KYって?
空気(Kuuki)・読めない(Yomenai) の略らしい。
空気を読むということはいいことなのか、読めないことは悪いことなのか。
どちらかというと、読めた方がいいのかもしれないが、あまり読みすぎると良くない。読めないぐらいの大胆さが結構受ける場合があるし、読みすぎて控えめになってしまうことは良くないかもしれない。最も望ましいのは、空気を読みながら、空気を変えることができることではないだろうか。
そういえば、昔、一瞬でその場の空気を読む達人がいた。そして彼の凄いところは、その空気を強引ではなく、あくまでも自然に自らの思う方向へ引き寄せ、空気を自らのカラーに染めてしまうという仙人のような技を持っていることだった。彼の言動に注意してみると、彼の特徴は、決して自己に強い拘りを持っているのではなく、全体を俯瞰してみているため、彼の言動に無理がなく、全員がほぼほぼ満足してしまう結論を導き出す。
今日、そういえば、風を読む、風を感じる、臭いに敏感・・・その場の雰囲気だけではなく、起こりそうな危険がいち早く感知できるという人に出会った。そういう人もいるものか、と思う一方で、場の雰囲気を確り受け留め、近未来を予測するということは、もしかしたら、繊細な感性を持っていれば出来そうな気もしないでもなく、人の雰囲気や人と人の会話から“元気”や“やる気”を感じる場合とそうでない場合があること等を考えると、みんなが健康で元気で前向きでいられるために・・・等については、やはり常に意識してみる必要があるのてはないかと自分なりに反省してみた。
空気を読むことも必要だし、風を読むことも大切。しかし、常に更なる努力をして、空気を変える事やリスク管理をし、明日の一手を常に考えていることが大切なようだ。
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