足利事件、たまたまDNA鑑定が行われ、その結果釈放されたわけだが、まさに氷山の一角なんだと思う。
同じ時期にDNA鑑定で有罪、死刑となった久間三千年氏も無罪を主張してた。
足利事件と同じDNA鑑定、92年の飯塚事件も再審請求へ
1992年に福岡県飯塚市で女児2人が殺害された「飯塚事件」で死刑判決が確定し、昨年10月に刑が執行された久間三千年元死刑囚の弁護団が、今秋以降にも福岡地裁に再審請求する方針であることが5日わかった。
久間元死刑囚は無罪を主張していたが、最高裁は2006年9月、DNA鑑定の信用性を認めた。弁護団は「足利事件」と同じDNA鑑定法だったこともあり、鑑定の不備を柱に再審を求めるとしている。ただ、当時の試料は残っておらず、DNAの再鑑定はできないという。(読売新聞6月6日)
今、足利事件と同じ事件が起きたら、たぶん被告は死刑だと思う。
菅家利和氏は自白している。
元県警幹部は「DNAだけに頼ったのではない。任意の自供を得たから逮捕した」と強調する。(毎日新聞6月5日)
審理にあたった元裁判官は言う。「彼は、自分が関与していない状況を説明できなかった。現場にいたような供述をしたうえ、証拠物を見せられると、受け入れるような供述をした」。DNA鑑定については「あくまで自白の補強証拠。総合的に、ああいう判断になった」と語る。別の元裁判官は「当時の証拠を十分慎重に検討して結論を出した。やむをえない判断」と話した。(毎日新聞6月6日)
菅家利和氏は自白したことについてこう言っている。
逮捕後の取り調べでは「刑事に髪を引っ張られたり、け飛ばされたりして『お前がやったんだろう』『早くしゃべって楽になれ』と厳しく追及された」「夜まで『自分はやっていない』と言ったが、受け付けてもらえず自白してしまった」と話した。1審が始まった当初の心境については「傍聴席に刑事がいるとびくびくしていたため、無罪を主張できなかった」と述べた。(毎日新聞6月5日)
菅家利和氏は別の女児殺害事件も自白しているそうだ。
同じ栃木県足利市では79年と84年に5歳女児の誘拐殺害事件が相次いで起きていた。菅家さんは逮捕後、未解決だったこの2件への関与も「自白」する。
ともに足利事件と共通する点があった。足利事件の遺体発見現場の河川敷の対岸で、79年の事件の遺体は見つかった。パチンコ店周辺で女児が行方不明になったのは、84年の事件も同じ。
宇都宮地検が足利事件で起訴した3日後の91年12月24日、栃木県警は自白に基づき79年の事件で菅家さんを再逮捕する。だが、翌年1月、地検は処分保留を発表し、事実上起訴を断念。「自白は公判廷で覆されると考えるべきだ。犯人しか知り得ない『秘密の暴露』がなければ、公判維持は困難」という理由だった。93年2月、追送検された84年の事件と併せて、地検は不起訴処分とした。(毎日新聞6月7日)
女児を二人、もしくは三人殺したとなると確実に死刑である。
いったいどういう取調をしたのやら。
やはり取調の全面可視化をしないと冤罪が生じてしまう。
一部可視化だったらダメ。
足利事件でもほんとかどうかわからないが、取調べをした警視はこう言っている。
現場の捜査員をまとめる警視のひざに顔をうずめ泣き崩れた。
「本当にやったのか」
「ごめんなさい」
やりとりを繰り返す間、警視のズボンが涙でぬれるほどだったという。
警視は当時の状況を「あれだけ涙を流し謝った。うそかどうかは分かる」と振り返る。(毎日新聞6月5日)
もしも裁判員がこの場面だけ見たら、こいつは犯人だ、と思うのは当然だ。
冤罪を防ぐためにはまず全面可視化をしないといけないのは誰でもわかる話なのに、首相のお考えは、
麻生総理は捜査段階の取り調べを録画・録音する「可視化」について、「一概に可視化すれば、ただちに冤罪が減るという感じはない」と述べて、慎重な考えを示しました。
ということです。
「無実の罪で17年服役していたというのは、こういうのはあっちゃいかん。これはつくづく思いますね」
と麻生首相は言ってるが、冤罪が生じる原因を考えたことがあるのだろうか。