『ヴェニスの商人』は今まで本格的に映画化されたことはなかったそうだ。
あからさまにユダヤ人を差別しているのだから、それも当然ではある。
子供向けの『ベニ』スの商人』を小学生のころ読んだが、楽しく読める明るいお話だったような気がする。
ところが原作を読むと、ユダヤ人は金を貸して利息を取るからと、唾を吐きかけられ、足蹴にされ、そういうことをされても黙っているしかないといったセリフがきちんと書かれている。
おまけに、シャイロックの娘がキリスト教徒と駆け落ちをするんだから、シャイロックがアントーニオーを恨むのも当然である。
マイケル・ラドフォード監督の『ヴェニスの商人』は、まず当時のユダヤ人がゲットーに閉じこめられていたなど、いかに差別されていたかを描き、シャイロックの悲劇を強調している。
そのあたりはシリアスドラマになっていて重量感があるのだが、ポーシャの婿選びや指輪の紛失といった喜劇の部分とがしっくり来ない。
それに、バサーニオーは派手な浪費生活をしていたために無一文になってしまい、借金の重荷から逃れるために金持ちの跡取り娘と結婚しようとする。
結婚を申し込むためにはそれなりの準備をしないといけないというので、その金をアントーニオーに借りようとし、手持ちがなかったアントーニオーはシャイロックに借りるというわけだ。
バサーニオーがこんないい加減な奴とは知らなかった。
これじゃ結婚しても先々はどうなるのやらと、バサーニオーに恋するポーシャをかわいそうに思ってしまい、これじゃ喜劇にならない。
さらには映画では、バサーニオ役のジョセフ・ファインズはむさ苦しくて、ポーシャが一目惚れするような美男とは思えない。
そして、アントーニオー役のジェレミー・アイアンズがあの憂いをこめた目でバサーニオを見つめ、二人が口づけをするもんだから、二人はホモなのではないかと疑ってしまう。
ということで、アル・パチーノ演じるシャイロックの肩を持ちたくなってしまう映画版『ヴェニスの商人』でありました。
新潮文庫『ヴェニスの商人』の解説によると、シャイロックを悲劇的人物だと解釈したのは18世紀初頭からだそうだ。
福田恒存は「シャイロックが悲劇的人物として演出されるのは過剰解釈だ」と言っている。
しかしながら、シェークスピアがシャイロックをどういう人物として作り上げたかはわからないが、シャイロックがやっつけられるのを痛快に感じることは、今の時代、もう不可能だろうと思う。