日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
甲府刑務所の暴動騒ぎ
甲府刑務所の暴動騒ぎ
14回
甲府の思い出はうんとあるなあ。最初の懲役だし20歳になったばかりだから、遊びたい盛りじゃないか.舎房に入ったらあの思い鉄の扉をバズッと閉められて懲役服に着替えさせられて、それに着替えながら、ああこれから三年近く娑婆(自由な世界)、とおさらばか、ネエちゃんとも会えないか・・・としみじみした気分になったな。
それがまた寒い時期だったから、こんなところで過ごさにゃならんのかと思うと、余計につらく感じられてな。『仁義なき戦い 頂上作戦』のラストシーンで、刑務所か何かの廊下で小林 旭が、菅原文太に話掛けるシーンがあっただろう。
寒さに震えながら、足こすったりして。あんな感じだ。
あのシーンはよく描けてたな。俺も甲府に入れられた時、寒さと辛さをしみじみとかみしめたよ。
刑務所では独居房に入れられて、毎日舎房と工場(作業場)とを行き来するんだけど、その時に「検身」というのがあるんだ。いわゆる「裸踊り」というやつだな。足型が描かれている四角い板の上に、素っ裸のまま立たされて、両手を「ハイ」と挙げさせられる。
それで両手を挙げたまま、今度は足の裏が見えるように片足ずつ挙げる。ケツの穴まで見せるんだ。何か異物を挟んでないか確認するんだよ。口の中も見せなきゃならんから、バカみたいに大きな口を開けて舌の裏まで見せる。
刑務所に入ったことのある政治家の先生なんかはあれ(検身)が一番プライドを傷つけられたと言ってたな。
政治家みたいな先生にとっちゃ、あんな姿をさせられるのは非常に屈辱的なんだろうけど、俺の場合は斬った張ったと格好いいことをやってきたもんで、そんなの平気だ。
むしろ相当刑務官をおちょ繰りながらやってたよ。
「どうだ俺のチ○○はお前らよりデカイだろう」っていうぐらいの気持ちでさ。
当時の甲府刑務所ってのは、まだ少年院の続きみたいな、初犯の二十代の若いものばかりだった。
まだチンピラにもなっていない「小チンピラ」の兄ちゃんたちでいっぱいだったんだよ。これからチンピラになっていくっていうぐらいのが。
それで俺は入所から1か月目あたりで、ムショで一番強くて、工場を仕切っているお兄さんにちょっと因縁つけられたんでこの野郎をひっぱたいておこうと考えたんだ。
ちょっとうるさい奴が入って来たぞ、俺は「ハイハイ」って言うことを聞く奴じゃないぞと、この野郎たちに、知らしめておかなきゃならんと思ってな。
若いんだしさ、ただ大人しく入ってるだけじゃ、詰まらんじゃないか。でちょっと俺になついてる兵隊、その辺の小チンピラだけど、そいつらに「あの野郎をやっつけるぞ」と声をかけて、2、3人連れて工場で暴れたんだよ。
そしたらワアッとなって、暴動みたいになっちゃってさ。後で、刑務官にクッタクタに叩かれた。拘束服(拘束衣。上半身の自由を奪う着衣)を着せられて,後ろ手に手錠をはめられ、足にも錠だ。
それで刑務所のど真ん中に丸一日寝かされたんだ。
みんなそこを通って舎房に入るから、いい見せしめだ。風呂にもいけないし大をする時は、大が半分付くような格好になってな。
飯を食う時も、そのまんまの恰好で手を使えないから、犬みたいな恰好をして食うしかないわけだ。あれは本当に屈辱的だった。だから俺は意地でも食わなかったよ。プライドが許さなかったからな。 続く