三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「年報・死刑廃止2006 光市裁判」(1)なぜ弁論を欠席したか

2007年01月07日 | 死刑

光市母子殺人事件の差し戻し審の初公判が5月24日に開かれ、第2~4回公判は6月26日から3日間の集中審理となるそうだ。
裁判の迅速化、というより拙速化である。

「年報・死刑廃止2006 光市裁判」に、安田好弘「光市最高裁判決と弁護人バッシング報道」という講演録が載っている。
昨年6月20日の最高裁判決の前夜に行われた講演に手を入れたものである。
マスコミが伝えていないことが語られているし、光市母子殺人事件が単なる一事件ではなく、司法の問題と関わりがあることがわかる。

3月14日の最高裁での弁論に安田弁護士ら弁護人が欠席したことで、ひどいバッシングがあった。
なぜ弁護人は欠席したのか。

過去においては、とりあえずは弁護人が交代した場合はもちろん、とりわけ本人がいままでとは違ったことを言っているという場合には、必ず、弁護を準備するに足る十分な準備期間を弁護人に認めていたわけです。(略)
今回、最高裁はまったくそれを認めませんでした。まして、私どもが延期申請を出したけれども、その延期申請に書かれた中身について事情聴取さえしないで、いきなり延期申請を却下してくる。被告人の権利を認めようとしない。


3月14日の直前に欠席届を出したのはなぜか。

昨年の十一月から新刑事訴訟法が施行されました。(略)裁判所は、弁護人が出廷しないおそれのあるときには、別に弁護人を選任できるという規定があるんです。さらに、出廷しても退廷してしまうおそれがある場合には、つまり勝手に帰ってしまうおそれがあるときにも、別に弁護人を選ぶことができる。別の弁護人というのは国選弁護人で、当然、裁判所の意向に従う弁護人ということになります。(略)つまり実質的に弁護人の存在しない裁判がすでに用意されてしまっているんです。これが実は被告人・弁護人にとって致命的な制度なんです。弁護人が被告人の権利の擁護をめぐって裁判所と対立し、その権利を何としてでも守ろうとする姿勢を示したとたんに、裁判所の言うことを聞く弁護人に変えられてしまうシステムを作り上げられてしまったのです。(略)
被告人の十分な弁護を受ける権利、十分に弁護を準備する時間が与えられなければならないという原則はどこに行ってしまったのでしょうか。たとえば今回のように、わずか二週間しかなく、しかも本人は事実と違うと言っている、証拠を見直さなければいけないというときに、二週間で準備できるはずがありません。それでも、裁判所は弁論を強行し、結審し、判決を出そうというのです。こういうときに、私たちは、準備なしに裁判所に出かけていって、まともな弁護もできないまま裁判を結審させざるをえないのでしょうか。
私たちは、弁論期日の延期を求めましたが、裁判所は即座にこれを拒否しました。しかし、十四日ではとても準備ができませんし、すでに他の変更できない重要な仕事も入っています。それで、十四日は欠席せざるを得ないと判断したのですが、そのことについて、事前に欠席届を出すことなく、前日の十三日の午後になるのを待って欠席届を出しました。それは、前から出しておけば、出ないおそれがなるということで違う弁護人を選ばれるおそれがあったからです。
ですから、今度は、翌月の十八日だと一方的に指定してきたときに、再度、異議を言おうか思ったのですが、出ていかざるをえないと決断したわけです。もしそうすれば、別の弁護人が選ばれることになって、結局、被告人の弁護を受ける機会が実質的に奪われてしまうからです。

弁論に欠席したのはこういう事情があったからだと知っている人はほとんどいないと思う。

我々もいつどんな事件で被告となるかわからない。
弁護士が依頼人のために最善を尽くすのは当たり前のことのだし、できるだけのことはしてもらいたい。
ところが、弁護人が十分な弁護ができないとなると、これは大問題である。
そういう司法の問題をマスコミは取り上げず、一方的に断罪した。
マスコミがいかに権力に追随しているかよくわかる。

最高裁での光市母子殺人事件の弁論は、結局4月14日に行われ、そして裁判所は一方的に6月20日の判決期日を指定してきた。

こうした流れについて、安田好弘弁護士は次のように語る。

この経過を見ると、たとえば、私たちの主張を認めて、事実関係について根本的に見直す、つまり鑑定とかあるいは本人の供述をもういっぺん捉え直してみるというような作業をやるとすれば、四月十八日の弁論のあと、こんな僅かな期間で判決が書けるはずがないわけです。この訴訟記録は、一万ページくらいあり、その中で写真が約八〇〇枚ぐらいあるわけです。その写真を一つ一つつぶさに見て、あるいは被告人の二十数通ある自白調書を一つ一ついったいどこでどういう形で変遷し相互に違いがあるかということを吟味していくならば、こんな僅かな期間で記録を見て結論を出し、判決が書けるはずがないわけです。


それなのに、どうして弁論から二ヵ月で判決が下されたのだろうか。

最高裁は旧弁護人に対して昨年十一月の末、弁論を入れたいと打診してきました。(略)一方的に三月十四日の弁論期日を指定してきたわけです。そのときにはもうすでに、最高裁はどういう判決を出すかを実は決めていたわけです。

最高裁は弁護側の主張を取り上げる気が最初からなかったということである。

安田弁護士はどのような判決が下されるか、次のように予測する。

弁論を開き判決を出すということは、一、二審の無期という判決を見直すということですから、検察官の上告理由を認める、すなわちあまりにも刑が軽すぎる、この子については死刑しかないんだという検察官の主張を認めて、原審の見直しをさせるということになるわけです。その判決をそのまま明日言うのだろうと思うんです。


まさにそのとおりになった。
最高裁の判決は検察側の主張を全面的に認めて、高裁に差し戻した。

コメント (8)
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