日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
ヤクザ世界で「所得倍増」
ヤクザ世界で「所得倍増」
15回
その後、今度は懲罰を1カ月ぐらい食ったよ。独居房に閉じ込められて、ラジオも聞けない。運動にも行けない。風呂にも入らせてもらえない。せいぜい週にⅠ回、体を洗う湯が来るぐらいだ。
音も聞こえない。読むものもない。まあ若いからそのぐらいなんでも無かったけど、退屈で退屈でさ。宇宙生活というのは、こんなもんかも知れんな、と思ったよ。
ちょうどソ連のガガーリンだったか、人類初の宇宙飛行に成功した(1961=昭和36年)とかなんとか、そんな時代だったから。いや、こりゃ宇宙に行くよりも辛いかもなあ、と思ってさ。
やることがないから独居房に入ってきたアリンコだとかクモだとかを相手にしてたよ。そいつらにケンカさせたりして、時間をやり過ごすんだ。
考えることといえば、先の夢ばっかりだ。まだ若くて張り切ってるし、第一20歳の頃なんだから、振り返る過去なんかまだないさ。
将来の夢とか空想を勝手に頭の中で描いて「こうやってこうすれば親分になれるな」とか、そんなことばっかりだ。と言ってもその頃はまだ、山口組の直参(直系組長)だ、大親分になるんだ、とかは考えてなかった。
ちょっとした街の、まあ富士宮一の親分ぐらいにはならなきゃな、とか、結構現実的なレベルだったよ。
懲罰を終えたら、あの工場での騒ぎが利(き)いて、あれはヤバイ奴だということで、一目置かれるようになったわ。刑務所の中でも肩で風切って歩けるようになったしな。
相手をケガさせたわけでもなく、工場でものをぶん投げたりして暴れた程度だけど、カマシを入れた効果はそれなりにあったよ。
ムショの中で野球をやるにしても「お前ピッチャーやれ、俺は四番を打つから」とかいって仕切れるし、俺なんか運動神経は大したことないし、野球も下手だったけど、いつもいい格好していられたんだ。
まあ、どうせこんなところで過ごすからにはせめて快適に過ごさなきゃいかんなという気持ちが最初からあったから。そのためにはどうすればいいか分かるぐらいの知恵も行動力もあったからさ。
そういえば東京オリンピックは甲府で見た・・・いや、聞いたな。刑務所で流れるラジオで。世の中はそれこそ「これで日本も『一等国』の仲間入りだ」と大騒ぎだったけど、塀の中にいる身の俺としちゃあ、別にこれという感慨もなかったよ。
ただ「娑婆でオリンピックを見たいなあ」、いや「とにかく娑婆に出たいなあ」とは思ったな、強烈に。
それで日本が、じゃなくて、自分が『一等』になるんだ、と思ってた。極道の世界でな。
当時は俺に限らず皆がそう思ってたんじゃないの。戦争に負けてから15年たって、昭和35年ぐらいに、それまで「貧乏人は麦を食え」なんて言ってた池田勇人さん(元首相)が、今度は「所得倍増だ」とか言い始めてさ。
それで国民皆が「俺も所得倍増だ」って頑張ったから経済成長したんだろ?
◎所得倍増計画は1960、昭和35年池田内閣が策定した長期経済政策。1961年からの10年間に国民総生産を26兆円に倍増させることを目標に掲げ、1955=昭和30年から始まった日本の高度経済成長をさらに加速させた◎ 続く