『釈尊の生涯』にはこのように説明されている。
「人間の運命はわれわれ自身のこころの持ち方や努力のいかんにかかっており、われわれの行為の善悪によって決定されると考えられるようになった。それはわれわれの自由意志による善悪の業(行為)によって、幸不幸の結果が得られるという善因善果、悪因悪果の因果応報の思想である。この因果の連鎖は、単に現世のみの間に存在するのでなく、過去世から現世へ、現世から未来世へというように、三世にわたって不断に存続するとせられた。これが三世にわたる業報説であり、業に従って幸不幸の世界に生まれ代るという輪廻説である」

「元来輪廻説が生じたのは、生類は天国から地獄までの種々な世界を生まれ代り死に代り、この輪廻は永遠に続いて、そのままでは、この話を断ち切ることはできず、われわれは輪廻の状態にいるかぎりは、絶対の幸福と安心は得られないから、実は苦悩にみちたものであるという、現状に対する悲観説が基調をなしている。(略)この不安な現状を脱して、絶対平安の世界を求めたのが解脱の要求であり、ウパニシャッドでも、自我(アートマン)と世界精神である梵(ブラフマン)とが融合して、梵我一如の理想郷に到達した時に、輪廻からの解脱が得られるとした」

ウパニシャッドのこの思想は後世に影響を与え、仏教も取り入れている。
もっとも、仏教においては輪廻や六道はたとえであり、実際に地獄や餓鬼といった世界があって、死んだらそうした世界に生まれるというわけではない。
オウム真理教の教義もウパニシャッド思想と同じだと言っていいと思う。
というわけで、オウム真理教の教義自体はありきたりなものである。
というか、広瀬氏が「オウムは多くの文化遺産を採用―濫用というほうが正確かもしれません―してきたのです」というように、いろんな思想のいいとこ取りをしているわけである。

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