日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
ブッダの生涯・超要約・ニ
ブッタの生涯・超要約・二
そういった過剰な快楽におぼれる日々は果たして幸せでしょうか。 『否』・・物思いにふけり、人の生きる意味などについてあれこれ考えがちだった彼にとっては、ありとあらゆる快楽を試してもすぐに飽きてしまい、心がすさみ、空しさや寂しさばかりが募っていたのかも知れません。
思うに、ブッタは青少年期にありとあらゆる欲望を満たして快感の神経刺激をインプットすることで、「これで幸せになれるかどうか」を実験したと言えるかも知れません。
『快感のインプット──興奮──しらけ』
こうしたあくなき実験を繰り返した結果、彼には解かってしまった。
『どうやら欲望を実現して快楽を与え続けるとその快感は脳内に一瞬生まれるだけですぐに消え、空しくなって心がすさむらしい。これでは幸せだとは言えない』
彼はぜいたくな生活を送る一方で、バラモン教という宗教の奥儀を学んだり、ヨーガの瞑想にも取り組んでいた様で、既に瞑想修業による精神集中は彼の得意とするところだった。
おそらくはそれらが元となってやがて、彼の心を襲ってくる空しさや寂しさ、人間の生老病死という苦しみそのものを乗り越える道への探求が始まったのでした。
折りしもちょうど妻のヤショーダラーが第一子ラーフラを生んだ年に、彼は一大決心をしました。
「もしかすると、この子を育てて家庭に埋没していくことになったなら、私の探求が出来なくなるかも」
というような(わがままな)焦りが彼に生じたのかも知れません。その時、ブッタは29歳。ヤショーダラーと生まれたばかりのラーフラを置いて、シャカ国を捨てボロ衣をまとって旅に出る、「出家修業生活」を始めたのです。
優秀な跡取りに期待している父に知られると反対されるに決まっていますからこっそりと抜け出して修業生活に身を投じたのでした。
☆
当時のインドには、すでに非常にすぐれた瞑想方法があり、たくさんの人々が師匠に弟子入りして修行しており、それはある種の流行のようなものでした。
ブッタが最初に門をたたいたのはカッサバという行者でした。しかしカッサバのもとで修行するうちに、疑問が生じました。
「ん?どうやらカッサバ先生の修業は瞑想を探求して、死後に天界に生まれ変わることを目的にしているらしい。
天界の生命体に生まれ変わって快適さを味わい続けても、私の心の欠落感はもはや埋まらないだろう。
天国に行きたいという要求から私は遠ざかろう」といった具合に。 続く