能は室町時代の言葉で語られるから、あらすじを知らないと何を言ってるか意味不明だし、動きが少ないから何をしてるかわからない。
粟谷能の会から出している「阿吽」という機関誌の、一号から二十号までを一冊にまとめた本を読み、能のイメージが少し違ってきた。
私は能のことはよく知らないが、プロはすごいものだとつくづく感じた。
小さいころから仕込まれるわけだが、高校のころ、夏休みの一ヵ月間に6~7人で千番の仕舞をさせられたという。
一人が一日五番ぐらい舞わないといけないのだが、誰かが舞った曲はできない。
そして、他の人が舞っている時には地謡をする。
つまり、それだけの曲目を暗記していないといけないわけだ。
それだけ一生懸命努力しても、プロになれるかどうかはわからない。
それぐらい厳しい世界である。
「阿吽」を読むと、常に新しいものを求め続ける熱意がひしひしと感じられる。
能は新しいことをしてはいけないので、昔から伝わっていることをそのまま演じるのか思っていた。
ところが、教えられえたことを忠実に真似て、ただ型通りにやればいいというものではないそうだ。
基本を大事にしながら、だけど決められた枠の中で新しいものを出していきたいと書かれてある。
そのために、装束の組み合わせ、面の選択といった自分なりの工夫をし、伝書を研究して、曲の精神は何か、演じることで何を観客に伝えたいのかを考える。
金太郎飴ではない舞台を演じたいという熱意が感じられる。
それと、本当に能が好きなんだなということが伝わってくる。
自分の仕事が好きだということが、プロの大切な条件ということか。