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旧作探訪#44 『バスキア』

2009-01-03 22:37:54 | 映画(レンタルその他)
Basquiat@レンタル、ジュリアン・シュナーベル監督(1996年アメリカ)
1980年代にニューヨークのアート・シーンを席巻したものの88年、27才の若さで他界した天才画家ジャン=ミシェル・バスキアの伝説を描く。
バスキア(ジェフリー・ライト)はストリートのグラフィティ(落書き)アーティスト。家出を繰り返し、高校を中退、夜はヒップホップのDJ。彼が描きつけるメッセージは詩情をたたえ、絵は原始的な色彩とパワーにあふれていた。無垢なハートそのものを筆にして描いたようなバスキア・ワールド。アンディ・ウォーホル(デビッド・ボウイ)が絶賛し、NY中の画商が群がった。一夜にして人気アーティストとなるアメリカン・ドリーム。ほとばしる才能にニューヨーカーは魅了され、作品は高値で飛ぶように売れてゆく。そして有名人とのパーティー、女たち、金…。多くの人に愛されながらも傷つきやすい魂を持ったバスキアは、チャーリー・パーカーやジミ・ヘンドリクスに憧れ、麻薬に手を出し、恋人も去ってゆく。そして、敬愛するウォーホルの死の知らせが届く…。



冒頭いきなり「アート界は“生前は不遇だったゴッホ”のような伝説を欲しがっている」との本人の述懐が。彼に接近してきて「“黒人の画家”というのは初めてかも」と言う美術ジャーナリスト。安い金額で彼に先行投資して、絵が売れ出すと「絵を売るときは必ずあたしを通すこと。アトリエに誰か呼ぶときもよ」と宣言する画商。最初の個展で、先述のジャーナリストが予約済みの絵を「どうしても欲しい」と言い張る金持ちそうな汚やじ。汚やじがパトロンになってくれそうなので売ってしまうバスキア。怒って酒席に乱入するジャーナリスト。キツネとタヌキの化かし合いというか。
上画像は1982年の作品の一部で、同じ時代に勃興しつつあったヒップホップ文化との関連をうかがわせ、それは黒人としてアメリカで生きることの過酷さを直接に反映してるゆえのインパクトかもしれず、映画でも描かれるその差別されようはちょっと想像つかないほど。売れたら売れたで別の種類の差別もかぶさってくる。高名な存在で、彼と行動を共にすることも多かったウォーホルについても「バスキアを利用してる」との陰口が。監督のジュリアン・シュナーベルという人はユダヤ系の、これまたニューヨークのアート界で同時期に活動してたとのことで、そんなバスキアを温かいまなざしで描いたこの映画から、『夜になるまえに』『潜水服は蝶の夢を見る』と監督としても長足の進歩を。それにしても出発点がこの伝記映画であったことを考えると、直接よりも間接的に広く影響をもたらす、絵描きさんというよりある意味ミュージシャン的な総合アーティスト・表現者といったような存在だったのではないかしら。
誰かの言ってた「芸術というのはイマジネーションをコミュニケーションしたいという気持ち」って言葉、一点ものの絵を金持ちに買ってもらう画家という商売と馴染みにくい。誰かに買われちゃったら、そこでコミュニケーションが閉じちゃうじゃないですか。絵画よりも版画、あるいは版画よりもマンガのほうが、表現行為の中にあるコミュニケーションが成立してる気配が。そういう意味で音楽というのは、発せられた段階で「みんなのもの」になってる向きがずっと強いのでは。まあ日本の音楽なんてのは特定のリスナーにしか語りかけてなかったりすることもあるみたいだけど、それはまた別の話。
この映画には、ちょい役でゲーリー・オールドマン、クリストファー・ウォーケン、ウィレム・デフォー、また無名時代からバスキアに親切な忠告をしてくれる役でベニチオ・デル・トロなど、配役がたいへん豪華。そんな中にあって、表情の乏しいウォーホルを演じるとはいっても、音楽をやってないデビッド・ボウイというのはあまりにも魅力がなさ過ぎ。ボウイさん、ボウイ債とかつまらんこと考えるよりも音楽をやってください。


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