三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』

2005年11月25日 | 戦争

デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』は、戦争において人を殺すことはどういうことなのかが書かれた本である。
デーヴ・グロスマンはたたき上げの軍人だから、戦争反対という趣旨ではない。

ほとんどの人間の内部には、同類たる人間を殺すことに強烈な抵抗感が存在する。

大多数の兵士は、自分自身の生命、あるいは仲間の生命を救うためにすら、戦場で敵を殺そうとしなかった。
第二次世界大戦中の戦闘では、アメリカのライフル銃兵は15%~20%しか敵に向かって発砲していない。
第二次世界大戦中に撃墜された敵機の40%近くは、アメリカの戦闘機乗りの1%によって撃墜されたものだった。
ほとんどのパイロットは、一機も撃墜しなかったどころか、発砲さえしなかったらしい。

敵を殺すことをためらうあまり、多くの兵士は闘争という手段を採らず、威嚇、降伏、逃避の道を選ぶのだ。


しかし、こういう状態では戦争に勝てないから、訓練法が開発され、朝鮮戦争では発砲率が55%に、ベトナム戦争では90~95%に上昇した。
ところが、発砲率の上昇は隠れた代償がともなっていた。

戦闘が六日間ぶっ通しで続くと、全生残兵98%がなんらかの精神的被害を受けている。


ごくまれな例外を除き、戦闘で殺人に関わった者はすべて罪悪感に苦しみ、重度のトラウマを負うことになった。
ベトナム戦争に従軍したアメリカ兵は約280万で、ベトナム帰還兵のPTSDの患者は40万人から150万人。
一般人とくらべて4倍も離婚率や別居率が高く、ホームレスになった人も多い。
自殺率も高まる傾向にある。

殺人には代償がつきものであり、兵士はみずからの行為を死ぬまで背負ってゆかねばならない。


ただし、人を殺すことに罪悪感を持つのは、相手の顔を見ることができる距離においてである。
敵の顔を見なくてもすむ場合、たとえば飛行機による空襲とか遠方への砲撃だと、こうした罪悪感を持つことはない。
原爆を投下した爆撃機の乗務員もそうである。
また、機関銃のように複数で使用する武器の場合も発砲率は100%。
ま、あらゆる人間が罪悪感を持つわけではない。

98%もの人間が精神に変調をきたす環境、それが戦争なのだ。そして狂気に追い込まれない2%の人間は、戦場に来る前にすでにして正常でない、すなわち生まれついての攻撃的社会病質者らしいというのである。(略)
彼ら(2%の人間)は明らかに殺人に対して常人のもつ抵抗感をもたず、戦闘が長引いても精神的な損傷をこうむることがない

007はその2%の人間なのである。

デーヴ・グロスマンは結論として戦争を否定するわけではない。
戦場から帰った兵士たちに対して国民が暖かく迎え、そして精神的なケアをする必要性を説いている。
にもかかわらず、戦争とは非人間的な行為を強い、悲惨な結果をもたらすものだということがよくわかる。
では、日本人の発砲率や精神に変調をきたす割合はどうなのだろうかが気になる。

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