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チョ・ヨンピル②”旅に出よう””釜山港へ帰れ”

 
 
 ”旅に出よう”
 
 日本でチョ・ヨンピルは”想いで迷子”などのヒット曲をもつ、紅白歌合戦にも出場した韓国の演歌歌手として有名ですが、韓国ではロックからバラード、トロットまで歌う『歌王』として、韓国音楽の殿堂に座する歌手として人気があります。
 演歌の”想い出迷子”しか知らない人には、ロック「チョ・ヨンピル」には驚くことでしょう。ヒット曲の”旅に出よう”は、KBSTV「開かれた音楽会」で若い歌手たちがカバーして観客を沸かせています。「不朽の名曲」でも何度か歌われています。
 いろいろなジャンルの音楽をこなすチョ・ヨンピルを調べてみました。
 
 韓国WikiやYoutubeより
 
 1950年京畿道華城郡(キョンギドファソングン)の中学校校長の息子として生まれたチョ・ヨンピルは子供の頃からいろいろな音楽に興味をもち、学校の勉強ではなく、歌とギターに没頭したそうです。医師になることを熱望している親の意に背いて、ソウルの京東(ギョンドン)高校を卒業した後、カントリーウエスタングループ「エトキンズ」のリーダーと同時にギタリストとして活動。1969年米軍キャンプでデビューし、大衆歌謡界に初めて足を踏み入れました。
 1971年に本格的なロックグループ「キムトリオ」を結成。1974年には「チョ・ヨンピルと影」というグループを結成。最初はギターの演奏でスタートしましたが、歌の才能が優れており、当時彼のマネージャーが大衆歌謡の歌手に行くことを勧めました。、26歳になった1975年にソロに転向した彼の変身は的中し、発表したトロット音楽”釜山港へ帰れ”は空前のヒットを記録しました。
 しかし韓国芸能界に吹き荒れたマリファナ騒動に巻き込まれて、4年間の空白期を持つことに。
 解禁措置以後1979年に公式に歌謡界にデビューして、1集アルバムのタイトル曲”窓の外の女”を発表。この曲が収録されたチョ・ヨンピルのアルバムは韓国最初の250万枚以上売れた(ミリオンセラー) 唯一のアルバムです。チョ・ヨンピルは、ナムジン、ナフナに次ぐ男性大衆アイドル歌手として多くのヒット曲を発表しました。1987年に歌った”君足とどまる所”で、チョ・ヨンピルは韓国歌謡界でトップ歌手に上ることになりました。
 チョ・ヨンピルはロック、バラード, トロットまたは ”江源道アリラン”のよう韓国民謡をリメークするなど、韓国の大衆音楽ほとんどすべてのジャンルを消化して、多様な年令層のファンを獲得しました。
  1986年には日本に進出して売り出したアルバム”思い出の迷子 1”が 100万枚以上売り上げ、その年の「ゴールデンディスク賞」を受賞しました。1988年には 10集アルバムを発表しましたがそのアルバムの収録曲”ソウルソウルソウル””モナリザ”がヒット。この年は韓国歌謡が大きく花開いた年だったので、数多くの歌手とヒットチャートを争いました。”ソウルソウルソウル”は 1988年ソウルオリンピック閉幕の時の放送で使われてから人気を集めました。
  1994年に韓国初、アルバム総売り上げ1000万枚を記録、日本でのアルバム売り上げも600万枚を超えて、韓流の始祖として評価を受けています。そして韓国と日本で活動を続け、2003年まで18枚のアルバムを発表しました。
 2013年に10年ぶりにリリースした、アルバム19集「Hello」収録曲”Bounce”は「ビルボード K-Pop チャート」で 1位を占め、「KBSTV音楽番組ミュージックバンク」で年間チャート 1位になりました。
 
 
 
 
 名曲”釜山港へ帰れ” 2003年 35周年 Concert より
 
 名曲”窓の外の女”のカヴァー(オリジナルより良いかも) イ・テジョン 
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