三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

斎藤貴男「教育からみるこの国の未来」

2007年01月25日 | 日記

斎藤貴男氏の「教育からみるこの国の未来」という講演を聞いた。
話を聞いて、憲法改正、教育基本法改正、格差の拡大、自己責任論など、今までもやもやとしていたことが関係しあっているとわかり、頭の中がすっきり。
以下、私のメモ書き。

小泉内閣の構造改革は競争によって消費者にメリットが生じたと言うが、格差を広げた。
世の中を動かす立場にある人(政治家、企業のトップ、大学教授など)が立場を利用し、自分や自分のまわりに都合の良い社会を作ろうとしている。

福井日銀総裁は村上ファンドに投資して大金をもうけているし、規制改革・民間開放推進会議の議長である宮内義彦オリックス会長は公共サービスを壊してもうけている。
インサイダーの、インサイダーによる、インサイダーのための構造改革だ。

国家が何かしようとする時、まず手をつけるのは教育である。
ゆとり教育が非難されたが、理念としては教育基本法改正と同じで、教育の機会の均等を否定している。
できない子は切り捨て、できる子だけ相手にしようということだ。
そうなると、親の経済力で差がついてしまい、将来が決まる。

今までの教育は平等、悪く言えば画一化と言われていたが、勉強のできない子が少しでもできるように手助けすることで全体の底上げをした。

ところが、教育課程審議会会長の三浦朱門は、落ちこぼれを勉強できるよう底上げしていたのでは手間暇がかかる、それではエリートが育たない、落ちこぼれに費やす労力をエリートのために使おうと語っている。

教育改革国民会議座長だった江崎玲於奈はさらに過激で、「就学期に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ」という優生学丸出しの発言をしている。
江崎玲於奈の話を聞いた三浦朱門は「さすが江崎さんだ」とほめている。
文部科学省は江崎玲於奈の考えを知っていた上で座長にしたのである。

江崎玲於奈の、遺伝子でその子の将来を決めればいいという話で思い出したのが、ハックスリー『すばらしい新世界』というアンチユートピア小説。

その社会では、社会階級や職業を前もって決めて人工受精がなされる。
ベルトコンベヤーに乗ったビンの中で成長する胎児は、出産までの間、条件反射教育を施され、誕生後も階級や職業に見合った睡眠教育などが繰り返される。
そうして、人々は社会に順応し、自分の階級や職業に満足して他を羨むことがない。

『すばらしい新世界』の登場人物がこういうことを言っている。

あらかじめ階級を決めて人工受精がなされる。階級に応じて職業が決定する。階級や職業に応じた条件反射教育が、胎児の時から死ぬまでなされている。こうして自分の階級に満足し、他人を羨むことがなく、自分の務めを果たす。「幸福と美徳の秘訣なのです―自分の務めを好きになるということが、一切の条件反射教育の目的とするものが、それなのです。つまり、人々に逃れられない自分の社会的運命が気に入るようにしてやるということなのです。


この考え、飯田史彦福島大学助教授の「もともと私は、「人間の価値観」をキーワードとして、企業の革新を、経営者や上司による、一種の「望ましいマインドコントロール」としてとらえようとしたのです」という研究と似通っている。
そして飯田史彦を有名にしたのが船井幸雄だから、うさんくささが臭いたっている。

斎藤貴男氏の話に戻り、改正された教育基本法に「能力に応ずる教育」とあるように、能力のある子だけ教育したいという発想が見える。

多くの反対があるにも関わらず、全国一斉学力テストが行われることになった。
イギリスでは全国一斉学力テストを実施して、公教育が崩壊した。
なぜかというと、学校の成績が公表されるので、教師は学校の成績を上げるために、勉強のできない子には試験当日に欠席させて、テストを受けさせないようにした。
テストを受けさせてもらえない子供たちは学校に行かなくなる。
それがわかっていて、日本では全国一斉学力テストを実施しようとしている。

市場原理、競争原理が教育にも導入され、伸びる子には手助けするが、できない子、勉強しようとしない子はそれなりにしか扱わないということである。
競争と言いながら、生まれでスタートラインが違っているから、最初から競争にならない。
それなのに、負けた者は自己責任だと言われ、切り捨てられてしまう。

教育ばかりではない。
人件費を下げ、残業代は払わず、しかし消費税が上がれば、貧しい者の負担が増える。
貧しい者が増えるといいことがある。

防衛庁が防衛省になり、憲法が改正されたら、自衛隊は自衛軍になり、在日米軍と共同作戦をとるようになる。

多国籍企業が自由にふるまえるグローバル化が平和だというのがアメリカの考えであり、日本も同じ。

自衛隊が軍隊になっても徴兵制は行われないだろう。
アメリカも徴兵制は廃止したが、志願者が多い。
なぜなら貧しい者は仕事がないし、金もないので、軍隊に志願する。
死ぬのは貧乏人だし、戦争が起きれば景気はよくなる、だったらいいじゃないか、というのが今の日本の空気である。

私が思うに、憲法が改正され、自衛隊が軍隊になれば、次は靖国神社の国家護持である。
中曽根元首相が「戦没者を祀る靖国神社を国の手で維持しないで、これから先、誰が国のために死ねるか」と言ったが、国のために喜んで死んでいく人間を作り出す装置として、靖国神社は今でも有効である。

斎藤貴男氏の話だと、教育基本法改正が問題になった時、一番の問題が愛国心だった。
「愛国心」ではなく、「国を愛する態度の涵養」という表現に変えられたが、かえって問題がある。
「国を愛する態度」を評価され、「国を愛する態度」の成績が内申書に書かれるようになるかもしれない。

戦争で死にたくない、被害者になりたくない、ということだけが平和論ではない。
加害者にもなりたくない、というが平和論である。
多くの人はこうしたことに無自覚だし、関心がないし、知っていない。
ちょっとでも「これはおかしい」ということを知れば力になる。

ということで、私もこのメモ書きしたわけです。

コメント (93)
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