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ジンボ・トリオ ”ワン・ノート・サンバ” Jimbo Trio "Samba de uma Nota so

 
 
 
ジンボ・トリオは1964年に結成されたブラジルのボサ・ジャズ・ピアノトリオです。オリジナル・メンバーはピアノのアミルトン・ゴドイ(Hamilton Godoy)、ベースのルイス・シャヴィス(Luiz Shavez)、ドラムのルーベンス・ヴァルゾッティ(Rubens Barsotti)の3人です。
 2007年にベースのルイス・シャヴェスが逝去するまで、40年以上オリジナルメンバーでレコード・コンサー活動をしてきました。
 UPしたのは2011年のコンサートから、アントニオ・カルロス・ジョビンの”ワンノート・サンバ”で、ベースはマリオ・アンドレオッティ(Mario Andreotti)です。ピアノのアミウン・ゴドイとドラムのルーベンス・ヴァルゾッティは、40年以上一緒に演奏しているのでぴったり息があって、スウィング感満点のプレイです。特に2分20秒すぎからのベースソロからどんどん盛り上がっていって、ソロが終わるたびに観客から拍手と歓声がおきます。
 ”ジャズって、こんなに楽しくていいものなんだなあ”と思ってしまう、ジンボ・トリオの名演です。  (Kann Dorao)
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恐怖の報酬 (1953年 フランス映画)

 
 
 
 
 1953年のイブ・モンタン主演のフランス映画「恐怖の報酬」を観ました。手に汗握るスリル満点のサスペンスドラマでした。秀作です。1950年代は映画の黄金期なのですね。水野晴郎じゃないですが”いやー、映画って本当にいいものですね~”
 前半の1時間はヨーロッパやアメリカから、南米のベネズエラの場末の街に集まってきた男たちのけだるい退屈な生活を、ゆったりとしたカメラワークで描いています。生身の人間の描き方がていねいです。この前半が長いような気もしますが、悪路をトラックで危険な”ニトログリセリン”を運搬する後半は”恐怖の報酬”とはまさにこの事だと、緊迫感の連続でヒヤヒヤ、ドキドキして見入るだけになりました。
 
 
 恐怖の報酬 1953年 フランス映画
 
 
 監督 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
 脚本 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
 音楽 ジョルジュ・オーリック
 主演 イヴ・モンタン  シャルル・ヴァネル フォルコ・ルリ ペーター・ヴァン・アイク
 
 解説とあらすじ (新午前十時の映画祭より)
 
  南米を舞台に、ニトログリセリン運搬を担う4人の食いつめ者たちを描くサスペンス映画の傑作。主演は、シャンソン歌手としても有名なイヴ・モンタン。フィルム・ノワールの旗手として名を馳せるアンリ=ジョルジュ・クルーゾーが監督と脚本を担当している。第6回カンヌ国際映画祭のパルム・ドールと男優賞、第3回ベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞。
 食いつめ者の移民たちでごった返すベネズエラの街ラス・ピエドラス。コルシカ人のマリオ(イヴ・モンタン)は、この町でジョー(シャルル・ヴァネル)と出会い、意気投合する。ある日、街から500km先の山上の油田で火事が発生し、多数の犠牲者が出る。石油会社は、火災鎮火のためにニトログリセリンを山上へと運び上げる運転手を高報酬で募集する。そして、マリオとジョーを含む四人が選ばれた。彼らは2台のトラックに分かれ、命がけで油田を目指す。
 
 映画館で観ると迫力満点でしょうね。「新午前十時の映画祭」で東京では10月4日~10月17日TOHOシネマズ府中で上映されます。 
 ”恐怖”といっても生理的な残酷さのホラー映画とは大きく違います。”恐怖”の作り方が本当に上手い。運搬はでこぼこな悪路、転回困難な狭路、落石などいろいろな障害が待ち受けます。唖然とする展開にショックを受ける場面も。
 けだるい前半と緊迫感の後半、ニトログリセリンを運ぶトラックの中での人間模様と、次々に起こる障害をクリアする安堵感など、緩急取り混ぜたすばらしい演出とカメラです。
 
 採点(10点満点中8.5点)
 
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チョ・ヨンピル②”旅に出よう””釜山港へ帰れ”

 
 
 ”旅に出よう”
 
 日本でチョ・ヨンピルは”想いで迷子”などのヒット曲をもつ、紅白歌合戦にも出場した韓国の演歌歌手として有名ですが、韓国ではロックからバラード、トロットまで歌う『歌王』として、韓国音楽の殿堂に座する歌手として人気があります。
 演歌の”想い出迷子”しか知らない人には、ロック「チョ・ヨンピル」には驚くことでしょう。ヒット曲の”旅に出よう”は、KBSTV「開かれた音楽会」で若い歌手たちがカバーして観客を沸かせています。「不朽の名曲」でも何度か歌われています。
 いろいろなジャンルの音楽をこなすチョ・ヨンピルを調べてみました。
 
 韓国WikiやYoutubeより
 
 1950年京畿道華城郡(キョンギドファソングン)の中学校校長の息子として生まれたチョ・ヨンピルは子供の頃からいろいろな音楽に興味をもち、学校の勉強ではなく、歌とギターに没頭したそうです。医師になることを熱望している親の意に背いて、ソウルの京東(ギョンドン)高校を卒業した後、カントリーウエスタングループ「エトキンズ」のリーダーと同時にギタリストとして活動。1969年米軍キャンプでデビューし、大衆歌謡界に初めて足を踏み入れました。
 1971年に本格的なロックグループ「キムトリオ」を結成。1974年には「チョ・ヨンピルと影」というグループを結成。最初はギターの演奏でスタートしましたが、歌の才能が優れており、当時彼のマネージャーが大衆歌謡の歌手に行くことを勧めました。、26歳になった1975年にソロに転向した彼の変身は的中し、発表したトロット音楽”釜山港へ帰れ”は空前のヒットを記録しました。
 しかし韓国芸能界に吹き荒れたマリファナ騒動に巻き込まれて、4年間の空白期を持つことに。
 解禁措置以後1979年に公式に歌謡界にデビューして、1集アルバムのタイトル曲”窓の外の女”を発表。この曲が収録されたチョ・ヨンピルのアルバムは韓国最初の250万枚以上売れた(ミリオンセラー) 唯一のアルバムです。チョ・ヨンピルは、ナムジン、ナフナに次ぐ男性大衆アイドル歌手として多くのヒット曲を発表しました。1987年に歌った”君足とどまる所”で、チョ・ヨンピルは韓国歌謡界でトップ歌手に上ることになりました。
 チョ・ヨンピルはロック、バラード, トロットまたは ”江源道アリラン”のよう韓国民謡をリメークするなど、韓国の大衆音楽ほとんどすべてのジャンルを消化して、多様な年令層のファンを獲得しました。
  1986年には日本に進出して売り出したアルバム”思い出の迷子 1”が 100万枚以上売り上げ、その年の「ゴールデンディスク賞」を受賞しました。1988年には 10集アルバムを発表しましたがそのアルバムの収録曲”ソウルソウルソウル””モナリザ”がヒット。この年は韓国歌謡が大きく花開いた年だったので、数多くの歌手とヒットチャートを争いました。”ソウルソウルソウル”は 1988年ソウルオリンピック閉幕の時の放送で使われてから人気を集めました。
  1994年に韓国初、アルバム総売り上げ1000万枚を記録、日本でのアルバム売り上げも600万枚を超えて、韓流の始祖として評価を受けています。そして韓国と日本で活動を続け、2003年まで18枚のアルバムを発表しました。
 2013年に10年ぶりにリリースした、アルバム19集「Hello」収録曲”Bounce”は「ビルボード K-Pop チャート」で 1位を占め、「KBSTV音楽番組ミュージックバンク」で年間チャート 1位になりました。
 
 
 
 
 名曲”釜山港へ帰れ” 2003年 35周年 Concert より
 
 名曲”窓の外の女”のカヴァー(オリジナルより良いかも) イ・テジョン 
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チョ・ヨンピル”君足とどまるところ(愛の影)””勿忘草(わすれな草)””友よ”

 
 
 1987年9集収録曲”君足とどまるところ(愛の影)”
 2008年のKBSTV「コンサート7080」で、1970~80年代に青春を送った視聴者にアンケートをとったところ、「7080世代が選ぶ韓国の歌ベスト30」で”君足とどまるところ”は29位に選ばれました。
 先週のKBSTVの「人間劇場~君足とどまるところ」では、1組の老夫婦が車で365日旅をするドキュメンタリーが放送されてこの歌が流れていました。チョ・ヨンピルの歌の中で”君足とどまるところ”は好きな曲です。
 
 
 
 
 
 
 1981年3集収録曲”勿忘草(わすれな草)”。ロック「チョ・ヨンピル」の画像ですね。
 1984年に日本で開かれた「第1回PAX MUSICA~Asians, We Are One」の画像でしょうか。このコンサートは谷村新司、アラン・タム(香港)、チョ・ヨンピル(韓国)の3人が集まり、後楽園球場(現東京ドーム)で 音楽を通じたアジア交流を目的に開催されました。
 今の反韓・反中の時代では、こんなコンサートがあったなんて考えられませんね。
 30年前の日本は今と比べて、差別意識が希薄な、東アジアの国々と友好的な文化国家だったのです。
 
 
 
 
 
 1983年発売の第5集”友よ”収録曲。1984年にスタートした「PAXMUSICA」のテーマ曲としても使われ、香港ではアラン・タムが歌って大ヒットしました。

 

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